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【試し読み】"Nude 肌色は何色か"(後半)『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』

『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』は、アメリカで最も歴史ある辞書出版社メリアム・ウェブスター社の名物編纂者が、辞書編纂の仕事をユーモアたっぷりに紹介つつ、「英語とは何か」にさまざまな角度から光を当てる1冊です。
刊行から3ヶ月経った今も話題が冷めやらず、このたび晴れて重版となりました。
重版を記念して、13章「Nude」後半の試し読みを無料公開しています。
前半はこちらから。

Nude 肌色は何色か


 辞書編纂者の間では、色の語釈はとかく難しいと恐れられている。カタログに印刷された説明だけを頼りに“nude”という色を正確に言い表さなければならないのだが、このカタログというのは得てして役に立たない。たとえばこう。「クランベリー、モーヴ、ホーリー、ネイヴィー、ヌード、エボニー、コーラルの各色とも、レディースのS、M、Lサイズで展開」辞書編纂者にしてみれば、まるで白雪姫の7人の小人たちの名前が並んでいるようなもので、“nude”とは具体的にどんな色なのか、ヒントになる材料がまったくない。ファイルはこんなものだらけ。カラー図版もなければ、役立ちそうな画像もない。ただカタログのコピーが大量にあるだけ。

 苦情のピリッと辛い芯─「白人の肌」に言及した種差、そして“having the color of a white person’s skin”〈白人の肌の色をしている〉という8語の語釈に加えられる、有色人種が白人の世界を生きることの重み─を、こうしたファイルの資料でくるんだタマネギからは、どうスライスしても消化不良と涙しか生まれない。

 わたしは机に突っ伏し、さらにマウスパッドに悪態を吐きつづけた。

 扱いの難しい話題についての問い合わせがメールで届く場合はいつも、そして複数の人から送られてくる可能性がある場合は特に、返事を考える際に自分よりもよくわかっている人に相談することになっている。わたしはこの件に関する一連のメールを辿ってみた。デジタル部門のひとりがすでに対応を始めていた。どのように対応すべきなのか。この語釈に問題があるのだろうか。自分としては、どう見てもこの語釈に問題がないとは思えない。用例をざっと見直す必要がある。引用例のデータベースにアクセスし、この特定の語義と組み合わせられそうな語を考えつくかぎり挙げ、その語の近くで“nude”が使われている例を探した。目を閉じて、キーボードの上で指を小刻みに動かしながら、自分の語感をたたき起こし、頭の中の引用ファイルを引っかき回しはじめる。“nude”という語はどんなものに使われる? ストッキング、ブラジャー、下着はもちろんそう─この3つを検索条件に加えた。どんどん掘り続けろ、と自分に発破をかける。ほかには? どんな洋服にも使えそうだけど、カーキズボンを“nude trousers”と呼ぶ人はいなそう。ああ、でも“nude dress”は─そうだ、この組み合わせは見たことがある。わたしはこれを検索条件に加え、それからまた目を閉じた。頭の中でカタログがパラパラとめくられ、おびただしい数の足が浮かんだ。そうだ、“nude pumps”。検索エンジンが結果を吐き出しはじめた。よし、これで順調、間違いなし。

 わたしたちが“nude”という色の意味について集めていた実例は、恐れていたとおり、写真がなければ完全に役立たずだった。「ヌード・シルククレープのフリンジ付きドレス」とか「ブラジャーはほぼヌード一色で揃えるべき」とか「ヌード・ストッキングを穿いたキュッと引き締まった脚」とか─これらネイティヴ・スピーカーが何気なく使う“nude”の用例からは、それが具体的にどんな色なのか、なんの情報も得られないのだ。

 その間に、メールでのやりとりは哲学的な方向へと発展していた。ある編集者はこの語釈を擁護した。色の語釈は現実世界にあるなにかにたとえる方法が慣習となっているし、効果的でもある。“nude”は、薄い黄褐色や黄色がかったピンクから濃い褐色までの色幅を指すとも言えるが、このように抽象化してしまうと、辞書のあちこちを駆けずり回ってまた違う色を参照する羽目になり、結局は有用な情報を伝えられない、と。「これは優れた語釈だ」というのがこの編集者の下した判決だ。

 わたしは何度もうなり声をあげた。理論の世界では、これは非の打ち所のない優れた語釈と言えるだろう。でも、わたしたちは理論の世界に生きているわけじゃない。わたしたちが生きているこの非常にリアルな世界では、ファッションから写真フィルムの色のとらえ方にいたるまで、とにかく白いことがもてはやされる。今日、色の語釈に人種を引き合いに出すなんて、控えめに言っても無神経だし、まあずばり間抜けとしか言いようがない。止めといたほうが身のためだと思いつつ、わたしは口を差しはさんだ。現状の語釈は、人種的観点からとらえる必要のないものに不必要に人種差別的性格を与えている、とわたしは書いた。やった、ひとり賛成してくれた。とはいえ、この語についてはいったいなにが真実と言えるんだろう。“nude”という色の名前を生んだ白人中心のファッション業界を無視する語釈がいいのか、ぞんざいでもアメリカにおける人種差別の歴史の片鱗を伝えようとしているものがいいのか。

“nude”という語に社会言語学上どんな含みがあるにしろ、メール担当の別の同僚によると、いまや回答を待っている怒りのメールはどんどん増えているという。そうしたメールの書き手たちは変化を求めているのだ。わたしたちはその人たちに変化を与えることになるのだろうか。

 このデジタル時代においても、辞書編纂というのはほとんどの人が求めるよりもゆっくりとしたプロセスで進む。この語釈を修正すべきかどうかを見きわめるには、引用ファイルを細かくチェックしなければならない。わたしはデータベースで“nude”という語を単独で検索してみた。すると、1000件以上がヒットした。これをふるいにかけるには時間がかかるだろう。おそらくインターネットで画像を探し、それを手作業でデータベースに加えなければならない。わたしたちの引用プログラムだと、インターネットから読みこめるのはテキストだけだからだ。もしこの語釈の修正が必要なら、だれかが画像を見つけ、それをだれかが厳しく吟味し、それから別の編集者が整理して相互参照を付けなければならない。さらに、それを実際にウェブサイトに加えるには、次のデータ・アップロードを待たなければならない。どの作業も10分やそこらでできるようなものではない。

 ほかの編集者たちが返信内容を打ち出していたので、わたしは引用をめぐる洞窟探検は棚上げした。この語釈は古くさく感じたし、少なくとももっとマシな表現ができるのではないかと思ったものの、みんなと同じように締め切りに追われていたのだ。時間ができたら、もっと深く掘り下げるべきだろう。

 しかし、こういった問題は、頭の中で穴を掘りつづけ、もぞもぞ動きまわるものなのだ。数週間後、子どもを買い物に連れ出す「いいママ」になろうと、わたしは15歳の娘と大きなデパートの通路を歩いていた。本当はモールをぶらぶらして午後を過ごすくらいなら、プライヤーで指の爪を引き抜くほうがマシなんだけど。娘の課外活動に必要なものを選ぶという名目だったが、なんと、娘がファンデーションとマスカラを切らしていると言いだした。すっかり忘れていた、と。「忘れた」わたしは抑揚のない声で言った。わたしの午後が、ポップミュージックがかすかに流れ、蛍光灯に照らされたリノリウムの通路という果てしない地獄絵に変わっていくのが見えた。娘は顔を輝かせた。「ここで買っちゃった方がいいよね!」

 ディープ・ブラックのマスカラか、ブラッケスト・ブラックのマスカラかで迷う娘を待つ間、わたしの目はメーキャップの棚をさまよっていたが、そこでハッとした。棚からメーキャップの箱をひとつつかみ、空いている手でハンドバックの中をガサゴソと探って、携帯電話を取り出す。娘がいぶかしげに目を細めた。「なにやってるの?」

 わたしの手には、白から焦げ茶までの色味が揃ったアイシャドウのセットが握られている。わたしはその腕をいっぱいに伸ばし、手探りで携帯電話のカメラを起動させた。ビー、カシャ。“NUDE palette”と書かれたパッケージに包まれ、色調順に並べられたアイシャドウ。これで、引用ファイル用の申し分ない写真が手に入った。箱を棚にもどし、娘のほうを見ると、娘はわたしをじっと見つめている。まるで、引退まで2公演を残し、お約束のパイが顔に飛んでくるのを悲しげに待つサーカスの道化師みたいに、人生に嫌気がさしたという顔で。「また仕事用の写真?」

「1枚だけだから」

「もう」娘はぶつぶつ言った。「せめて、そのさ、普通の人みたいな生き方ができないわけ?」

「ちょっと、わたしは辞書人生なんて選んだ覚えは─」

「とにかくやめて─」

「─辞書人生が─」

「ママ─」

「─わたしを選んだのよ」わたしがこう締めくくると、娘は頭をのけぞらせ、怒りのため息をついた。

 翌日、わたしは職場で“nude lip”、“nude eyeshadow”、“nude makeup”をインターネットで画像検索し、忘れずに「職場閲覧安全」フィルターをオンにした。IT管理者に会社のプロパティを使ったインターネット検索はすべて記録され精査されるとメールで注意されてたから。“nude”と銘打たれた茶色、濃いピンク、モーヴの口紅の画像が次から次へと釣れた。さらに黒から白にいたるまで、そしてその中間の茶色と灰色のあらゆる色味のアイシャドウ、落ち着いた色味が虹のように並んだ“nude”と呼ばれるパレットには、メーキャップ音痴のわたしには「緑」や「青」に見える色─間違いなく白人の肌に似合わない色─まで入っている。

 口紅の画像をひとつ保存しようとしてクリックし、それに付けられた商品名を見て息をのんだ。“12 Nude Lipsticks That Are Actually Nude on Darker Skin”〈濃い肌につけても自然な肌の色に見える肌色の口紅12色〉だ。色を表わす“nude”という語が、ベージュや黄褐色だけを指すのではないという証拠画像は手に入れていたが、この商品名はわたしが扱い慣れた平易な言葉で書かれている。おまけに、使い方も完璧。濃い色の肌を指す2番目の“nude”は、ごまかしのない、完全な慣用語法になっている。自分のブースでいきなり歌いだし、得意げにムーンウォークを始めたい気分だった。そうしてもクビにならないならだけど。

 そんなわけにもいかないので、わたしはスティーヴにメールを送った。機会があれば、絶対に“nude”を修正すべきだ、と。スティーヴは修正案を書いて返信してきた。現状の語釈が不正確なのは語釈の幅が狭すぎるからだというスティーヴの修正案は、「人の肌の色調に合った色であること─特に女性の下着に使われる」だった。確かによくなったけど、「特に女性の下着に使われる」という語法欄の説明は、“nude lip”や“nude makeup”など、わたしが最近探していた“nude”のほかの用法まで網羅できていない、と返信した。スティーヴは語法欄の説明を省いて─たとえば、“nude pantyhose”とか“nude stockings”といった─読者の理解を助けるような例文をいくつか入れたらどうかと返信してきた。

 その修正案はよさそうだったが、わたしたちはそれを数日寝かせておいた。語釈はどこか“stew”〈シチュー(4aの意味)〉に似たところがある(*原注3)。長く寝かせれば寝かせるほど、美味しくなるのだ。スティーヴがさらに別の修正案を送ってきた。「人の肌の色に合う色(typically a pale beige〈通常は淡いベージュ〉)であること─nude stockings」である。

 それが画面に表示された途端、むずむずしてきた。ふたりとも“typically”〈通常は〉の部分がしっくりこなかったのだ。「一方では」とスティーヴは書いてきた。「正確と言えるだろうが、その一方で……」“nude”という語は、通常、淡いベージュを指すのに用いられている? わたしたちの最近の探検からすると、そうは思えない。“typically”は、“nude”という語が淡いベージュを指して使われるのが“normal”〈普通〉だとほのめかしているのだろうか。だとすれば、この説明も白い肌が標準だと別の言い方で匂わせることになる。わたしはそれを“often”〈しばしば〉に変えてはどうかと提案した。スティーヴはお墨付きの決まり文句“such as”〈〜などの〉を使うのが最善の策だろうと反論した。つまり、「人の肌の色に合った(淡いベージュなどの)色をした」となる。

 ぴたりとはまる語釈に近づくといつも沸きあがるあの感覚、脳内でなにかが分裂して頭に鳥肌が立つような感覚が起こっていた。語釈を書くときに括弧の中で“such as”を使うと、複数の限定語が使えるようになる。括弧の挿入句に「あるいは黄褐色」を加えて、“nude”が広い色幅を表わすことを明確にしてはどうか、とわたしは提案した。スティーヴはこれに賛成し、「『人の』を『身につけている人の』に変えてもいいような気もしてきた」と言った。わたしにはよくわからなかった。結局のところ、“nude”と呼ばれる色がすべて、身につけている人の肌の色調に合うとは限らないのでは? わたしは自分の案を見直すことはまったく気にならないし、いますぐ再検討するつもりだ、とスティーヴに言った。

 スティーヴは「身につけている人の」とするメリットは、この意味が自転車や食パンのようなものではなく、着るものに限定されることをさりげなく伝えている点だと説明した。「ただし、本当にそうしたければ、食パンだって身につけられるけどね」と言った。どうぞご自由に、とわたしは答えた。

「身につけている人の肌の色に合う(淡いベージュや黄褐色などの)色をした─nude pantyhose、nude lipstick」という修正がデータファイルに入力された。ファンファーレも告知もなし。メールを送ってきた人たちが“nude”という色についてどれほど熱い思いを抱こうと、わたしたちにとってはありふれた項目のありふれた語釈にすぎない。それを修正したら、また先へ進むだけだ。

 こうした手紙に返事を書くようになって、言葉の使い方は人によってさまざまだということをはっきりと思い知らされた。“misogyny”〈女嫌い〉や“misandry”〈男嫌い〉に、公正さや正当化を求める怒れる人々、“misdemeanor”〈軽罪〉と“felony”〈重罪〉の違いを説明してほしいと言ってくる拘留者、子を亡くした痛みを端的に表わす、“widow”〈寡婦〉や“orphan”〈孤児〉のような代用語を知らないか、見知らぬ人に自分たちの喪失感を説明する辛さを味わわずにすむ言葉を知らないか、とすがるような思いで書いてくる親。わたしたちは、言葉が意味を持つだけでなく、発言の意図を伝えてほしいと望むが、こうした手紙からはその違いが肌で感じられる。

 手紙やメールのやりとりは辞書編纂者の本業ではないが、最終的には英語─テレビドラマ「デイズ・オブ・アワ・ライブス」の筋を全部足したよりも込みいった難しい言語─を人間味のあるものにする方法となる。孤独と静けさを好み、それで給料がもらえる職場で働くことを選んだ人間が、結局のところ英語の裏で何千もの人々と人間的に結びついているというのは、なんとも皮肉だけど。

 わたしたちは、愛はどれくらい長つづきするかという質問に答えた。当然のことだ。辞書の裏にある広告文がそう約束しているのだから。

[削除]様
 お手紙をありがとうございました。しかしながら、愛はどれくらい長つづきするかというご質問は、わたしどもにはお答えできません。辞書編纂者は単語の語釈を書くことを得意としています。しかしながら、心の奥底で感じる人間的な感情の性質や永続性についての質問は、わたしたちの専門分野からは少々外れております。
 お役に立てず、申し訳ありません。
 敬具

 スティーヴン・J・ペロー


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*原注3 stew \ˈstü, ˈstyü\ 名詞−1.(廃):シチュー鍋、2.蒸し風呂、3.売春宿、4.赤線地帯—通例は複数で用いられる、4a.魚や肉を野菜といっしょに煮こんだ料理、b(1)異質なものが混ざった状態、(2)混みあって蒸し暑い状態、5.やきもきした状態、気をもむこと、混乱状態 (『カレッジ英語辞典』第11版)
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『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』
著:コーリー・スタンパー
訳:鴻巣友季子、竹内要江、木下眞穂、ラッシャー貴子、手嶋由美子、井口富美子
装丁:松田行正+杉本聖士
定価:本体2700円+税
46判上製/360ページ
2020年4月13日発売予定
978-4-86528-256-6 C0080



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