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やくざの制裁はとどめを刺さない/町田康

【第44話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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 一方その頃、弁五郎はと言うと、コン吉という百姓の家に隠れていた。村はずれの小さな百姓や、小川武一と次郞長が復讐しに来ることを予測して、いち早く逃亡したのである。
「いいか。俺が匿ってやるから、こっからけっして出るんでねぇぞ」
 コン吉はそう言うと弁五郎を家の裏手の物置に案内した。畳二畳分ほどの本当の物置で、農具や肥料などがしまってあった。狭い、汚い、暗い、臭いところであった。案内された弁五郎は板壁の破れ目から外の様子を窺った。裏は畠になっており、少し先の土手には、春うらら、桜が咲いており、その下を行き交う人はみなニコニコ笑い、楽しげであった。それを見て弁五郎は溜息を洩らし、
「あーあ。他の人は楽しく春を満喫して、中には酒や弁当を持って花見に行く人もある。だのに、なぜおいらだけこんな憂き目に遭うのか。おいら、人を愛しただけなのに」
 と独り言を言い、そしてそれ以上、楽しそうな人の姿を見ているのが辛くなったのか、破れ目から目を放すと、物置の隅に積んであった藁の上に背をもたせかけて膝を抱え、
「人を愛するのはそんなにいけないことなのか」
 と言って啜り泣いた。

 それから暫くしてコン吉方の家の戸の前に二人の男が立った。次郞長と武一である。次郞長が言った。
「ここか、その弁五郎と仲がいい、コン吉って野郎の家は」
「あー、そうだ」
「よし、じゃあ、なか入って聞いてみよう」
 と二人、ガラガラ、と戸を開けて中へ入っていった。入ったところは薄っくらい土間で、その先の、やっぱり薄っくらい板敷に背を丸めてコン吉が座って、なにか針仕事のような事をしている。そのコン吉に武一が声をかけた。
「おい、コン吉」
「へっ? あー、誰かと思ったら小川の武一か。なんだい、なんの用だい。ここに来たからには俺になにか用があって来たんだろ? 言えよ。その用を俺に言えよ」
「言うよ。おめぇのところに弁五郎が来てるだろう。ちょいと用があるからここへ呼んでくれ」
「なんだと思ったらそんなことか。弁五郎は来てねぇよ。来ていたら来ている。来ていたら来ていねぇ。そういう意味で来ていねぇ」
「そんな訳ゃねぇ。弁五郎がてめぇの家の方に歩いてくのを見た奴がいるんだよ。隠し立てすると為にならねぇぞ」
「隠し立てしない。弁五郎はいない」
「本当に居ねぇのか」
「ああ。居ないですよ」
「だったら家捜しするぞ」
「家捜し? ああ、いいさ。家捜しだってなんだってするがいいさ。広くもない狭い家だ。押し入れから天井裏から床下までくまなく捜すといい。絶対に居ないから。その代わり……」
「その代わり、なんだ」
「裏の物置だけは絶対に捜すなよ」
「おいっ、次郎、弁五郎は裏の物置だ、さっ、捕まえよう」
「合点だ」

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