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紅茶しかない風景

その日ついに紅茶の茶葉以外の食糧がなくなった。
厳密に言えばマヨネーズとサラダ油はあったが、調味料や調理油を食材にカウントしない程度の分別は残されていた。
何故そのようなことになったのかと問われる向きもあろうが、特段の理由はない。単純に金がなかったからである。

社会に出たら嫌でも40年程働かなければならない。年金受給開始日の引き上げ如何によっては50年を超す可能性すらある。だからせめて大学生の間は絶対に働かない。
大学生だった頃の友人の言である。
モラトリアムの間、親の脛を骨の髄までしゃぶりつくすことを決めた本当の漢の言葉に強く感銘を受けた僕は即座にバイトを辞め、日がな一日読書に耽るか、パソコンでフリーゲームを堪能するなど極めて充実した毎日を送っていた。
学業にも打ち込む余裕ができた。まったく大学に行ってなかったのが、ごくたまに気が向いた時には講義に参加するという著しい学生生活の改善を見せたのである。
正に良いことづくめであり、僕はより一層強固に働かないことを決意した。

しかし、当時の僕は一つ失念していたことがあった。
先の友人の実家は豪農の類であり、金はもちろん米やら野菜などの仕送りが充実していた。であるからこそバイトをせずとも日々を送れていたのである。
家賃以外の仕送りが2万円であった僕が真似をした場合の帰結は明らかである。バイトで稼いだ貯金は早々に使い切り、幼少の頃からひそかに貯めていたお年玉もなくなった。たちまち金欠に陥ったのだ。仕送りまで2日を残して手元には百円に満たない。家にある食材は食いつくしてしまっている。
そして冒頭のような状況に陥ったのである。

紅茶の茶葉は大きな袋に入っていて、そこそこの量があった。これはサークルの歓迎会での余興で入手したものである。
ペットボトル紅茶を飲むならともかく、喉の渇きを潤すために茶葉から紅茶を作るなどといった高度な文明的振る舞いは僕には困難であり、そのため封も開けないまま食糧庫の奥深くに安置されていたのだ。当時の僕にとって飲み物とは、カルキ臭い水道水か高濃度のアルコールが含まれている物かのどちらかであったからという理由もある。
そんな事情はともかく、その状況下で出来ることは限られている。
そう茶葉を食べるしかないのである。

乾燥茶葉をそのまま食べるのは具合が悪い。カフェイン中毒も怖いが、なによりもまず単純に不味そうである。
空腹の中で思案した結果、大鍋に茶葉をすべて放り込み大量の出し殻を作るという画期的なアイデアを思い付いた。出し殻はすなわち野菜みたいなものであり、これと調味料や油を駆使すれば2日は耐えきれそうだった。
副産物として出来上がった大量の紅茶もある。もはや貴族のような優雅な食事が出来るといっても過言ではないように思われた。
しかし、そう上手くはいかないのがこの浮世である。

もし現在進行形で同じような苦境に喘ぎ、今正に茶葉にむさぼらんとする学生がいるなら伝えておくことがある。
茶葉にはマヨネーズは合わないから止めた方がいい。茶葉の酸味とマヨネーズの油っぽさが絶妙に絡み合い、えも言われぬハーモニーを奏で始めるのである。もちろん悪い方に。

不味さに目が覚めた僕は、仕送りを入手し腹を思う存分満たした後、バイトを再開することを決めた。出し殻をマヨネーズで食べるよりも働く方がまだましだと悟ったからである。

あれから十年以上経ち、今や僕も紅茶をまっとうにたしなむことがある。休日に妻が紅茶を飲むついでに僕の分も作ってくれるのである。
ゆっくりと紅茶を飲むたびに今でも思い出すのだ。あの愛すべき馬鹿馬鹿しい日々を。

綺麗にまとめた感を醸し出そうとしてみたがどうだろうか。とりあえず、紅茶を雑に扱っていると言われると強く否定できない。
コンテストのコラボ先であるキリンの午後の紅茶にはごめんなさいをしなければならないかもしれない。多分こんな文章を期待した企画ではなかったであろう。
紅茶はさておき、ビールの一番搾りは大学生の頃より愛飲している。どうかそれでチャラにしていただきたい。

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