え?コーヒー1杯に5,000円ですって?【エッセイ】
ぼくは、コーヒーが好きだ。
仕事をするときは、かならずと言ってほどコーヒーを飲んでいる。
あの苦くて黒い液体を胃に流しこむことが、覚醒へ向かわせ明晰な頭脳へと整えているのである。
そんなわけで大好きなのが、スターバックスだ。
この執筆にしたって、スタバでやっている。コーヒー1杯を注文して、椅子に腰掛け、書き終えるまで帰らないという姿勢を堅持し、椅子に腰掛け書いている。そう、この一文字を打ちながら、ズズッとコーヒーをすすりながら執筆している。
ぼくは、ブラックコーヒーのグランデサイズを毎回注文しているのだが、店員さんが毎回、産地を告げながら渡してくれる。
へぇ、ケニアなんだ。ベトナムなんだ。ふむふむ。
コンビニのコーヒーも好きでよく飲んでいる。
それはスタバに行くほど、財布の中身に余裕がない時や時間がない時の作法である。
タバコを吸いながら、あるいは酒を飲みながら仕事をしているとおかしなヤツだと思われる。コーラはあまりよろしくないが、コーヒーを飲みながら仕事をするのはさほどおかしな行為でないらしく、この文化の間隙を突く気持ちから、ぼくはコーヒーをオフィスに持ち込む。
さて、コンビニの機械からそそがれるコーヒーも美味い。特に好きなのは、ローソンだ。なんでも、ローソンの猿田彦珈琲のなんとかさんが監修しているとかで、味も美味いしメガサイズがちょうどいいのだ。
これらの値段は、それぞれスタバは460円で、ローソンは320円。
安くはない。
でもさ、1杯5,000円のコーヒーというのも、世の中にはあるんだぜ?
ぼくは、びっくりしながらも、その強くな値段設定が発する蠱惑的魅力にあらがえずに、ついついその店の予約をしてしまった。
そのコーヒー屋は、清澄白河にある。MAMEYA Kakeruという名前のコーヒー屋だ。
清澄白河といえば、木場公園や清澄庭園がある。
生粋のおしゃれタウンだ。
そこに鎮座する、あきらかに雰囲気のちがうお店がこのMAMEYA Kakeruなのだ。
それが、ここ。
一見、なんの店かわからんのが特徴だ。
中は、こんな感じになっている。
なるほどな。おしゃれである。
こじんまりと佇まいでありながら、中には文化的な空間が彩られ、上品さがたなびく店内だ。ちなみに、区切りの中で白衣を着ているのが、店員だ。
あの店員が一組に一人ついて「何、飲みますか?」なんて聞いてくる。
丁寧な接客だ。
メニューは、こんな感じになっていてパット見よくわからない。
グラデーションになっていて、味の濃さがそのままメニューになっているという。
へぇ、なんて思う。
画像を拡大すれば見れるはずだが、値段は500円のコーヒーもある。
でも、店員さんが、
「ゲイシャコーヒーもあるんですよ!」
とややテンション高めに教えてくれる。
芸者?ぼくがぽかんとしながら、言うと店員さんが微笑みながら否定してくれた。どうやら違うらしい。
芸者と言えば京都の芸者さんをイメージするかもしれないが、そっちじゃない。ゲイシャとは、エチオピア南西部に位置するジャングルの中にある村の名称らしい。その産地でとれるコーヒーだからゲイシャコーヒー。というわけで、ぼくらはマイココーヒーを探す必要はなくなった。
このゲイシャコーヒーは、ひじょうに希少なコーヒー豆らしい。
特定の環境でした育たず一本の木からもとれる量が限られているとかで、ひじょうに希少なのだという。
「そのゲイシャコーヒーが、今目の前にあるんですよ」と説明してくれる。
こんなことを言われて、
「うん。わかりました。じゃあ、500円の一番安いので」なんて言えるだろうか。
「ええええ、じゃ、じゃあ、じゃあそのゲイシャコーヒー飲みたいです(がたがた)」と財布の中身に一抹の不安を抱えながらも、そのコーヒーを注文してしまう。
すると、店員さんはくるりと背中を向けて、どこかへ行ってしまう。
ゲイシャコーヒー楽しみだな、と思って待っていると店員さんがなにかを持って戻ってくる。
「こちらのコーヒー豆でお淹れしますね」
とコーヒー豆を見せてくれた。
へぇ、なんて思いながら写真をパシャリ。
Galaxyの確実に対象を捉えて記録に刻むような、シャッター音が虚しく響く。
そしたら、店員さん。またなにかを持ってきた。
予想通りに、コーヒーができあがる。
めのまえでつくってくれるのだ。
なんでも、バリスタという仕事はむずかしい仕事らしい。
え?コーヒー注ぐだけでしょ?と思うかもしれないが、コーヒーを注ぐ時は、一切の手ブレが許されないらしい。手ブレは味を損ねるのだという。
ぼくなんか、なんもしなくても手が震える性分なので、務まらないんだろうなぁとか妄想しながらその話を聞いていた。お湯を注ぐ動作のひとつひとつを丁寧に、その結果として美味しいコーヒーができあがるのだという。
そして、めのまえに置かれたのが、おまちかねのゲイシャコーヒーが、バカラに注がれる。な、なるほどぉ。
最高級のコーヒーって、色が紅茶みたいなんだな。
できるだけ、味わおうとちびちび飲んだ。
酸味つぅん、抜ける華やかな味わい。酸味が強くフルーティ。
コーヒーを呑んでいると言われなければ、決して気がつかない味だ。
見た目どおり、どちらかというと紅茶に近い。
「美味しい!!」(と言わなければ払ったお金がもったない!!)
とまぁ、清澄白河にあるMAMEYA Kakeruに行ってきた。
そして、ゲイシャコーヒーというのを飲んできた。
味は、どうだったかというと、もちろん美味しかった。
けど、ふだん飲んでるコーヒーの10倍美味しいか?と言われれば正直わからん。
でも、思ったことがある。
あれは、コーヒーを飲むというより、店内の雰囲気、店員の接客(知識、説明、技術)など、ひっくるめて、コーヒーを飲むという体験を買ったのだ。
そこに、その値段の価値があるのかどうかはわからないが、楽しかったし、いい思い出になった。
そして、「ゲイシャコーヒー飲んだことある」という思い出をつくることができた。
読者の方も清澄白河が近いなら、ぜひいってみてほしい。
この体験はなかなかいい体験だったとぼくは思う。
ちなみに、予約必須のはずなので、その点だけご注意願いたい。
ちなみに、このコーヒー屋から学び得たことがあるので併記しておく。
それは、山門文治という活動においても、活かされるのではないかということだ。
ぼくは、今後「読むという体験」を売っていく物書きとして、それだけの収入で食っていけるようになりたい。
そのためには、「読む」という体験が心地よいものでなければならないと思う。
ただ、ゲイシャ村のコーヒーだからといって、数千円出していたかと問われれば、たぶんそんなことはなかったと思う。
やはり、あの空間があり、あの店員さんのあの接客があったから、注文したんだと思う。
そして、悔いも残ってない。ちゃんと堪能できた。
こういう体験を届けたい。
「飲む」という体験であれ、「読む」という体験であれ、それを味わう人の気持ちに立って、「読む」という体験を加速させるような、そんな文章を人生を賭して書けるようになりたい。
清澄白河への帰り道は、そんな思いだった。
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