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2020年4月15日の『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』

パン屋、ミニスーパー店員、専業主婦、タクシー運転手、介護士、留学生、馬の調教師、葬儀社スタッフ……コロナ禍で働く60職種・77人の2020年4月の日記を集めた『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』。
このnoteでは、7/9から7/24まで毎日3名ずつの日記を、「#3ヶ月前のわたしたち」として本書より抜粋します。まだまだ続くコロナとの闘い、ぜひ記憶と照らし合わせてお読みください。

【コロナ年表】四月一五日(水)
俳優の石田純一さんの感染を所属事務所が発表。アメリカで死者が三万人を突破。

ごみ清掃員

❖ マシンガンズ滝沢/四三歳/東京都
リモートワーク不可能なごみ回収の現場で、目に見えぬウイルス感染の恐怖と闘う。Twitterでごみの出し方について漫画を投稿。

2020/04/15 水
 殺意を覚える時がある。
 感染リスクがあるのにも関わらず違反ごみを出されると見過ごせない。可燃ごみの中にびんや缶を入れられると持っていけないので、その場でびんを取り出して、その場に置いていく。
 この日はエナジードリンクだ。不思議なことにエナジードリンクを飲む人はあまり分別をしない。あまり年輩の人が飲むものではないので、きっと若い人だろうが、こんな時でも見てしまったら袋を破って、取り出さなければならない。袋を破れば見えないウイルスが飛び出すかもしれないと思いながら破く。そこまでしなければならないかと思いつつ、七年間の習性を止めることは出来ない。出す方は一本くらいわからないだろうなんて思いながら可燃ごみに缶を混ぜるが、全ての清掃員は全部わかる。出来ることなら本人に直接注意をしたい。捨てる方はほんの軽い気持ちだろうが、この状況だと数%でも命に関わる。俺はかかってないから大丈夫だよと思うかもしれないが、こっちからすると不特定多数のごみを回収するから自宅療養されている人のごみかどうかわからない。
 昨日届いたシュノーケルのようなメガネを今日から掛けだした。目からの感染を防ぐために用心するためだ。
 僕はコロナウイルスにかからないためにもそこまでしている。

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留学生

❖ 伊子/二三歳/東京都
学校もアルバイトも休みになってしまった。明るい自分なのに、泣いてばかりいた中国でのつらい少女時代を思い出してしまう。

4/15 水
 緊急事態宣言九日目。

「イコはさあー、真面目すぎじゃない?」「この世界は、あなた一人が何をしても変わらないよ。変わらないから何もしない方がいいよ。」って日本人の知り合いに質問され、忠告された。

 そうだね、無関係を装う日本人はたくさん存在する。私はとってもとっても、真面目な人だよ。

 若くて真面目な私は、毎日社会問題と向き合っている。女性の社会的地位、LGBT問題、人権問題など興味が尽きることがない。

 私が社会問題に興味があると、周りは暗いと言う。

 そうだね。じゃあ、なぜ私はいくら辛くても自分の意見を発信するの?

 小学生の時友達の力でサポートされたけど、中学生の私はいじめられ子だった。私はいつも何も言わない。クラスメートは私のことをいじめても大丈夫だ。害がないと思ってしまっていた様です。もちろん、反抗したこともあったけど、一人の力は小さ過ぎて仕方がなかった。家族も毎日叱ってくる。「それはお前の自業自得だ」と言われ続けた。毎日学校へ行く時も地獄へ行く感じがしていました。

 中学二年生の時、自殺しようと思った時、ある女の子が現れた。身長が低くてとても痩せているが、勉強が得意な女の子だった。

 彼女がある日、私が家に帰る時に突然話しかけてきた。「私も近くに住んでるから、一緒に帰りましょう」。

 その日から、毎日二人で一緒に学校へ行って家に帰って、宿題のわからない部分を教えてくれた。

 彼女はめっちゃ変な人だ。私はそう思った。だって、私と友達になったら、たぶん他の人も彼女のことを一緒にいじめる。けど彼女は、毎日私を笑わせて、私と一緒に変な言葉を言いながら、単純に「ただあなたは善良な人だから、私はあなたの友達になりたい」って言ってくれた。

 そんな細くて小さい彼女は、私がクラスメートの男子にいじめられた時、私の前に出て、その男子に「お前、なにを言ってるの? クソヤロウ、死ね!」って言った。

 ある時、彼女によって、私の考えをチェンジさせる出来事があった。その日、学校が終わって一緒に帰る時、突然雨が降ってきた。「どうしょうか」私がつぶやいた。その時彼女は自分のバッグを開けて、一枚しかないレインコートを取って、私の頭の上にかぶせた。

「それじゃあ、あなたはどうするの?!」と、私が声をかけた時、彼女は「大丈夫よ、心配しないで!」と言いながら、雨の中で走って家に帰った。

 私は雨の中で立って、しばらく涙が出て止まらない。

「私はその人に愛されてる。その人の為に、チャント生きなきゃ」と頭の中で浮かび上がった。

 私はやっとできました。家族と離れて、卒業して毎日バイトをしながら日本語を独学していて、子供の時から大好きな日本へ来ました。日本でバイトも生活も忙しくて大変だし、今も心の中に暗い所があるけれども、私は少しずつ強くなった。

 今は顔をあげて綺麗な空を見ると、自由な感じがする。それだけでやる気が出る。

 今までも、彼女が私を気にかけてくれて、彼女がいるからこそ、私が今生きてる。もし彼女が「なんでもいい」と思うような無関心の人なら、今の私は存在しないと思う。

 幸いに、私の周りも、彼女と私とのように社会問題に向き合う人がいる。日本人も台湾人も中国人もいる。彼らは言う。

「一人の力は小さいけど、皆一緒に頑張ることに意味がある!」

「何に対しても私と関係ないって思ったら、終わりじゃん?」

「何も言わない方が自分のため? 私はそんな考え方が嫌で仕方がないんだ!」

 いくら濁ってる環境で生きていても自分が悪くなる理由にはならないと思う。私は、もっと私みたいに、檻の中に閉じ込められて苦しんでいる若者たちに手を差し伸べたい。周りのみんなを影響して環境を生きやすくなるようにしたいとの夢がある。

「あなたは一人じゃない、ここに仲間がたくさんいるよ」と。

 私は、一人の小さな力でもいつか世界を変えることができるかもしれないと思う。

 ずっとそう信じてる。

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落語家

❖ 立川談四楼/六八歳/東京都
妻と息子の三人暮らし。長く続けてきた独演会を断念。寄席は休業、落語会は全面中止で、高座を失った若手落語家の生活も心配する。

四月十五日(水)
 四月は言うに及ばず、五月まですべての落語会がキャンセルになった。それを充分承知のはずなのに体が反応する。「今日は独演会だ。大変だ、ネタをさらわなきゃ」と。偶数月の十五日、それが私の落語の核を成す「北澤八幡独演会」なのだ。
 数えること第二百二十九回、雨だろうと暴風だろうと開催した、そんな独演会をついに休むことになった。神前で式を挙げ、その後の結婚披露宴を催したこともあるという、舞台付きの和の空間、キャパは百といったところか。
 立川流発足直後、寄席への出演を失い、高座確保のために始めた会で、最初の毎月開催にくたびれて偶数月として久しく、会場を変えずの独演会二百回超えは珍しいのだそうな。談春や志らくがこの会の前座を務め、楽屋で働いたと言えば、おおよその歴史が分かるだろうか。
 中止になったんだと言い聞かせ、夕方から飲む。会場内で行われる打ち上げの乾杯は午後九時、その時間にすでに酔っ払っていることで、中止になったということを体に思い知らせる。どうやら体は納得したようだ。
 でも飲みながら、惜しいと思い続けた。何十年という継続が途切れたこともあるが、今日はその会がサイン会になったはずなのだ。
 三月、私は本を二冊上梓した。『落語家のもの覚え』(ちくま文庫)と『しゃべるばかりが能じゃない』(毎日新聞出版)だ。落語を聴いてもらい、本も買ってもらう。出版の度に続けてきたことで、独演会をあちこちで催しているので、この売り上げがバカにならない。そして今回、そのために仕入れた本と、そのために作ったチラシが宙に浮いたのだ。酔ってそのことをグズグズ言い続けたのをかすかに覚えている。困ったことに、今度は気持ちが納得しないのだ。

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(すべて『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』より抜粋)



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