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有名になりたいのその先は……?【深夜ラジオnote】

「作家になりたい」
「有名になりたい」
いやいや、目立ちたいだけだろ。そう思うあなたにこそ読んで欲しい内容です!








山門文治は、とにかくnoteで騒がしい。
ぼくにもそういう自覚はあるし、騒がしくて「ごめんなさい」という気持ちもある。
それでも、こうやって多動症にエモーションも爆発させている。
ここには、壮大なスケールのぼくが達成しなければいけない夢がある。


それは、ぼくの葬式にいろんな人が参列することだ。

 この社会はやっぱりあまりのも、「割れきっている」し「バラバラだ」。
ぼくは、階層で人を見ないという生き方を徹底しているが、世の中の人はもっと合理的にせわしなく、よそよそしい。特に東京は、その象徴のような場所だ。

「大卒の人はぼくらと絶対に関わろうとしないんすよ!!」

 工業高校卒業後に、神奈川県の平塚市にある自動車会社の部品をつくる工場に勤めるIさんは涙ながらに声を荒げる。ぼくらは、川崎の浮島にドライブに来ていた。幻想的な工場夜景を眺めながら、そんな話になり、こんな展開になった。ぼくは、川崎の工場地帯でタバコの煙を燻らせながら、彼の言葉に耳を傾けた。

 「あの人たちは、ぼくらに差別意識を抱いているんです。全員が全員じゃないことはわかっています。いい人もいます。それでも、彼らのぼくの人生を否定的で侮蔑的に見てくるんです」

 これは、彼の思い込みなのか、被害妄想なのかどうか、それはぼくにはわからない。けれども、彼が抱いている大卒に対して怯える気持ちは相当のものだった。この風貌の男が社会に対して怯えているのだ。会社には内緒にしている彼の腕には、平和を祈る言葉が彫られていた。昔は、不良だったかもしれない。勉強をしなかったかもしれない。しかし、彼もこの社会の一員として平和を祈る1人なのだ。ただの彼は平塚生まれのヒップホップが大好きな工場社員の当時26歳の好青年なのだ。
 彼はぼくに、嬉しそうにヒップホップの魅力を教えてくれた。
「山門さん KOHH知らないんすかwwヒップホップ好きとしてそれはNGっすよ」
 彼の無邪気な説明に、ぼくはうっかり惹き込まれた。
「神門ってアーティストがいるんすけど・・」
「それから、自分が一番好きなのはやっぱMOROHAっすね」
 彼の口から次々にヒップホップアーティストの名前が飛び出した。ぼくは名前をとりあえずひたすらに、Spotifyに追加した。後で聴くためだ。彼の口から飛び出す「お気に入りのアーティスト」を全員追加し終える。聴く音楽は、その人の内面を表す。その人の内面世界の彩りであり、生きるためのエネルギーなのだ。その源泉に触れることは、その人を構成する世界に触れることなので、ぼくは人と会えば積極的に、「好きな音楽」の話をするようにしている。

「山門さんは大卒なのに、優しいっすね」

 「大卒なのに優しい」。この言葉が意味を持ってしまうほど、今、この社会には大きな溝がある。バラバラで割れきっている。こんな悲しいは、社会から優しさなくなってしまえばいい。もっとあたりまえに、いろんな階層の人がいろんな階層の人と気楽に集まってほしい。

 今、この国を覆っている暗雲は不安の灰色を放っている。経済は積乱雲のもたらす大雨のように揺れる。黒い白鳥が何羽も飛び立った。それでも、ウイルスの蔓延、気候変動の脅威、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのハマス侵攻。中国は台湾を飲み込むかもしれないし、香港を弾圧するかもしれない。アメリカは、世界の警察を降りると、日本の軍国主義は加速するかも知れない。それは、ちょうど100年前の歴史を繰り返すような。VUCA時代は、序の口である。さらに混迷を極める時代が到来するだろう。もしかしたら、明治維新や戦後みたいな混乱がこの国を襲うことだってあるかもしれない。
 こうした社会には、自己責任の亡霊と比較の妖怪がウヨウヨする。「特定の誰々が悪い」「あいつの方が俺より下だ」。こういうピンと張り詰めた空気が社会に蔓延する。度重なる魔女裁判と私刑の押収。パンとサーカスを求める国民。もうたくさんだ。

 そして、この構造的な原因は、人間の想像力の枯渇にあるとぼくは考えている。人が人を信じられないのは、共感しないからだ。見ず知らずの他者を想像する能力が枯渇しているのだ。それは石油以上に衝撃的は枯渇だ。ほんらい、人は人に感染する。人が人を信じるというのは、人間に備わった感覚だ。
 だったら、人が共感するものを書いてやろうじゃないか。
 もっとカラフルで面白い社会をコトバの魔法で彩ってやろうじゃないか。ぼくは、筆にも絵のも、声にも楽器にもリズム感覚にも嫌われた、運動神経は悪しどんくさい。でも、文章という手段だけは、あらゆる才能がないぼくに残された唯一の方法だった。
 だからこそ、ぼくはいろんな階層の人を大シャッフルさせたいのである。そのシャッフルには、意味はある。意義もね、大義ですらある。

知ってた?この社会って本当はもっと面白くできるんだぜ

 ぼくのnoteの方針は、マーケッターに言わせれば、ターゲットがあいまいらしい。いろんな記事を書くからだ。でも、フィルターバブルにプツンと針を刺し、弾けるしゃぼんの虹を見るためには、ターゲットはあいまいにさせなければいけない。かっちりした合理性のスキマには、セレンディピティは転がっている。だからこそ、できるだけシャッフルさせたい。これは定石から外れた型破りなマーケティング手法なのかもしれないが、ぼくは不器用なのでこれを続ける。ユーザビリティよりも書きたいものを優先する。
  割れきったコンクリートのスキマから芽吹く生命のように、そこにはアートとイノベーションが生まれる国ができるだろう。京都大学を卒業してBCGに勤めている彼女にRYKEY DADDY DIRTYを聴いてもらいたいし、相模原のDQNがふとしたきっかけでニーチェに目覚めてほしいし、大学に行った後でホストに狂って風俗したそんな彼女に、聴いてもらいたい美しい音楽があるし、ICUを卒業して就職したけどやっぱり上手くいかなくて、それでも大好きなドラムを続けたくてプロになってほしいのだ。本当の意味の多様性って、怖がって棲み分けすることじゃないと思うよ。めいめいがカラーを発色して、その絵の具が奏でるハーモニーなんじゃないか。ごちゃ混ぜになっちゃおう。文化はサラダボウルじゃなくてメルティングポットなのだ。
 彼ら、彼女たちが、ぼくの死の知らせを聞きつけて駆けつけて欲しい。そこで行われる葬式では、日本三名曲(Dragon Ashの『Greatful Days』と椎名林檎の『ありあまる富』とKing Gnuの『雨燦々』)を流してもらう。それから忘れちゃいけない。「ジャンボフェリーの唄」だ。そういう葬式がいいよな。

THE GREATEST UNKNOWN

先日、後輩とKing Gnuのライブへ参加した。アーティストの役割を知った気がした。
King Gnuはね。不思議なアーティストで、誰が聴いても好きな曲が見つかる。どんな人でも、絶対あなたの1曲が見つかる。
ぼくの周りで一番のおしゃれな人と一番キモい人が、King Gnuを聴いている。
最初、「キモいお前が聴くなバカと」思ったが、そうじゃなかった。
キモい人は、いい意味でキモくて非モテだけどアニメに萌え萌えだ。対して、一番おしゃれな人は、いい意味でおしゃれでイケメンで女にモテモテだ。
2人に一番好きな曲を聴くと、やっぱり違う。どっちも名曲。
こんなに受け皿が広いアーティストが他にいるのだろうか。


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