人類みな麺類からブランディングを考える。
ぼくの人生で一番好きなラーメン屋は、「人類みな麺類」。
この記事を読んでいるあなたも一度くらいは、この奇妙な名前のラーメン屋を耳にしたことがあるかもしれない。
それほど強烈な名前のインパクトがその店名から漂っている。
発祥は関西。大阪では、このラーメン屋は誰もが知る超名店だ。大阪の新大阪駅からほど近い阪急南方駅にとんでもない長さの行列をつくっている。それこそ3時間待ちなんかあたりまえ。寒い冬なんか、寒いねとお互いのポケットに手を入れたり、そういう相手がいないときはホッカイロで手を温めたり。
ところで、3時間待ちと聞いて、「はあ?」と思った、あなた。
一度食ってみてほしい。
ほっぺたがこぼれ落ちるから。
そして、あなたの味蕾が喝采する。
美味いなんてもんじゃねぇ、と唸るだろう。
そうしたら、3時間の行列の意味がわかると思うから。
「人類みな麺類」の中で、山門文治のおすすめを紹介する。まず、メニューとトッピングのおすすめだ。
ラーメン原点の「チャシュー厚」だけど、女性や高齢者は、ラーメンマクロの「チャーシュー薄めの卵あり」。
次に、エピソードを絡めてこのラーメンを味わう最高のシチュエーションを紹介する。
京都で大学してた時代、人類みな麺類をみやじとカリンといっしょ食いに行ったのは何よりも楽しかった学生時代を彩る最高の思い出だ。
――あの店をハックした。深夜の1時に並べばいいんだ。
こんな誘い文句で、大学の後輩2人をおびき寄せ、眠い目こすって深夜のドライブの始まりだ。ぼくらが住む京都から大阪の南方まで、車でだいたい片道1時間半くらいかかる。
ラーメンの話とさっぱり関係ないけど、深夜の1時間半のドライブはいい話が聞ける。
「ホントはさ……」こんな枕ことばが飛び交って、互いの自己開示が浸透する。深夜テンションもある、くだらないことで爆笑しながら南方へ向かうのだ。
※余談だが、タイムズカーシェアで6時間以内に返せば、距離料金が発生しないというハック術があるのでおすすめである。
そして、店のすぐ近くに駐車場があるので、停めて道路を渡れば、店は空いてるが行列は少ない。
0時はまだいる。1時に減り始める。こんな感じだ。ちなみに、店は朝の3時まで空いている(南方店のみ)。
深夜に食べれば、狂気の美味さ。
あの美味さ目当てに殺人事件のひとつやふたつ起こっても不思議じゃないほどの美味さだ。
驚天動地。怒髪天を衝く。よくわからんが、とにかくひたすらウマい。
深夜に腹空かせて食いに行ってほしい。
ちなみに、科学的に1時間という並び時間が最高の空腹のスパイスになるんだとか。
深夜×並び×人類みな麺類のかけ算から弾き出される数値は、ドラゴンボールのスカウターなんか煙をあげて壊れてしまうことだろう。
もう知っている人には恐縮の追加情報なのだが、そんなぼく的イチオシのラーメン屋が、東京でも食べられる。JR山手線恵比寿駅から徒歩10分くらいのところに、その店はラーメン屋とは思えない店構えで鎮座している。
味は大阪の人類みな麺類ともちろんいっしょ。
うますぎた。
しかし、なにかがちがった。
実は、ここからが本題。
そして、この続きは人類みな麺類の経営方針をなにもわかっていないぼくがエラソーに語ったりする。内容は普段にくらべて過激だったりするしれない。
そのため、心して読み進めていただきたい。
さて、まずなにかがちがった、その内訳を明らかにしなければいけない。
それは接客態度だ。
とはいえ、山門文治は接客態度が悪い店をそんなにネガティブに捉えているわけでもない点は強調しておきたい。
これからの時代は、接客態度のよさを期待するということは、チップを払う文化と引き換えでやってくるだろうからだ。
現に、現在大衆的な店に行けば、接客態度が悪いことなんかあたりまえである。これはアルバイトの時給の低さに由来する。
そんなことでいちいち腹を立てたりしないし、腹を立てるべきでもない。なぜなら、これからそんなことが言っていられなくなる時代がくるからだ。
そして、接客態度が悪さなんて主観的なものなので、あくまでぼくはこう感じたという話である。
さらに言えば、味は死ぬほど美味かった。だから、そんないい思い出にわざざわざ水を差すようなことも本当はしたくない。
しかし、それでも、これを書き出さずにはいられない理由がある。
少し整理すると、山門文治は、大阪の名店の人類みな麺類の東京店に行ったら、その店の接客がちょっとアレだったと突っかっている。しかし、突っかっているにもかかわらず、味は最高だの、接客態度が悪いことは別にいいだの、ごちゃごちゃとどっちつかずな立場だ。
というのも、南方の接客は、ラーメン屋のバイト(なのだろう)がすごく楽しそうなのだ。
いつどの時間に行っても、バイトが楽しそうに働いている。
そして、水がなくなるとわんこそばを思わせるほどの速度で次を継ぎ足してくれる。替え玉がテーブルに置かれるタイミングも第一陣が食べ終わるのとほぼ同時。もちろん接客態度はピカイチ。
全員がそうではないのかもしれないが、働く中の人が心から楽しんでいるのだというのが伝わってくるようだ。
美味しいラーメンだけじゃなくて「人類みな麺類」という変なネーミングが醸し出す独特の世界観をスタッフ一人ひとりが、ちゃんと背負っているような印象を受けたのである。
それもそのはず。
このラーメン屋の松村貴大社長の創り出す世界観がぼくは好きなのだ。
ラーメンだけじゃなくて、この社長が何を次にやりだすのかということにすごく興味があるのだ。
この松村社長の面白さを少し紹介したい。
まず、そもそも会社名が面白い。
「人類みな麺類」の運営元の株式会社の名前はUNCHI(ウンチ)という。
このふざけたネーミングセンスも大阪由来のユーモアなのか、地域柄受け入れられている感じがする。
ちなみに、系列店の名前も独特だ。「世界一暇なラーメン屋」「ラーメン大戦争」「くそオヤジ最後のひとふり」など、奇抜だけどキャッチーで耳に残るネーミングセンスだ。
また、大阪の南方駅はこれと言って大きな駅ではない。
御堂筋と阪急の交差地点なので、ハブとなっているエリアだし、悪い立地ではないが、パッとする立地ではなかったはずだ。
南方駅にあれだけの行列をつくっている。
駅に代名詞をつくって、下車する理由をつくっていると言えば、すごさが伝わるだろうか。
さらに、この社長の経営は大胆だ。去年、人類みな麺類で賑わう南方駅からすぐ近くに人類みな麺類の系列店の油そば屋をオープンしたのだが、じぶんの看板店のすぐ近く(徒歩5分くらい)にじぶんのラーメン屋なんてオープンさせない。新宿の西口と東口みたいな話とはちょっと事情が違う。たとえば、明大前で徒歩5分圏内に、系列店をオープンする。大胆だ。
というのも、南方駅には「人類みな麺類」で行列をつくっている。その行列をみて面食らった人をターゲットにしているのだ。だから、油そばというニュアンスのちがった競合店を徒歩5分圏内にオープンさせる。これは経営者的には、かなり大胆な判断なんじゃないかと思われる。
それから、大阪産業大学の学食で食べられたり、立命館大学の学食で「みなめんカフェ」を運営したり、フランチャイズ事業に乗り出したり、宇宙に行こうとしたり、ZOZOの前澤社長になんとなくキャラクターを寄せたりしている。
しかし、これだけじゃない。ぼくは実際に松村社長を見たことがある。と言っても話したわけではなく、遠巻きにあれが松村社長なのかぁと見ていただけだが、それでも好感が持てた。
一度目は、深夜に仲間をぞろぞろと引き連れて、深夜の人類みな麺類で。二度目は、調理場に立っていた。
じぶんの店を仲間を引き連れて夜中に食べにいく社長というのが人柄としてすごく好きだし、社長のまわりには笑顔が多いように感じた。特にエラソーにしている様子もなくて、立派な人なんだなぁという印象だった。そして、調理場の松村社長は、そのイメージと相反して寡黙な職人のイメージだった。
要するに、松村社長はどこかアナーキーな雰囲気を醸し出しながら、ラーメンでエンタメを実現している凄腕の社長なのだ。(予想)
げんに、ぼくは、人類みな麺類のおかげでラーメン屋に並ぶという楽しさを知ったし、並ぶという行為が空腹を刺激して最高のスパイスを醸成することも知った。
そんなカリスマ社長のお膝元である大阪では、その影響下であるためアルバイトから主体性が感じられた。人類みな麺類というブランドを背負っているメンバーの一員という感じが、スタッフ一人ひとりから感じられたのだろう。
その影響は東京までは届いていないのだろう。
ぼくはおいしいラーメンを食べに行くのであって接客を買っているわけじゃない。
だから、接客態度が悪いことは別になんとも思わない。
しかし、大阪ではこれだけの影響力をもっているカリスマ社長の存在も、その影響がたかが500キロ程度離れただけで、色褪せてしまうのかということに、勝手にがっかりした。そう、すべては主観である。
なにかここからヒントが眠っているように感じる。
なにはともあれ、これだけ旨いのだ。
東京にもあるので、一度は足を運んでみてほしい。
でも、本当は本店の南方駅にもならんでもらいたい。だからこれは、南方店のクオリティに舌と目が超えた人間の贅沢で余剰な物言いだ。
ここから、話は急旋回。ブランディングという話題に向かっていく。
ぼくの主観に主観によれば、東京店のスタッフの接客態度は、かんじわるい。
けど、それは南方店のスタッフの接客のよさを知っているからだ。
じゃあ、なぜこの接客態度は大阪から東京まで伝播しなかったのか。それは、文化が継承されなかったからだろう。大阪を拠点にしているので、地理的な不利ももちろんあるだろう。
いずれにせよ、彼らアルバイトは、人類みな麺類という世界観をいっしょにつくっているという意識よりも、ラーメン屋でちょっと時給の高い大変なバイトをやっているという意識の方が強い。その理由はブランドという問題に行き着く。
ぼくは、大阪の人類みな麺類は、ユニバや近大マグロとならぶ大阪名物だと思っている。大阪に行ったら絶対食べていただきたい。
こんな布教をしてしまうほど、作り出される世界観を共有しているのだ。
そして、これは大阪ではめずらしい考え方ではないはずだ。ぼくと同じように、松村社長を神格化している人もいるはずはずだし、松村社長まで知らなくても、ラーメン以上のなにかを、みんな共有しているはずなのだ。
つまり、顧客は人類みな麺類を食べているが、ラーメンを食べているという意識は薄れて、人類みな麺類を食べているという意識がうっすら芽生える。
こういう固有名詞な存在になるためのプロセスが必要なのだろう。
少なくとも東京店においては、人類みな麺類は人気店ではあるけれど、そして味は爆発的にうまいけど、それでもカリスマ的なラーメン屋かと言われるとまだ疑問符がついてしまう。しかし、関西エリアではその影響は隅々まで波及しているのを、ぼくはこの目で目撃してこの舌で堪能している。松村社長の世界観のインストールはすっかり完了していると言い換えることもできる。
この世界観が東京でもインストールされるかどうかが、今後の人類みな麺類の経営の分水嶺となるのだ(主観)。東京の人も、ぜひ恵比寿の人類みな麺類に足を運んでもらいたい。
味は本気でうまかった。
ブランディングについてはこちらでくわしく書いています。
もっとくわしく具体的に学びたい人はこっちもチェックしてみてください。
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