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あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 7月編

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「あの日のわたしたち」7月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーター…
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#さいたまダービー

7月31日(1993年) 大敗のあとPK勝ち、五分のスタートに希望

 Jリーグ元年。浦和レッズは最初の大会である1stステージを3勝15敗の最下位で終わった。しかも第16節には、ホームの駒場競技場で鹿島アントラーズに敗れ、相手にステージ優勝を決められる、という屈辱も味わった。  前年のナビスコカップ予選リーグ5位、天皇杯ベスト4という成績から考えれば、優勝候補とは言えなくても中位で終わってもおかしくないと思っていた。  主力として獲得した2人のアルゼンチン選手が絶不調、相次ぐ選手のケガなどが不振の直接的な要因だと思われるが、当初は専用の練習場

7月9日(2005年) 気持ちで実力を上回られた試合

 問題。  次のダービーの中で、J1での通算対戦成績が最も偏っているのはどの組み合わせか。 「F東京vs東京V」「千葉vs柏」「横浜Mvs横浜F」「横浜FMvs横浜FC」「磐田vs清水」「G大阪vsC大阪」「浦和vs大宮」  答えは最下部。 それまでは普通に「大宮戦」だった  2005年7月9日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアムに大宮アルディージャを迎えて 、J1リーグ第15節を行い、1-2で敗れた。Jリーグで初めてのさいたまダービーだった。  それ以前も浦和市と大宮市と

7月9日(2005年)このダービーから始まった裸の戦士との歩み

自分にとってこのダービーはサポーターとしての自分の方向性を決めた試合だった。 スタジアムに通いはじめてからゴール裏の色んな場所でとにかく浦和レッズの力になるために熱く戦ってきた。 サポーターは試合に行って声と手拍子で選手に力を与えて試合結果に一喜一憂するものだと思っていた。 ただ、次第に自分の中で一つの疑問が浮いてきた。 試合で頑張るだけがサポーターなのか? 自分の中ででた結論はゴール裏でカリスマ的存在の人の近くで行動する事だった。 自分にとってゴール裏のカリスマは裸の戦