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【読書録】『絶対悲観主義』楠木建

今日ご紹介する本は、楠木健氏の『絶対悲観主義』(2022年、講談社新書)。本書は楠木氏が日立Webマガジン「Executive Foresignt Online」上で連載した記事をベースとして加筆のうえ再構成したものだ。

楠木氏は、経営学者であり、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授。ご専門は、競争戦略とイノベーションだ。私はこの楠木氏の本が大変好きで、以前、同氏の『経営センスの論理』という本についての記事をアップした。

この『経営センスの論理』は、同氏の本業である、ビジネスを経営するのあたっての競争戦略についてのお考えを幅広く紹介したものだった。

今日ご紹介する『絶対悲観主義』は、それとは異なり、ビジネス色はあまり強くない。この本がどういう本かをむりやり一言で表現すると、現代社会を生きる人が、それぞれ無理せず幸せになるための秘訣を与えてくれる、ためになるけれどゆるい読み物、といったところか。

以下、特に印象に残ったくだりを記しておきたい。

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●絶対悲観主義:うまくいかないだろうと事前に悲観的に構えておくと、うまくいったときに大変気分が良く、幸福度が高い。

●その効用:①実行が簡単(事前の期待を悲観に振っておく)、②仕事の速度が上がる(着手までのリードタイムが短くなる)、③悲観から楽観が生まれる(リスク耐性が高い)、④現実に失敗したときの耐性も強い、⑤自然に顧客志向になる(相手がこちらの事情を斟酌してくれないと思っているから)、⑥自分に固有の能力や才能の在処がはっきりしてくる(悲観を裏切る成功が続いた場合)。

●絶対悲観主義であれば、仕事に対して気楽に向き合える。失敗が気にならなくなり、リスク耐性がつく。たまさか首尾よくいったときには喜びにターボがかかる。相手の立場で考えられる。自分の気がラクになるからそうしているだけなのに、謙虚な人だと誤解してもらえる。一石で何鳥にもなり、異様に投資対効果が高い。

●「幸福になる」ということと、「不幸を解消する」ということを混同しがち。不幸になる原因をどんどん潰していけば幸せになれるかというと、そんなことはない。その先にあるのはただの「没不幸」。

●「人の不幸は密の味」は刹那的。一瞬の慰みでしかない。他責の鬱憤晴らしは悪循環の起点にして基点。そのときはちょっと気が晴れるかもしれないが、繰り返すうちにどんどん不幸になっていく。

●人の幸福に対する構えは微分派と積分派に分かれる。微分派は、直前と現在の変化の大きさに幸せを感じる。積分派は、その時点での変化率よりも、これまでに経験した大小の幸せを過去から累積した総量に幸せを感じる。微分的な幸せの追求には限界がある。あるイベントで一時的に幸福感が急増しても、人間はすぐ飽きてしまい、幸福の源泉としては持続しない。積分派の幸福は記憶にある。習慣的に日記をつけるのは幸福になるための優れた方法のひとつ。

●ブランドほど強力な資産はないが、強力な商売が結果として強力なブランドをもたらす。ブランドは、あらゆる企業努力による日々の商売の蓄積から結果的に発生する「ご褒美」のようなもの。信用と評判さえあればお客さんからやって来る。仕事を引き受けた以上は決して期待を裏切らない。こうしてますますブランド力が強くなる。

●不幸のひとつは他人との比較や嫉妬。もうひとつは他律性で、「人から幸せだと思われていることが幸せ」だと思い込むこと。

●幸福ほど主観的なものはない。幸福は、外在的な環境や状況以上に、その人の頭と心が左右するもの。あっさり言えば、ほとんどのことが「気のせい」。自らの頭と心で自分の価値基準を内省し、それを自分の言葉で獲得できたら、その時点で自動的に幸福。「これが幸福だ」と自分で言語化できている状態、これこそが幸福に他ならない。

●時間ほどはっきりとトレードオフを迫るものはない。何をするかよりも「何をしないか」を決めておくことが時間管理の要諦。

●他者の自分に対する認識を受け止めるときに、どういう「他者」に向き合うのかは重要な問題。ターゲットを意識しておかないと、不特定多数の意味のない声に引きずられて、振り回されるだけになってしまう。

●「アウトサイドイン」と「インサイドアウト」:自分の側からサーブを打つべき(インサイドアウト)。自分の仕事について他者の受け止め方やニーズを知ることは大切だが、アウトサイドインに振り切ると、相手にあわせて「うまくやろう」という気持ちが先だって、思い切り打てない。すぐにうまくいくことはないのだから、自分がまずは好きなサーブを打つことから始めればよい。

●自己認識をツールや専門家に頼ると、わかったつもりの浅薄な自己認識で終わってしまうし、自分を過大評価したり、過小評価したりしがち。自分の経験と自分の頭で、自己認識を深めていき、お客とのラリーの中で自己認識を深めていくプロセスこそが重要。

●組織力よりチーム力がパフォーマンスを左右する。チームは「お互いの相互依存関係を理解し合っている人間の集団」であり、規模の上限がある。

●理想のチームは映画『大脱走』の脱走チーム。①目的の明確な共有。②強力なリーダーの存在と、そのリーダーによるトップダウンの戦略指揮。③自然発生的な分業。④多様性。

●現状に問題を感じ、変革を起こしたければ、問題を組織の構造や制度にすり替えないことが大切。新しい制度設計を待たず、まず自ら動く。とりあえずは自分の影響の及ぶチームに新しい動きを起こし、明らかな成功例をつくる。組織の他の人びとに成果が見えれば、賛同する人が出てきて、その他大勢もそのうちについてくる。制度化やシステム化を考えるのはその後で十分。構造変革を待たずに動き出すのが本当の構造変革者。

●友達というのは偶然性、反利害性、超経済性という条件を備えた人間関係。友達の本質からして、友達の作り方なんてものはない(詩人の高橋睦郎むつおの言葉)。つまりは「縁」。

●アナログ時代と比べて現在では桁違いに多くのオンラインメディアが情報発信している。その結果、人々の文章を書く能力が著しく劣化した。これと同様に、リモートワークが進んでいくほど、生身の人間を相手にしたコミュニケーションは劣化していくのではないか。たとすれば、リアルなコミュニケーションが得意な人の価値は、これからどんどん上がっていくかもしれない。スキルのデフレとセンスのインフレは中長期的に続くメガトレンド。

●人間は失敗の直後に正しい対応を取ることはできない。大きなショックやダメージを受けたときには、じたばたするのがいちばんよくない。人間には回復力が自然に備わっているから、遠回りのようでも、エネルギーが戻ってくるのをひたすら待つのが最善の策(失敗学の畑村洋太郎氏の言葉)。

●人間壁にぶつかったときには、とにかく徹底的に堕ちてみるのも一つの手。行くところまで行く。「廃人上等!」というところまで一度行ってみると、自然とまた戻ってくる。

●プレゼンテーションや文章を書くうえで重要なことは、話したり書いたりする内容が自分にとって面白いかどうか、自分にとってグッとくるかどうか。どう発表するかではなく、何を発表するかが先決。自分にとってグッとくるWhatさえあれば、Howは事前についてくる。

●老人になって残るのは「感性」。健康や体力などいろいろなものが衰え消えていく中で、感性だけは年を重ねることでますます研ぎ澄まされる。何もしない人生も大いにアリ。何もしないで生きていける人ほど、精神力が強い。他の人にはわからない深い喜びや達成感に満ち溢れている。歳を重ねるほどに自分についての理解が深まり、自分にとって意味のある仕事の土俵がはっきりしてくる。自分の土俵の外にあることはどんどん捨てていくのが潔い。若いころと違って「迷ったらやらない」。

●キャリアについては「事前の計画」はできないというのが持論。あまりにもいろいろな要素が時間軸と空間軸の間で絡み合ってキャリアは形成されていく。三〇代までにこれをやって、四〇代にはこれを達成して、というキャリアプランは意味がない。

●大切にしているのは、具体的なキャリアプランやキャリア戦略ではなく、その時点でどの方向に行きたいのかという感覚。自分なりの価値基準で、こういう仕事をしていきたい、こういう仕事はしたくないと決めておけば十分。もうひとつは、今の自分が大まかに言ってどのフェーズにいるのかという自己認識。今はどのギアに入っているのか。どのタイミングでギアチェンジするのかというイメージでキャリアを大まかにとらえておく。

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以下は、感想。

幸福論、チーム力、ブランディング、プレゼンテーション、キャリア計画、友達、老い、時間やお金、戦争の話まで。大変幅広いトピックについて話が及ぶ。

物事は思い通りに行かないという「絶対的悲観主義」のススメ。運命や他人に期待せず、比較して嫉妬したりせず、自分の頭でしっかり考え、自分なりの価値基準を確立して、自分の好きなことをやっていけば、なるようになる、というメッセージを受け止めた。

特に、幸福について述べているくだりに共感した。特に、「幸福ほど主観的なものはない」というくだり。これらは、今まで私が記事にしてきた幸福についての思考(以下にリンクを貼っておきます)を、すっきりと総括してくれた。ストンと腑に落ちた。

この本の素敵なのは、前章を通じて貫かれている軽快なトーンだ。上記で要約したようなメインのメッセージを、大変ユニークに肉付けしている。具体例としてのエピソードが豊富であるうえ、そのエピソードの語りが無茶苦茶面白くて、大いに笑える。

例えば、柿ピー計算の話、独特の謝罪スタイルの話。天地真理、007、ゴルゴ13、お蝶さんというパピヨン犬まで、人間(架空の人物含む)から動物まで、登場人物の幅広さもぶっ飛んでいる。また、「Gシフト」「Gショック」「Gスポット」など「G」の話はとりわけ面白く、笑いが止まらず涙が出たほどだった。

また、上記要約には含めていないが、第12章「痺れる名言」という章で、たくさんの名言を紹介してくれているくだりも強く印象に残った。ヘッセ、ヘミングウェイ、織田信長、魯迅、蛭子能収えびすよしかず、カトリーヌ・ドヌーヴと、こちらも大変幅広い。どれもセンスが良く、「うまい!」「座布団10枚!」と言って膝を打ちたくなる名言ばかり。こういったセンスのよい名言を集めることのできる楠木氏もまた、センスの良い方なのだ。

どうしてこの方の本は、こんなに面白いのだろうか。まるで漫談を聞いているような臨場感だ。例えば、「~するのが良い」という、何かについて奨める表現を、「~がイイ」と、カタカナで軽く表記している。こういう語り口が、楠木氏の話を生で聞いているような感覚をもたらし、とても、イイ!のだ。

この楠木氏がどのような喋りをするのかを聞いてみたくて、動画を検索してみた。すると、以下の短いYouTube動画がヒットした。

動画で見て、ますますこの方のファンになった。見た目は、ご著書でのご自身の描写どおりだったが、お声がとっても素敵!

この動画で話していらっしゃる「無努力主義」というコンセプトも、素晴らしいメッセージだ。本書のテーマである「絶対悲観主義」や、本書で書かれている様々な内容とも大いに共通するところがあった。

自分の人生を幸せだと思えない方、心配性の方、悲観的な思考グセのある方などには、特におすすめだ。「ほとんどのことは気のせい」という楠木氏の言葉には、肩の力が抜けて、救いとなるだろう。私自身、ちょっと気分が滅入っているときに、ひょいとこの本を手に取って、パラパラとページを繰ってみる。そうすると、たくさん笑えて、脱力して、色々なことがどうでもよくなり、結果としてスッキリして元気になれる。私の蔵書の中で、買ってよかったと思える本のひとつだ。

ご参考になれば幸いです!

以前別記事でご紹介した楠木氏のビジネス書『経営センスの理論』はこちら。

私の他の読書録の記事へは、以下のリンク集からどうぞ!

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