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黒猫を飼い始めた


黒猫を飼い始めた。

在り来りだけれど、チビと名付けたソイツは一晩で倍の大きさに成長した。その次の日も倍の大きさになった。

私の狭いワンルームでは、体の向きを変えるのですら困難になってきた頃、さすがに不味いと思い友人の里子に電話した。里子はペットショップの店員だった。

「飼い始めた黒猫がデカくなった」

「そりゃ動物だから、成長はするよ」

「ちがうちがう、部屋と同じ大きさになった」

「なにが?」「猫が」「は?」

「だから、猫がありえない大きさになったの!」

「猫がアンタの部屋と同じ大きさになったの?」

「そう。どうすればいい?」

「うーん、直接見て見ないと信じられない」

「そりゃそうか」

というわけで、数十分後、里子は私の部屋までやってきた。

扉を開け、私越しに部屋の中を覗いた里子は数秒動きを止めたあと、「あー」と言った。

「こりゃでかい猫だ」「そう言ったじゃん」

里子は顎を撫でながら眉間に皺を寄せた。

「こういう時、どこに連絡すればいいんだろう。警察とか?」

「警察がこの猫どうにかしてくれんの?」

「いや、ふつうに撃ち殺されるかも」

「それは嫌、デカくて怖いけど、それでも私の可愛い飼い猫だから」

「名前なんだっけ」「チビ」「ウケるんだけど」「何日か前はほんとにチビだったの」

里子は私の部屋に上がり込み、チビを観察し始めた。チビは私たちにお腹を見せて横になっている。というより部屋に挟まっている...。

チビの毛は身体の大きさに比例して太くなっていて、触るとすこしチクチクする。

里子はチビのお腹に思い切り飛び込んだ。「モフッ」と聞こえてきそうだ。そして、押し返されてしりもちをついた。

「すっげ。でかい猫ってこんななんだ」

「それ楽しいよね」

「てかこのままでいいんじゃない?」

「え、でも明日には倍の大きさになるかも」

「あー」

「そしたらこのアパート壊れるからね」

結局、警察に連絡する事になった。

馬鹿でかい猫が部屋を塞いでると言ってもイタズラだと判断されるかもしれない。里子の案で、部屋に人間の遺体があるとウソの通報をした。

すぐにお巡りさんが一人やってきた。

「これは..なんだ?」

お巡りさんはモフモフの塊に圧倒されているようだった。

「チビです」私が言う。

「いや、だいぶデカイですよこれ」

それを聞いて里子が噴き出した。

「こ、これ、猫で、名前が、チビ」

「猫?こんなデカイ猫...。ところでご遺体は」

「ご遺体があるというのは嘘です。すみませんでした」私はそう言って頭を下げた。

「虚偽の通報ですか。困りますよ。あのね、そういうのも立派な犯罪になるんですよ。どうしたものか...応援も呼んだし」

「いやいやお巡りさん、この猫をどうにかして欲しくて呼んだんです。でかい猫が部屋にいるって通報しても来てくれないでしょう」

「それはそうだけど、どうにかして欲しいって言われても。この猫が何かしたとか、そういう話なの?」

「何もしてないです」「なにも」私たちは言った。

「じゃあどうにも出来ないな。そりゃバカでかい猫だけど、それだけだから。いやぁ、でも確かにすごいもの見たな。いいよ、今回は何も無かったことにするから、もうイタズラ通報はやめるんだよ」

そう言うとお巡りさんは帰って行った。

「警察は役立たずだ!」

里子はお巡りさんが出て行った玄関にむけて怒鳴った。

「所詮、法に飼い慣らされた犬だね」

私も同調した。

「猫はけっして飼い慣らされないからね」

里子は力強く言った。


一週間後、チビは高層ビルみたいに大きくなって私の街を破壊して回った。チビはなんとなく散歩のつもりかもしれないが、巨大怪獣のように容赦なく街を蹂躙していった。

世界各国の軍隊がチビに向けて総攻撃を開始した。しかし兵器はまったく役に立たなかった。チビの体は硬かった。海を渡り、広大な砂漠を歩いているタイミングで核をぶつけたが、それでもチビはかすり傷ひとつ負わずに毛繕いしていた。

チビはゆっくりと移動した。一日の大半は寝て過ごすために、幸い人々が逃げる猶予はあった。

ある日、チビが日本に引き返してきた。まっすぐに日本を目指しているというニュースがテレビで流れた。

「このままだと三時間後には日本に到達するらしい」

幼馴染の悟からLINEが来た。悟は書店員だ。

「ヤバいね」

「君も早く逃げた方がいい」

「いや、たぶんチビは私に向かってきてる」

「どうしてわかる?」

「だって私の猫だから」

そう、私はなんとなくそんな予感がした。きっとチビはお腹がすいたんだ。あんなにデカいと食べる物もなかなか見つからないだろう。

最初から最後まであの子に餌を与えていたのは私だ。最後にチビに食べさせたのは、港市場で大量に買った魚だ。バケツ何個分か分からないけれど、脚立を使ってとにかくたくさんあげた。アパートは壊れた。

それ以来チビは何も食べていないのだろう。きっと今頃、お腹ぺこぺこで私のところへ向かっているに違いない。

「心配だから、僕も君の家に行く」

「いやいいよ」

「幼馴染を放っておけないよ」

「どうやって来るの」

「ごめん迎え来て」

悟は自転車移動だった。私は自動車を持っている。職場の書店にいる悟を迎えに行くことになった。

街はパニックに陥っていた。街から逃れる車で大通りは渋滞していた。裏道を駆使してなんとか悟の書店に辿り着く。

「悟!」

閑散とした書店内で叫ぶと、奥からエプロン姿の悟が姿を現した。

「こんな時になにしてるの」

「売り場の整理だ」

「バカなん?もうチビがくるよ。意味ないよ」

「僕はさ、読書に、いや、本に生かされてるんだよ」

「は?」

「僕はここに並んだ文学たちに生かされているんだ」

「あっちはいいの?」

私はとある棚を指さした。前回チビがこの街を歩き回った振動で棚から落ちたのだろう。そこだけがまだ片付けられていなかった。上のプレートには「ライトノベル」と書かれている。

「ライトノベルなんて文学とは言えないだろう。あんなお粗末な文章、紙の無駄遣いだ」

「酷いこと言うね」

「純文学こそ至高。高尚な文学。それ以外守る価値なんてないね」

その時、地面が微かに揺れた。チビが近付いてきている。思ったよりも早い。

「よくわかんないけど、行くよ。時間ない」

「ああ、さよなら。僕の人生。必ず迎えに来るからね」

名残惜しそうな悟を引っ張って書店を出ると、百メートルほど離れたところにチビがいた。周囲は破壊され、座って前足を舐めている。

「チビーーーー!!」私は叫んだ。

すると、チビは舌を引っ込めてこちらを向いた。

「ニャーーーーーーーーーーーーーーー」

それは、鳴き声というより、咆哮だった。

「僕は高層ビルのように大きな黒猫を見上げた。その猫は空に向かって鳴いていた。その声はまるでジャズのサックスのように切なくてどこか荒々しくて、美しかった。僕はその猫に何かを訊きたかった。なぜそんなに大きくなったのか。なぜそんなに悲しいのか。なぜそんなに美しいのか。でも僕は何も訊けなかった。僕はただその猫の目を見つめた。その目は深くて暗くて、僕の心の奥底にあるものを映していた。僕はその猫の目に自分自身を見た。そして僕は泣いた」

突然悟が訳の分からないことを言い出した。

「は?なに急に。きっしょ」

「一言で言えば、エモい、かな」

「前から思ってたんだけど、それなに?ポエム?よくわかんないけどさ、誰かの真似?やめた方がいいよ。きもちわるいから」

「じゅ、純文学だよ。わからないのかい?こうやって美しい言葉で表現するのさ。猫は毛繕いをしていた。その仕草はとても可愛らしかった。まるで王様が自分の王国を整えているようだった。僕は猫になりたいと思ー」

「あーもううるさい!早く車に乗れ馬鹿」

その時、目の前で悟が潰れた。ペシャンコの肉片がそこにできあがった。

チビの足だった。チビは私を見下ろして、もう頭上まで来ていた。

もう片方の前足が書店を潰した。

一瞬で書店は瓦礫になって、そこに白い紙吹雪が、バラバラの言葉達が、ヒラヒラと舞った。

その光景を見て、私は呟いた。

「エモい」

ー終ー

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