"本に呼ばれる"という現象について
こんばんは、読書大好き、さざんかげしです。
先日、友達と出かけていた際、用事を済ませ、
なんとなく周辺をぶらぶらしていたら、
たまたま古本市をしている商店街に行き着きました。
このところ英語学習にハマってる友人と、
元々英語が好きな自分は
「洋書とかあるかなー」
「ちょっと見てみよー」
と、何気なく寄ってみました。
すると、比較的平易に書かれた最近の英語の本から、100年以上前の古文書のような洋書があるのが目につきました。
英語圏の子どもはこういう本を読んで英語を学んでいくのかなー、
昔の洋書はなかなか近づき難いな、と
目に止まった本をパラパラ読みつつ、
雑談しながら市場の奥へと足を運んで行きました。
何か気になるのがあったら買ってもいいなーと思いながら、本棚をぐるぐるしていると、
洋書コーナーから外れて、日本の古書コーナーにたどり着いていました。
そこでふと、目についた本がありました。
この本どこかでみたな。
なんだっけ。
あ、
青山美智子先生が幼少期に影響を受けた本じゃなかったっけ?
記憶は先日のサイン会に巻き戻り、
その時撮った写真を見返す私。
(サイン会の話はここでちょっと出てます。)
たしか、この本棚の写真撮った時にあったような...
こ、これだ...!!!
これやで〜〜!!!!
気づいたらレジで購入を完了しておりました。
本との出会いってこれくらい偶発的というか、運命的な要素が重なると非常に思い入れが強くなります。
本に限らずではあるでしょうが、
自分の場合は本においてこの現象が起きることが多い気がしています。
あの本欲しいんだよな
どうしようかな
気になってる本あるな
どうしようかな
全然知らない本だったけど
なんかこの本、気になるな
今回のようにたまたま入った古本屋で見つけるとか、
偶然その本に出会う時、
そういうのを
"本に呼ばれる"と私は称しているのですが、
(知人にこの話をすると痛いヤツだと思われてしまいましたので大々的には言わないようにしております。)
この本は多分、運命的に自分と出会ってくれて、今の自分に必要だから、目の前に現れてくれたと、いつのまにかそう考えるようになっていました。
事実、たまたま出会った本は自分の心の支えになってくれる物が多いです。
運命という曖昧な現象に後押しされて、そう感じやすくなってるところもあるのかもしれませんが、
私の人生を彩る本との出会いは運命的でありたい。
そう思って、いい本買えたなとホクホクで帰ったのでした。
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