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【試し読み】ユリア・エブナー『ゴーイング・メインストリーム 過激主義が主流になる日』第2章「サブカルチャーの創生─インセルの潜入調査」

『ゴーイング・メインストリーム 過激主義が主流になる』(西川美樹訳・清水知子解説)は、フェミニストで研究者・ジャーナリストのユリア・エブナーが、大衆化した過激主義の現状を、潜入操作で解き明かすノンフィクション。
「ダイアモンド・オンライン」での著者インタビューの反響を受けて、第2章を試し読み公開します。既存の「男らしさ」に縛られることで自己肯定感を失った男性が、反フェミニズム、ミソジニーのヘイトを拡散する状況を描き出します。

 初めに逸脱したサブカルチャーがあった。
 心臓が早鐘を打つ。ラップトップを閉じて慌ててクローゼットの奥に押し込んだ。靴下の後ろに隠したから、たぶんあと数時間は見なくてすむ。ツイッター〔現X〕で匿名の誰かがたったいま送ってよこした、わたしと墓地の写った不吉な写真のことなど忘れてしまおう。とくに珍しくもないことだから。反フェミニズムの台頭について公に話をしたあとに続々と届く脅迫メッセージの、いちばん新しいやつというだけのこと。
 2020年代となると、公の場に立つ職業の女性にとって、オンラインのハラスメントから逃れるすべはない。125カ国の女性ジャーナリスト901人を対象にした2021年の国連の調査によれば、回答者の4分の3近くがオンライン上で何らかの罵りを経験していた。4分の1は性的な脅しや殺害の脅迫を受けていた。ほかに頻発するものは、個人データの流出、家族に対する嫌がらせ、標的型ハッキング攻撃などだ。
 この10年で反フェミニズムのヘイトが主流化している。その理由を知りたいと思った。最初に当たってみるべきは、インターネット上の最も急進的なサブカルチャーのひとつ、インセルだ。「不本意な禁欲主義インヴォランタリー・セリベイト」を縮めたこの「インセル」という言葉は、そもそもアラーナと呼ばれる若い女性が1990年代後半に思いついたものだ。アラーナは恋人や親しい相手を見つけることのできない孤独な人たちのための自助的フォーラムとしてこれをつくった。ところが月日がたつにつれ、インセルのコミュニティの大部分が暴力的なミソジニーへと急進化してきた。現在、彼らのオンラインのフォーラムには世界から数万人が参加し、女性の活動家やインフルエンサー、政治的指導者に対するヘイトキャンペーンでおなじみの、ミソジニストによる誹謗中傷や陰謀論の多くがここから次々に生まれている。
 これから入ってみるのは、インセル最大のふたつのフォーラム「Icels.is」と「Incels.net」、それから暗号化されたメッセージアプリのテレグラムやディスコード上にあるもっと親密なグループだ。インセルのコミュニティに加わるには、最初に彼らの「べし・べからずのルール」を把握しておくことが必要だ。ほとんどのグループは、社会に溶け込めないと感じる人に居場所を与える目的でつくられたものだが、皮肉にも彼らのフォーラムは、オンライン上でもとりわけ排他的な場所になっている。

ルール1:ミソジニストの大半は女性と話をしたがらない。だから男性のアカウントでログインするのがよさそうだ。

やあ、僕はアレックス。20代半ばで、この10年間ガールフレンドを探してきた。ただ普通の女の子がいいだけで、その点で高望みなんかしていない。それでもうまくいかないんだ。何をしてもね。兄がふたりいるけれど、どちらも僕より見た目がいいし、すでに結婚して幸せに暮らしている。なのに僕ときたら2020年から21年のロックダウン中に20キロも太っちゃって、もう恋人もセックスパートナーもあきらめたよ。

 男性のアイデンティティを選んだのは正解だった。あとからわかったのだが、女性は「例外なく瞬時に締め出される」のだ。女性のインセル、いわゆる「フェミセル」を認めようとしたことも幾度かあったが、このフォーラムのホストは女性を受け入れることにおおむね反対だ。ゲイやトランスジェンダーの人たちもここではお呼びでない。

ルール2:恋愛に関しては虚無主義者ニヒリストでなければならない。だから入会申請するときに、アレックスが「ブルーピル」されているか「レッドピル」されているか、もしくは「ブラックピル」されているかを答えなくてはならない。

  「ブルーピル」とは、カップルのマッチングは個人の相性によるところが大きく、たとえ遺伝的な欠陥があっても、女性に敬意を持って優しく接すれば埋め合わせができると考えることだ。男性の遺伝的欠陥というのは、たとえば背が低い、顔が左右非対称、女性的な容姿、頭髪が後退している、耳が大きすぎる、などなど。

  「レッドピル」とは、人は皆あらかじめ自然に定められた法則にもっぱら従っていると考えることだ。つまりすべての女性は、最も「アルファ」な男性(積極的で、支配的で、強靭な体を持ち、影響力があり、裕福で、権力を持つ、など)を選ぶものだ。だから貧相な遺伝子を埋め合わせする唯一の方法は、すなわちアルファになることだ。

  「ブラックピル」とは、社会的に獲得した地位ステータスは生物学的な状態ステータスには勝てないし、女性が真に魅力を感じるのは、優れた遺伝子を持つ男性だけだと考えることだ。

 わたしが選んだのは「ブラックピル」。ここのモデレーターたちにとっては、これが唯一の正解だ。「ようこそ。ここは大切な人をなかなか見つけられない人のためのフォーラムだよ」
 あなたが十分に「人気がないアンポピュラー」場合でないと、おそらく入れてはもらえない。たとえば、自分に興味を持ってくれるのはかなり年上の太り過ぎの女性だけだと書いたなら、その男性はただちに 「フェイクセル」と呼ばれる。真のインセルはどんな相手も見つからないか、誰からも性的に興味を持ってもらえないのだとモデレーターは言う。このグループにいるインセルの大半は、すでに髪型を変えたり、しゃれた服を買ったりといった努力をしたが無駄だったと語る。

ルール3:女性とりわけフェミニストを嫌悪しなければならない。また自分のことも嫌悪する必要がある。「なぜ君たちはインセルなのか?」と訊かれたら、お決まりの答えはこうだ。「フェミニストによる重圧、それと貧相な遺伝子のせいだ」

 「女性がかかわらないものは何だって好ましい」とフィンランドのスティーヴが書き込む。 わたしが遭遇したインセルたちがプロフィールに載せるフレーズは、「インセル戦争の将軍」とか「乳がん愛好家」「このゲイの地球を核攻撃ニュークしろ」など。わたしはこれでいくことにした。「プラックピルの気晴らしを求める反アルファの男」。多くのインセルと同様に、わたしのこしらえた人物は、拒絶や屈辱、地位の喪失に対する根深い恐怖を抱えている。
 このインセルのコミュニティはここ数年で急成長し、予想していたよりはるかに多様で、人口統計学的にも民族的にも宗教的にも実にさまざまな背景の男性が集まっている。教育レベルもいろいろだ。たとえばスティーヴは会計学で修士号を持つ。トラック運転手やスーパーマーケットの品出しをする者もいる。多くのインセルは20代後半で、失業中で、親と暮らしている。自分の雇用の先行きに不満を持つ者もいる。「大学の学位なんてほとんど役に立たないし、経済は当面、絶望的だ」。仕事が見つからないのは自分の外見のせいに違いないと考える者もいる。仕事に対する楽観論を語る少数派はトラック運転手たちだ。「僕が思うに背が低くて醜い男にとって最高の仕事はトラック運転手だよ。トラックを運転していれば、身長差別やルッキズムから思いがけなく解放されるんだ」
 人口統計的には多様でも、ソーシャルスキルや自信の欠如は大半のインセルに共通する特徴だ。誰かがこう書く。「僕は人の感情や社会的な合図を理解するのが苦手だけれど、それでもちっともかまわない。ビデオゲームで遊んだり、オンラインのIQテストを受けたりして無駄な時間を過ごすのが楽しいんだ」。フォーラムのホストは「インセルのなかには精神疾患や障害、そのほか健康上の問題に苦しんでいる者もいる」と認める。

* * *

「僕をランク付けして、アドバイスをくれないかな」とアランが書いて、自分の顔写真を投稿する。彼が受けとった返信はこうだ。

「0点」
「終わってる」
「眼瞼下垂を治してもらえよ。IQがものすごく低く見えるぞ」
「いまのところまだ何とも言えないな」

 インセルの文化は「ルッキズム」、すなわち外見にもとづく偏見や差別を病的に重視するのが特徴だ。「Lookism.net」とか「Looksmax.org」といったフォーラムでは、最初の自己紹介で「僕はレイピストだ」とか「やあ僕は自閉症のサイコパスだ」と書くインセルまでいる。ここに写真を投稿すると、他のメンバーに10段階で評価してもらえる。それから自分の外見をどうすれば改善できるか詳しいアドバイスがくるのだ。
 男らしい顔立ちや男の魅力的な目とはどんなものか考えたことがあるだろうか。わたしはないのだけれど。ところがインセルたちに言わせると、男性の美しさには明確な基準がある。広い頰骨、狩人ハンターの目、濃い眉毛、角ばった顎先、左右対称の鼻、精悍な下顎の輪郭、引き締まった肉体。高評価のハンサムボーイは「チャド」と呼ばれ、魅力的な女の子は「ステイシー」と呼ばれる。
 このコミュニティに入って最初に教わることのひとつは、80対20のルールだ。つまり「最も魅力的な女性の80パーセントは、遺伝的に優れた男性のなかの20パーセントを選ぶ」という仮説だ。この発想から「ルックスマックス」という強固な文化が生まれた。これは「ソフトマックス」から「ハードマックス」まであって、要は自分の見た目の改善を追求することだ。ソフトマックスには、流行の服を着る、ヘアカットする、身だしなみを整える、スキンケア製品を使う、運動するなどが含まれる。インセルに言わせれば、大半の女性は日頃から化粧をし、見栄えのよい服を着て、髪や肌の手入れをすることで、10代のときからソフトマックスに励んでいる。インセルのなかには、「ルックスの梯子」をのぼり、低い性的スコアから高評価に転じたいと、肝を潰すほど突き進む者もいる。ハードマックスには、アナボリックステロイド〔筋肉増強剤の一種〕の摂取、顎フィラー〔ヒアルロン酸などの注入〕や顎増大術、鼻形成術、頰骨の手術、さらには陰茎増大術や頭蓋骨インプラント、鼻の穴を縮める手術や耳を小さくする手術まである。正直、インセルの世界を知るまでこうした手術があることすらわたしは知らなかった。
だが問題はルックスだけではない。当然ながらインセルたちの抱える問題はそれよりはるかに深刻だ。「心底うんざりするのは、絶えず拒絶されることだ」とユーザーのひとりが書き込む。「だから誰かに初めてメッセージを送ろうとすると、手がひどく震えて携帯を落としちゃったり、キーを片っ端から打っちゃったりするんだ。せめてルックスマックスすれば、もうちょっと自分の気持ちや精神状態をなんとかできると思うんだけど」。インセルのなかには、自分の見た目があまりに嫌で、何年も家から出ない者もいる。
 ルックスマックスのフォーラムでしばらく過ごしてしまうと、不安にならずにいるのは難しい。ユーザーたちが自分にみるみる自信を失っていくのが見ていてわかる。ここでの批判は容赦ないし、たとえ基準をすべて満たしていても、低評価をつける理由をメンバーの誰かが探し出す。自分のプロフィール写真を投稿した、見た目のかなりイケてる男性は、こんなリプライをもらう。「君の見た目はまずまずだと思うし、チャドっぽさもあるし信頼感を抱かせる顔に見える。でも狩人の目ではないからなのか、君の目には苦痛が浮かんでいて、なんだか気まずそうに見える」
 彼らの考えは極端かもしれないが、こうしたことを思いついたのはインセルたちではない。研究によれば、ルッキズムは現実に存在するし、おそらく人を惹きつける魅力には普遍的な法則があるようだ。現代の美の基準で風貌があまり魅力的でないと判断される人たちは、日頃から多くの場面で差別されている。調査によれば、見た目があまり美しいと思われない人たちは収入がより低く、仕事に就ける可能性がより低いことがわかっている。こうした人は、見た目がよいと思われる人よりも法廷で有罪判決を受ける可能性が高い。犯罪者がより魅力的な見た目だと刑がより軽くなり、その逆もまたしかりだ。
 だが当然ながらインセルのなかには自分の外見をよくする努力をしても無駄だと思う者もいる。アランはルックスマックスをあきらめたユーザーのひとりだ。20代半ばで、自分の体を逃げることのできない牢獄だと感じている。「祖先が優生学を実践してくれなかったことがムカつくよ」とインセルの非公開スレッドに書き込む。「良い遺伝的特徴と良い遺伝子の家系を持つ女性は、繁殖用動物ブリーダーにして強制的に8人くらい子どもを産ませるべきだった。健康に問題があるか、遺伝的に好ましくない家系の女性には不妊手術をすべきだったんだ」。健康でない赤ん坊は「抹殺されるべきだった」とも彼は思っている。
 インセルたちはあまりに落ち込み、孤独を感じ、絶望してしまったために、解決策として自殺を考えることも珍しくない。「自殺したほうがいいなって本気で思うよ」とアランが書き込む。「人生最大の夢のひとつは、自殺して幽霊になって家族を観察し、僕が死んでもみんなにとってはまったくどうでもよかったんだ、僕はただのお荷物でしかなかったんだとはっきりさせることだ。僕が死んだらみんなの人生がどれほどましになるかこの目で見てみたいよ」。インセルの用語で言えば、彼はLDAR(寝て腐るレイ・ダウン・アンド・ロット)と決めている人間だ。
 アランのコメントを読んでから、わたしは椅子にすわりなおすと、彼をなんとか元気づけられないものかと考えた。けれどわたしが返信する前に、他のユーザーたちからのコメントが次々に入ってきて、見ていたら背筋がぞくりとした。「自殺の実践ガイド」「自殺を受け入れる」「首を吊る方法」「苦痛なき溺死」「二重結びダブルノットと袋を使う方法」。仲間のインセルたちがアランに送ったアドバイスはどれもこんなもので、行け、自殺をやり遂げろと彼の背中を押している。
 絶望はこのフォーラムに広く見られるが、ユーザーのなかには絶望とともに激しい怒りを覚える者もいる。スティーヴと呼ばれるユーザーは、「社会に復讐してからでないと死ねない」と言う。どこを見てもフェミニズムや女性に対する憎悪が蔓延している。女性はロボットに似た存在、つまり「フェモイド」(短縮形は「フォイド」)で、暴力でしか手なずけられないとみなされる。女性を「トイレ」とか「ホール」と呼ぶようなユーザーすらいる。女性をただの物とみなすことは、女性からその人間性を剝ぎとり、暴力の標的にしてかまわない存在にする。スティーヴはこう書く。「SMV(性的市場価値セクシャル・マーケット・バリュー)が低い男は殺人やレイプ以外に権力を行使するすべがない。それが上にいける唯一の道だ。暴力によってフォイドから力を奪うんだ。そうすれば世間もこっちを見てくれるだろうよ」
 アランもスティーヴも、男性は女性がますます優位な立場につく社会で犠牲になっていると考える。アランがこう書き込む。「女は10倍も良い人生を送っている」。スティーヴも同意見だ。「次の世代の奴らは魅力のない男がどんな最悪な目に遭うかもうすぐ知るだろうよ」。自分たちが不幸なのはフェミニストや力を持つ女性たちのせいだと彼らは考える。「フェミニズムがついた噓のせいで俺たちはインセルにされたんだ、あいつらは復讐されて当然だ!」。インセルたちはお互いを煽って、ますます過激な考えに走らせる。それでも彼らを観察すればするほどわかってくるのは、彼らのミソジニーや暴力的なファンタジーがおそらく自己嫌悪や自己憐憫から生まれていることだ。

* * *

 2021年8月12日、プリマス〔イングランド南西部のデヴォン州〕で、22歳のイギリス人のクレーン運転手見習い、ジェイク・デイヴィソンが、実の母親と3歳の少女ひとりを含む5人を銃で撃ち、その後自殺した。イギリスでこの10年あまりのうち最悪の銃乱射事件だった。捜査からわかったのは、デイヴィソンがインセルのイデオロギーに感化されていて、「無駄口ワッフル教授」という偽名でユーチューブに投稿した動画で「インセルダム【*1】」や「ブラックピル」について触れていたということだ。加えてトランプの熱狂的支持者で、イギリスのリバタリアン党の支持者でもあった。
 オンライン上でわたしが目にしたようなひどくミソジニストな会話の類いから、ここ数年、インセルに感化された一連のヘイトクライムやテロ攻撃が生まれている。とはいえイデオロギーだけが暴力を誘発する唯一の要因ではない。テロリズムは大体において過激な思想が個人の不満と合わさったときに発生する。デイヴィソンは母親に対する、そしてその延長で「シングルマザー」全員に対する憎しみを募らせていた。これまでの人生で性的経験も恋愛経験も逃してきたことの不安が、彼のなかで強い憤怒に変わっていた。最初は自分のせいだと思っていた。「僕はまだ童貞で、太っていて、醜くて、ああなんとでも言ってくれ」あるユーチューブの動画でそう語っている。それから今度は憎しみの矛先を女性たちに向けた。あるティーンエージャーの女性とオンラインで最後にやりとりしていたとき、こう書いた。「女は傲慢だし、信じられないほど優遇されている」
 よくあることだが、ジェイク・デイヴィソンも、バーチャルな友人という新たな家族を求めてインセルのフォーラムを訪れた、ひどく孤独な男性だった。だが当然ながらインセルは心の隙間を埋めてはくれなかった。過激主義者のフォーラムは、親密な絆があるとの幻想を抱かせ、メンバーのあいだに親近感を喚起する。とはいえ本当の友情とは違ってこうした関係が、匿名の一時的な上っ面だけのものから、もっと長続きする手応えのある関係に発展したためしはない。揺るぎない愛情や帰属意識を見出すかわりに、ユーザーは深夜や週末を他のニヒリストたちに囲まれて過ごすことになる。それによって、すでに抱えていた抑うつや不安といった精神衛生上の問題がさらに悪化することになる。インセルのチャットルームでは、この負のスパイラルが見てとれる。「このクソな人生に打ちのめされて僕はもうぼろぼろさ」とデイヴィソンが最後のほうにアップしたユーチューブ動画で語っていた。「前はやる気があったのに、もうすっかりなくなった」。自己嫌悪が他者への憎しみに変わり、見境がつかなくなった結果、彼は最後に反抗という行動を選んだ。
 プリマスの銃乱射事件は、その数年前から連続して起きていたインセルに触発された襲撃—未遂のものもあれば実行されたものもあるが—の直近のものにすぎなかった。この襲撃の前にも、スコットランドやイングランドでこれと関連して何人かが逮捕されている。2018年、若いカナダ人のアレク・ミナシアンが、トロントの混雑する通りで歩行者(ほとんどが女性)に車で突っ込み、10人を殺害、16人を負傷させた。ミナシアンはインセルのフォーラムで急進化し、死者数の多さで仲間のユーザーをあっと言わせたいと考えた。ミナシアンは心理学者に、皆が自分のしたことを話題にしているのが「すごく嬉しくて興奮する」と語った。彼は世界記録を出したいと思っていた。彼いわく、100人殺せば、自分の尊敬する大量殺人犯をランク付けしたオンラインのスコアボードのトップに躍り出られるだろう。
 最も人気のあるインセルのヒーローはミソジニストのエリオット・ロジャーで、その後現れた多くの襲撃犯たちの模範になった。エリオット・ロジャーのイニシャルを使った「ERしろ」は、暴力的なテロ攻撃を呼びかける仲間内の暗号としていまも使われている。ロジャーは2014年にカリフォルニア州アイラビスタで一連の襲撃を実行し、6人を殺害した。彼は22歳でまだ童貞だった。女の子とキスしたこともなく、自分は拒絶されたと思い、ひどく苦悩していた。「女の子は好意やセックスや愛情をほかの男たちにはくれるのに、僕には一度もくれないんだ」と襲撃の前にユーチューブの動画で訴えた。「僕が求めていたのはただ君たちを愛して、君たちに愛されることだった。(……)でも僕のものになってくれないなら君たちを葬ってやる」声を立てて笑うと、さらに続けた。「君たちは僕に幸せな人生をくれなかったから、お返しに君たちの人生をぜんぶ奪ってやろう。それでおあいこだ」。彼の犯行声明はジェイク・デイヴィソンとよく似た自叙伝を物語る。両親が離婚し、この世界をそもそも信頼しておらず、自分は失敗したという思いが頭から離れなかったのだ。
 男性至上主義は、ノルウェーの反ムスリムの過激主義者アンネシュ・ブレイヴィクから、2019年にハレとハーナウでそれぞれ起きた銃乱射事件のドイツ人の犯人にいたるまで、極右のテロリストを論じる際に見過ごされることも多い。ブレイヴィクは犯行声明で、フェミニストは「男子を相手に戦争」を仕掛け、女性たちを抑圧し、白人の出生率低下を引き起こしていると非難していた。またハーナウの襲撃犯は犯行声明でインセルに関連する言葉を用い、ハレの銃撃犯は襲撃当日にインセルの賛歌と称される曲を聴いていた。その歌詞には「俺が歩行者を轢き殺すあいだ尻軽女が俺のペニスを吸っている」とか、「激しく揺らせ、なかに入れながら俺は殺しをやる」といったくだりがある。驚くことに、エッグ・ホワイトというペンネームでトビー・グリーンが書いたこの歌は、テロリズムを美化しているにもかかわらず、音声ファイル共有サービスのサウンドクラウドでいまも聴くことができる。
 インセルのコミュニティ内でエッグ・ホワイトはインセレブリティ〔インセルのセレブ〕だ。トビーが使うこのペンネームは、学校でいじめっこが彼の頭の形をからかってつけたあだ名「エッグマン」に由来する。2015年からエッグ・ホワイトが発信する動画のうち最も人気があるのは「ブラックピルを飲め」と題した動画で、いまもユーチューブで60万回以上視聴されている。動画で彼は仲間のインセルの視聴者にこう語りかける。彼らの「人生がクソ」なのは「女たちが遺伝的に優れた男に狙いをつけるからだ」。動画についたコメントは、彼のことを「ブラックピルの最大の・・・開拓者パイオニア」とか「預言者」だと賛美する。インセルのウィキペディア「Incel.wiki」によれば、多くのインセルがエッグ・ホワイトを自分たちの正式なリーダーに任命したいと思っていたが、彼がそれを断ったという。
ミソジニーと極右のレイシストのイデオロギーは、白人男性は被害者であるとのナラティブを通じてつながっている。反フェミニストの陰謀論に深刻な精神疾患が重なると、政治色の濃い悪魔崇拝という、さらに突飛な信念体系が生じることすらある。2020年に18歳のダンヤル・フセインがロンドン北部である姉妹を刺殺したが、彼はそれを地獄の政府の長であるリュシフュージェ・ロフォカルとの悪魔の取引だと信じていた。手書きの契約書でフセインは、「自分が自由の身で身体的に可能であるかぎり、6カ月ごとに最低6人の生贄いけにえを神に捧げる」と誓っていた。つまり「女性の恋愛対象として自分がもっと魅力的になる」には、女性たちを「生贄として捧げる」必要があるというのだ。
 インセルに触発されたテロリズムは、ミソジニストのオンラインコミュニティを宣伝するのに効果があった。プリマスの襲撃事件の影響がこれを如実に示している。タイムズ紙と英非営利団体デジタルヘイト対策センター(CCDH)によるウェブトラフィック【*2】の分析によれば、2021年3月から11月にかけて、インセルの三大フォーラムへのイギリスからの訪問回数が5倍以上に増えたとわかった。たった9カ月のうちにこうしたサイトへのウェブトラフィックが、月11万4420回から11月には63万8505回まで跳ね上がった。
 テロリズムは氷山の一角で、ほかにも諸々の出来事が見受けられる。デジタルヘイト対策センターの最近の調査によれば、レイプにまつわる話がインセルのフォーラムで29分毎に投稿されているのがわかった。またインセルの半数以上が小児性愛や未成年の性的対象化セクシュアライゼーションを支持していた。女性やフェミニズム、進歩的なジェンダーロールについてのきわめて不快なナラティブは、急進的なフォーラムだけに限ったものではない。研究者らは言語学的分析を用いて、インセルと主流のポルノサイトのユーザーが同じミソジニーの言葉を使っていることを明らかにし。たとえば女性を「動物アニマル」や「ビースト」「生き物クリーチャー」または「フェモイド」と呼んで人間扱いしないことが、インセルとポルノフォーラムのどちらにも見受けられる。両コミュニティに通底する発想とは、男性には、価値をおとしめられ動物や物扱いされる女性たちから性的サービスを受ける権利があるというものだ。家父長制の決まりに従わないか、自分の性的自由を重んじる女性はヘイトの標的にされる。インセルと売春フォーラムのあいだにも似たような共通点が認められる。女性のセックスを買う男性は、彼らの要求を拒んだり、自分自身を守るために境界を定めたりする女性に虐待的になる傾向がある。インセルと買春客のどちらもが「ノー」という女性を罰するのだ。
 パンデミックのさなかに男性至上主義者のムーヴメントはオンライン上で足場を築き、ヨーロッパに手を伸ばした。その結果、女性のジャーナリストや著者、政治家、活動家に対する性的な脅迫や暴力が急増し、ここ数年でフェミサイド〔女性であることを理由にした殺害〕が世界的に増えている。今日、男性による暴力が若い女性の死亡のおもな原因になっている。フェミサイドの被害者のほとんどは、元ないし現在のパートナーによって殺害され、別離が主たる引き金になる。ロックダウン下では家庭内暴力が急増したが、イギリスでのフェミサイドの件数は下がった。ところが2021年にロックダウンが緩和されると再び劇的に増加した。女性の殺人被害者数を数えるイギリスの市民活動「カウンティング・デッド・ウィメン」によれば、2021年に141人の女性が男性容疑者に殺害された。
 ティックトックの2022年のトレンドには、女性の殺害を揶揄したり、初デートで女性を殺害する妄想を口にしたりする男性ユーザーが見受けられた。だがティックトックで女性に対するときの声がバイラル〔情報が口コミで拡散すること〕になったのはこれが初めてではない。アンドリュー・テイトは、主流化した有害な男らしさの一例だ。ルートン〔イングランド中南部の都市〕で育ったこのアメリカ系イギリス人の元キックボクサーは「ビッグ・ブラザー」の出演者でもあり、ティックトックでミソジニストも甚だしい動画を投稿し、これは116億回も視聴された。動画のなかでこのインフルエンサーは、車や武器や葉巻など男らしさを象徴するものと一緒にポーズをとる。彼に言わせれば、女性は家にいるべきだし、車など運転してはならないし、男性の所有物であるべきなのだ。浮気をしたり男性に従わなかったりする女性に暴力を振るうのは当然のことで、彼は女性を叩いたり首を絞めたりすることを推奨する。「なたを振りあげ、女の顔に一撃くらわせ、女の首を手で締めるんだ。黙れビッチめ」と動画のひとつで言い放つ。彼がもっぱらデートするのは18歳から19歳までの女性だという。「彼女たちへの刷り込み」がまだ可能な年齢だからだ。彼いわくレイプの被害者は自分が襲われたことの「責任を負う」べきだ。
 ミソジニストのソーシャルメディアキャンペーンが、最も若い世代の考えや行動に影響を及ぼすことは疑いようもない。イギリスの教師たちは、最近になって生徒間で露骨にレイプの存在を否定したり、これを擁護したりする発言が急増していると報告する。反動思想が政治や主流の言説に舞い戻り、女性の権利活動家が過去の世紀で成し遂げたものを無効にすべく脅しをかけている。ミソジニストの思想や動機を分析する「男性至上主義研究所」の研究者らはこう語る。「ミソジニストのインセルは人間性を否定する過激な言葉を用い、暴力を賛美するが、彼らの信念体系やイデオロギーは、彼らが生きる社会や文化の文脈から生まれ、またそれらに支持されている」。ミソジニーは何もないところからは生まれない。

* * *

 わたしはミレニアル世代の女性として育った。わたしたちの世代は、女性には男性にできることはすべてできると、そして、わたしたちは同じ権利や機会を与えられた対等な存在なのだと教わった。オーストリアから初めてイギリスに来て、ジェンダー平等を信じるわたしの考えは強まるばかりだった。20代で専門職に就くと、自分には権利や力が与えられていると感じた。ジェンダーも年齢も問題にしないジャーナリストや研究者、政策決定者が、わたしの話を真剣に聞いてくれた。逆にわたしの母国は時代遅れで階層的に見えた。わたしにはイギリスが女性の権利の牙城に思えていた。
 ところが、角を曲がったすぐそこにミソジニーやセクシズム(性差別)がいた。イスラム聖戦主義者ジハーディストのテロリズムを研究するシンクタンクで最初の仕事に就いて2年後、イングランド防衛同盟の創立者トミー・ロビンソンがわたしを脅迫しにオフィスに突如侵入してきたのだ。彼が腹を立てたのは、本人いわくガーディアン紙に寄稿した記事でわたしが彼を「白人至上主義」と結びつけたからだという。オンラインでも彼のフォロワーから極めて性的な脅迫や、死んでくれといった言葉、ジェンダーにもとづく侮辱的な言葉が滝のように降ってきた。携帯電話を見るたびに、ソーシャルメディア上で新たなメッセージが飛び込んでくる—「この役立たずのあばずれスラットに焼きを入れてやろうぜ」とか「誰かがこの女に子どもを産ませるべきだ、そしたらこの女も少しは世の役に立つだろうよ」といったもの。
 この嫌がらせはたしかにひどいものだったが、わたしはまた別の権力闘争にも足を踏み入れていた。失望したのは、男性の上司からロビンソンに謝るように言われたことだ。このシンクタンクは、わたしの知らないところで、極右側に大口のファンクラブを持っていた。ロビンソンのような有名人を怒らせたことは、利益相反になったのだ。もちろん、わたしには謝るのが正しいこととは思えなかった。数日後、最高経営責任者の命令に従わなかったことでわたしは解雇された。その間も脅迫は続き、身の危険をひどく感じるようになったので、自分のフラットを出ていくほかなくなった。
 性差別的な侮辱の言葉がメールの受信箱に山と溜まり、気がついたら仕事も住む場所もなくしていた。この状況から逃げだして自分の気持ちを立て直そうと、わたしは日本に渡って数週間を過ごした。けれどはるか異国の地で伝統的な旅館に泊まっているあいだも、ひっきりなしに入ってくる侮辱的で、人を人とも扱わないコメントから逃れることはできなかった。それどころか時差のせいで真夜中に脅迫メッセージを受けとるはめになった。皮肉なことに、わたしが京都に隠れていることを誰も知らないというのに、彼らの多くは日本のアニメやマンガのキャラクターを過度にセクシャライズした文脈で使っていた。ミソジニストのオルトライト〔オルタナ右翼〕は従来から日本のポップカルチャーをハイジャックし、自分たちのコミュニケーションの道具にしているのだ。自分のソーシャルメディアのチャンネルからログアウトしても、数時間後にログオンすれば、ヘイトの嵐が輪をかけて大きくなっているのを目にするだけだった。そのうえ、自分の評判や身の安全すらも危うくなっているときに、そう簡単に電源を切るわけにもいかない。
 イギリスに戻ると、わたしは仕事の副作用としてミソジニーを経験したことがあるという女性たちに話を聞いてみることにした。多くの女性は似たようなことを自分に問いかけていた。議論を呼ぶトピックを研究するのはやめるべきか? 政治的意見を発信するのを控えたら気が楽になるのでは? いや、いっそのこと男性を怒らせるのをやめたほうが利口ではないか? 彼らの顔も少しは立てておくべきでは? こうした問いは、今日のフェミニストと反フェミニストの苛烈な闘いの核心にあるものだが、たとえ最前線で活動しているわけでなくても、驚くほど大勢の人がこうした問いにはっきり「イエス」と答えるだろう。イギリスを拠点とする組織ホープ・ ノット・ ヘイトは2020年の調査で、16歳から24歳の男性の50パーセントがフェミニズムは「行き過ぎだ」と感じていることを発見した。
 インセルのフォーラムは、反フェミニズムのオンライン・サブカルチャーが寄り集まった、より広いコミュニティ、つまり「マノスフィア」の一角にすぎない。このマノスフィアが主催するものにはほかにも、自分たちとセックスさせるために女性の心を操る「ピックアップ・アーティスツ」(PUA)や、男性に不利と思える法律(子どもの親権や夫婦の財産分与など)に反対する運動「メンズ・ライツ・ムーヴメント」(MRM)、女性とのいかなる接触も拒否する「我が道をゆく男たちメン・ゴーイング・ゼア・オウン・ウェイ」(MGTOW)などがある。
 人気の高いカナダの心理学者ジョーダン・ピーターソンは、現代の反フェミニズムに擬似アカデミックなお墨付きを与えている。「女性は有史以来抑圧されてきたなんて、とんでもない」と彼は言い、フェミニストには「容赦ない男性支配を求める無意識の願望」があるとする。彼はユーチューブで400万人近いフォロワーを獲得し、自著『生き抜くための12のルール』は500万部以上売れている。よく名の知られた人物で、トロント大学の教授であり、ペンギン・ランダムハウスと本の出版契約もいくつか結んでいる。だが2019年、この臨床心理学者の転落が始まった。ベンゾジアゼピン系薬剤の依存を発症し、重度の不安に苦しみ、自殺願望を持つようになり、統合失調症やその他の障害の診断を受けた。
 ピーターソンのファンは、メンタルヘルスがおぼつかない者から幸福についてのアドバイスを受けることに、ここにきて躊躇しはじめているようだ—しかも彼の一風変わったアドバイスには、牛肉しか食べない食事療法を実践するようフォロワーに勧めるものもある。だが、彼が主流に乗れたという事実は、あいかわらずミソジニストのマノスフィアを勇気づけている。彼の成功は反フェミニズムを大いに後押しし、これを社交下手なサブカルチャーから世界的な大衆運動へと発展させたのだ。
 ピーターソンに惹かれるのがとくに若い白人男性だとしても、反フェミニストを男性に限ったものだと思うのは間違いだ。2013年につくられたタンブラー(Tumblr)のページ「ウィメン・アゲインスト・フェミニズム」には、フェミニズムに反対の立場の女性から投稿が寄せられる。マノスフィアには女性のインフルエンサーもいるのだ。「トラッドワイフ」 (トラディショナル・ワイフ)のコミュニティは、反フェミニストの女性数万人からなる世界的なネットワークだ。反フェミニストの女性のサブレディット〔レディット内のコミュニティ〕「/RedPillWomen」と「/RedPillWives」には7万5000人近いメンバーがいる。
 保守派の米トーク番組司会者ラッシュ・リンボーもまた、反フェミニズムのインフルエンサーだ。1990年代に「特定のタイプのフェミニスト」を非難する「フェミナチ」という言葉を最初に世に広めたのは彼である。昨今、この言葉はもっと広いオルトライト界で国境を越えて採用され、彼らはこれを女性の権利を擁護する活動家に対する鬨の声に使っている。
 この10年のうちに、フェミニズムが世間で広く議論されることが目に見えて増えている。#MeToo運動が起きるとともに、女性が昇給を要求し、役員クラスに出世し、理工系や金融などの、従来は男性が独占してきた分野で成功をおさめている。女性たちは、ハリウッド映画や受賞歴のある小説でもますます主要な役を占めるようになっている。だがそれと並行してフェミニズムに対するバックラッシュも発生し、きわめて良からぬ結果を招いている。ここにきて男性3人のうちひとりがフェミニズムは利益より害が多いと考えていることが、2022年の世界的な研究でわかっている。
 今日フェミニズムは、おそらく反フェミニストが思うほど、力があるわけでも広まっているわけでもない。それはデフォルトの考えでも方針でもない。ミソジニスト的な考えや女性に対する暴力、経済的不平等、ジェンダーによる賃金格差の撤廃をまだ成し遂げてもいない。公的および民間部門の幹部における女性の不在や、男性に有利なヘルスケアやデータの深刻な偏りをなくすことにも成功していない。米世論調査機関ピュー・リサーチ・センターが2021年に発表した調査では、女性の42パーセントが職場でいまもジェンダーによる差別を経験し、女性の4人にひとりが同じ仕事をする男性よりも報酬が低いことがわかっている。上級職に就く女性の数は増えているが、女性のリーダーに対する信頼は下がっている。同様に、力のある立場や対外的な立場にある女性に対する、ジェンダーにもとづくハラスメントや誹謗中傷、偽情報作戦は増加の一途をたどっている。

* * *

 女性の国会議員やジャーナリストに対するバイラルなキャンペーンが展開されるのを目にするたびに、そこに自分の経験したヘイトの嵐にそっくりなもの、そしてネットのミソジニストの周縁フリンジから生まれた言葉やミームを発見する。連携したミソジニーは公共の言説にも入り込んでいる。インセルの使う言葉や動画や画像を、ごく一般のソーシャルメディアユーザーがすでに使いはじめている。
 女性を標的にしたオンライン上の脅迫キャンペーンは、2014年に起きたゲーマーゲート騒動の最中に4ちゃんの男性ユーザーたちが最初に始めたものだ。ゲーム業界にいるフェミニストのインフルエンサーたちに抵抗すべく、男性のゲーム愛好家やオンラインの荒らしトロールたちが連携し、ゾーイ・クインなどの女性ゲーム開発者やアニタ・サーキシアンのようなゲーム分野の女性ジャーナリストにこぞって攻撃を開始した。被害者の多くはレイプや殺害の脅迫を受けた。なかにはドキシングされ、住所や電話番号を含む個人情報をオンライン上に公開された者もいた。
 女性に対するヘイトはたいていミソジニストの常套句で始まるが、次に人種や宗教、性的指向、社会階層、年齢、障害などの(真実の、または捏造された)アイデンティティが一枚加わる。従来からのヘイトキャンペーンは、ある女性のものと見紛う偽造したポルノ写真やミームなどの安直な模倣品を使うことも多い。オンライン上の憎悪に満ちたコンテンツの大半は、最終的に組織的なキャンペーンで兵器として使われるとしても、もとはユーザーがつくってクラウドソースされていたものだ。ハラスメントの被害者とはほとんど、もしくはまったく関係のないユーザーがミームをつくって、写真を加工し、引用を歪曲している場合もある。ポルノ画像の顔を入れ替えたり、写真に引用語句を入れたりするのに、たいした技術は必要ない。
 ここ数年で対外的な職業に就く女性へのオンラインやオフラインでの虐待が、イギリス、アメリカ、ドイツを含む多くの国で手のつけられないほど急増している。主流化したミソジニーが及ぼす影響を見ると背筋が凍る。ジャーナリズムや政治、アクティビズムに取り組む多くの女性が自己検閲するか、自分の仕事から身を退くようになっている。女性のキャリアや評判に狙いを定めたジェンダー・ハラスメントはまさしく新たなガラスの天井になっている。
 英国議会でも、またドイツ連邦議会や米連邦議会でも、ミソジニーやハラスメントや脅迫の事例は、広く蔓延する問題として報告されてきた。多くの国で女性議員に対するヘイトは、規模も性質も男性議員のそれと比べて深刻だ。イギリスでは自由民主党のハイディ・アレンや保守党のニッキー・モーガンのような有名な女性政治家が、「おぞましい虐待」のために2019年の総選挙への立候補を辞退した。2021年のドイツ連邦議会選挙では最有力候補のアンナレーナ・ベアボックが、首相の座を争う2名の男性ライバル候補の10倍も、偽情報の被害に遭った。オーストリアの緑の党党首シグリッド・マウラーは、フェイスブックのメッセンジャーで性差別的なヘイトメッセージをいくつも受けとり、その送り主であるウィーンの酒屋の店主を訴えた。この男はのちに自分の元ガールフレンドを殺害し、現在終身刑の判決を受けている。2022年4月、この女性政治家はウィーンの中心部にあるレストランで、ロックダウン反対を訴える者に襲われた。最初、彼女は言葉で侮辱され、それからグラスを投げつけられた。幸い彼女に怪我はなかった。
 英労働党の下院議員ジョー・コックスが2016年に殺害された事件は、イギリスで警鐘を鳴らすことになる。ブレグジットの国民投票までの間、女性政治家は性差別的なハラスメントキャンペーンの標的になった—ジェス・フィリップス下院議員はツイッター上でひと晩に600件のレイプの脅迫を受けた。ジョー・コックスも同様のメッセージの標的となり、警備を増やしたが、それからほどなく自分の選挙区で、銃で撃たれ刺殺される悲劇に見舞われた。そのわずか数年前には、米連邦下院議員のガブリエル・ギフォーズが、女性は権力のある立場につくべきでないと信じる男性によって危うく殺害されかけた。ギフォーズもコックスも、フェミニズムや女性の政治的な力を象徴する存在だった。
 女性に対する脅迫は「一匹狼」のアウトサイダーによるものだけではない。権力を持つ伝統ある機関から発せられることもある。ロンドン警視庁の現職警察官ウェイン・カズンズによるサラ・エヴァラードの誘拐、レイプおよび殺害は、警察内に攻撃的なセクシズムが存在するというさらに大きな問題を露呈した。それは暴力的なミソジニーがいかに伝統ある機関に染みついているかを教えるものだった。カズンズは襲撃の前に同僚の警官たちとワッツアップで性差別的なメッセージをシェアしていた。とはいえ、その内容は「男たち特有の」よくある無害な軽口の類いだとして聞き流された。元女性警官たちは、ロンドン警視庁内に悪辣なミソジニーや「キャンティーン(食堂)文化【*3】」が咎められることなく横行していることを報告した。エヴァラードの殺害は、警察内部におけるミソジニーや性差別的な不品行に対する一連の捜査のきっかけになった。2020年に起きたビバア・ヘンリーとニコール・スモールマン姉妹の刺殺事件は、警察によって適切な捜査がされず、「行方不明者」としての捜索願が取り消されていたとわかった。2021年、ふたりの警官がヘンリーとスモールマンの遺体の写真を撮影し、ワッツアップの非公開グループでシェアしていたことで免職になり収監された。
 過激な暴力とセクシズムを結ぶこれだけの証拠があるにもかかわらず、ほとんどの国は暴力的なミソジニーを過激主義の一種として起訴する法的な枠組みをつくっていない。カナダは、暴力的なミソジニーをテロリズムの脅威のリストに加えた数少ない国のひとつだ。だが元英首相ボリス・ジョンソンは、これをヘイトクライムに指定することは支持しない旨を明らかにした。あいかわらず深刻な問題のひとつは、オンラインでの脅迫や虐待の調査が往々にして進展しないことで、加害者が匿名のアカウントを使っている場合はなおのことだ。NGO「ヘイトエイド」は、EU市民は自国の制度や機関がヘイトクライムから自分を守ってくれるか信用できなくなっており、またオンラインの虐待を報告するための条件は厳しすぎて「ユーザーがそれを満たすことはまずできない」と警告する。被害者がヘイトスピーチに対して民事訴訟を起こすことはめったになく、おそらく訴訟にかかる費用や負担のせいで思いとどまっていることが調査からわかっている。

* * *

 さしあたって旧来のガラスの天井にはヒビが入ったかもしれないが、こちらも割れたとは到底言えないままだ。女性の従属的立場と仕事—家事労働と有給の職のどちらも—は密接なつながりがある。今日、イギリスに住むカップルで家事労働を均等に分担しているのは7パーセント以下だ。女性が働いている場合でも、女性は男性より家事や子どもの世話、食料雑貨の買い物などに1日平均1・5時間多く費やしている。世界全体で、女性は男性の3倍以上の無償のケア労働に従事し、無償のケア労働の総時間の76パーセントを担っている。この賃金格差が経済的な不平等をもたらしている。ある研究によれば、「母親であることのペナルティ」〔出産や育児によって女性が被る不利益〕がジェンダー間の賃金格差の80パーセントを説明する。そしてパンデミックは事態をさらに悪化させた。2020年のあいだに、世界では200万人を超える母親が仕事をやめたが、その多くは子育ての負担が増えたことが原因だった。シモーヌ・ド・ボーヴォワールがこう言ったのは有名だ。「女を全面的に一般性と非本質性へと導く分業が、小間使いとしての女の運命を報われないものにしている【*4】」
 女性も職業を持つことができるという考えは比較的新しい。1977年になるまで、ドイツの女性は家の外で働くのに夫の許可をもらう必要があった—この規制は今日も十数カ国で存在する。深く根付いたジェンダーロールはいまも仕事や家庭生活に大きく関与しているが、この事実を多くの反フェミニストは否定する。ジョーダン・ピーターソンは自身のユーチューブの動画「キャリアvs.母親であること」でこう語る。「19歳の女性の大半に吹き込まれた考え、つまりキャリアこそ人生でいちばんの目的になるというのは噓っぱちだ」。だがピーターソンの言うことは的がはずれている。働く母親は安価な保育サービスを利用できるなど、十分な社会的支援を受けられるといった考えこそが、まさに噓っぱちなのだ。
 こうしたステレオタイプのせいで男性と女性に対する非現実的な期待が生まれる。保健医療制度や育児休暇制度、企業のインセンティブ構造、教育制度のどれをとっても、母親に養育者としての主たる、ひょっとしたら唯一の責任があることはまず異論なきものとされている。このことは女性に途方もないプレッシャーを与える一方、男性にも損失を与える。調査によれば、父親の80パーセントが、子どもともっと多くの時間を過ごすためなら何でもしたいと答えた。もしそれが実現すれば、ジェンダー間の賃金の平等に弾みがつく。スウェーデン政府が実施したある研究では、父親が育児休暇をひと月とるごとに、母親の将来の年俸が7パーセント近く増えることがわかった。
 子育てと生殖は、女性の権利という点でますます議論を呼ぶ領域だ。2022年6月24日、米連邦最高裁判所は、妊婦が中絶を選ぶ権利は憲法で保障されていると判断した1973年のロー対ウェイド判決を覆した。最高裁によるロー対ウェイド判決の破棄から30日以内に、全米で13の州が、中絶を禁止するいわゆる「トリガー法」〔状況の重大な変化により自動的に執行可能になる法〕を有効にした。女性たちは中絶を行うクリニックのスタッフに助けを求め、経口中絶薬を手に入れようと貯めたお金を差しだした。長らく認められてきた女性の権利をこんなにも簡単に剝奪できるなんて想像もしていなかった。
 しかし、過去数十年でフェミニストたちが成し遂げた法的、政治的、社会的進歩がこうして粉砕されたのは、予期せぬ出来事どころか、オンラインで日増しに煽られる長引く文化戦争の成果なのだ。「プロライフ」〔生命尊重〕を自称する活動家たちは、生命が受胎とともに始まるのだと強く主張することが多い。だが調査によれば、中絶反対派は「生命を救う」ことよりも女性を管理するほうを重視していることがわかっている。2019年に女性の権利擁護団体スーパーマジョリティと世論調査機関ペリーアンデムが実施した世論調査によれば、中絶に反対する人は#MeToo運動にも敵対的な意見を持つ傾向があり、男性は女性より優れた政治的リーダーになると考える割合が高かった。インセルの大半は、ロー対ウェイド判決の破棄をフェミニストに対する抵抗だと褒め称えた。
 近年、多くのリベラルな民主国家で女性の権利の後退が起きている。ポーランドでは、胎児が存命なかぎり、母体の救命のために中絶手術を行うことを医師が拒否したせいで、女性が敗血性ショックで亡くなった。ハンガリーでオルバン・ヴィクトル首相の所属する超ナショナリストの青年民主連盟(略称フィデス)が昨今可決した政策は、古いジェンダー認識、たとえば女性の役割は家事や出産、子育てに限定されるべきだとの考えを反映するものだ。連邦性差別禁止法が導入された国ですら、セクシズムやジェンダーによる差別は減っていない。オーストラリアでは若い女性の60パーセントが、ジェンダーにもとづく不平等を経験していると語る。NGO「プレグナント・ゼン・スクルード(妊娠により困難に陥った女性)」は、いかにイギリスの女性がいまも妊娠すると仕事をクビになり、子ども産むことで昇級を逃し、保育費が高すぎて払えず家庭にとどまらざるをえないかを訴える活動をしている。
 ロー対ウェイド判決は、女性の権利が「決して保障されたものではない」ことを教えていると英下院議員らは警告していた。ヨーロッパ各地のポピュリスト政党は、選挙で権力の座に就けば、保護されていた女性の権利を無効にする超保守的な法律を可決することができるだろう。ドイツでは「ドイツのための選択肢」(AfD)が、中絶に対する障壁を上げ、子どもをよりたくさん生んだ家族へのインセンティブを増やし、伝統的な家族と相容れないすべての家族モデルを牽制したいと考えている。
 フェミニズムは行き過ぎだとの発想は、1世紀前から存在した。それは少なくとも1900年代にまでさかのぼり、当時男たちは、女性の結婚の権利や財産権はもとより参政権、職業の自由、教育を求めるフェミニストたちの要求にこぞって反対した。19世紀後半の家族主義を支持する運動や20世紀初頭の婦人参政権に反対する運動は、初期の反フェミニズム運動の顕著な例だ。女性を憎悪する今日のオンラインコミュニティは、こうした紋切り型の古い発想をとりいれ、視覚に訴えるミームやインターネット文化の引用、巧妙なキャンペーンを用いて、これを急進的で真新しく見えるものにつくりかえた。ジョーダン・ピーターソンを成功に導いたのも、同じく何世紀も女性を抑圧するのに使われてきた古い保守的な常套句を焼き直しした戦術だ。だが彼は、それを自分の話が新鮮で興味をそそるものに聞こえるやり方で行った。それによって旧来の家父長制的な構造にお墨付きを与え、フェミニストに対する批判を正当化する新たな流れを生みだしている。

* * *

 ポーリーヌ・アルマンジュにしてみれば、フェミニズムは明らかにまだ物足りない。ポーリーヌは筋金入りのフランスのフェミニストだ。この26歳のブロガーでライター兼活動家は、流行とは無縁の丸眼鏡をかけ、髪をカッコよくピクシーカットにし、政治信条の表現として脇を剃らない。ポーリーヌは15歳のときからソーシャルメディアで政治的に活動している。物を書いていないときは、性暴力と闘う慈善団体「レシャペ(逃亡者)」でボランティア活動をする。彼女は、男性からレイプや虐待、嫌がらせや迫害を受けた多くの若い女性の話を伝えてきたが、そうした活動をしているのは彼女だけではない。イギリスでは、大手世論調査会社ユーガブが2021年の調査で、18歳から24歳までの全女性の5分の4が性的な嫌がらせを受けた経験があることを突き止めた。
 「反フェミニストや男性の権利を擁護する活動家の主張とは反対に、この社会はフェミニストとは程遠いのです」とポーリーヌは説明する。だが誰もが意見を同じくするわけではない。アメリカの社会学者マイケル・キンメルが明らかにしたように、特権とはそれを有する者にはまず見えにくいものだ。アメリカでは科学・技術・工学・数学(STEM)の分野で働く人のうち女性はわずか28パーセントにすぎない。同分野で大学の学位取得をめざすアメリカの学生についての2020年の調査では、白人男性はジェンダーや人種が自分たちの就業機会に及ぼす影響にまったくといっていいほど気づいていないことがわかった。高等教育統計局(HESA)によれば、イギリスの大学教授のうち女性は全体の4分の1をわずかに上回るだけだ。全国で2万2000人を超える教授のうち、黒人女性はたったの35人だ。オンラインのウェブサイト「RateMyProfessors.com」に1400万人の学生が投稿した教授の評価を調べたイギリスの研究では、女性の研究者に対する性差別的な偏見が山ほども見つかった。
 多くの反フェミニストは、女性の被害者意識にばかり注目するのはフェアではないと思っている。男性は制度的に悪者扱いされていると感じ、むしろ男性が女性に抑圧されている証拠を探し出す。デート代を男が払って当然と思われることから、男は戦争で命を落とすこと、予防できる病気で死亡する確率が高いことまで、ありとあらゆることを引き合いに出す。たしかに彼らが間違っていると一概には言えない。高い自殺率、ホームレスになる可能性、男性の虐待被害者への支援の欠如は、集団として男性が抱える最大級の問題だ。こうしたギャップが生まれる理由は複雑で、いくつもの要因が重なっている—とはいえそれは反フェミニストが訴えるようなものではない。だが彼らは、男性の問題は女性の向上の結果だとみなし、さらに「フェミニストの信念が社会で実行されたせいで、男性を取り巻く状況が悪化している」とポリーヌいわく信じている。 
 男性もまた被害者であることは彼女も認めている。でもそれはフェミニズムのせいでも女性のせいでもない。「彼らは、自分の感情を表現することを教えずに、彼らをただ苦悩するままにさせる社会の被害者なのです。それもまたフェミニズムのせいではなく、家父長制のせいですが。反フェミニストは、フェミニズムの役割や目標を完全に誤解しています」とポーリーヌがわたしに言う。「男性が目下経験している苦痛は、フェミニストの要求が原因ではなく、これまで行われてきた男性の社会化に原因があるんです」。彼女が思うに、反フェミニストたちのびくついた反応にはもっと単純明快な理由がある。「自分たちの特権をつぶさに調べられることに彼らは慣れていませんから」
 この「苦痛」がいかに社会的に表出されるかをポーリーヌは嫌というほどわかっている。「私の外見にまつわる侮辱を数千件も受けとりました」と教えてくれる。「私は何度もヒトラーに画像加工されているし、世界中から殺害の脅迫を受けています。とくに独創的なものは、スペイン人の男性からインスタグラムで送られてきた音声メッセージで、丁寧な口調でこう言うんですよ。ハロー、ポーリーヌ、君が死んでくれたら嬉しいな。君を見かけたら僕の言った意味がよくわかるだろうよって」
 ミソジニーはミサンドリー(男性嫌悪)を正当化するというのが彼女の出した結論だ。2020年に出版された彼女の本『私は男が大嫌い』はフランスで一大論争を巻き起こした。それは男性への嫌悪と不信を明快このうえなく訴えるものだった。「女性には男性を嫌いになる権利があるはずです」と彼女がフランス語でわたしに言う。この本はもともと非営利の小さな出版社モンストログラフから刊行され、初版はわずか400部だった。そのほとんどがポーリーヌの友人やフォロワーの手に渡るものと思われた。ところが数日のうちに、自分の書いた専門書がまさに痛いところを突いたのだとわかってきた。刊行当日、フランスの女男平等担当省の顧問を務めるラルフ・ズルメリーが、ジェンダーにもとづくヘイトを煽動するとの理由でこの本の出版禁止を求めたのだ。その後、同省はズルメリーと距離を置き、のちに彼は職を去ったのだが、この件はメディアで大々的に報道され世間の注目を集めた。『私は男が大嫌い』は世界的なベストセラーになり、数万部が売れた。
 ポーリーヌの発想は物議をかもすもので、フェミニスト全員が共有するものというわけではないし、ミサンドリーを拒否するフェミニストも多い。ポーリーヌは自分から見てミソジニーとミサンドリーがなぜ比較可能でないかを説明してくれた。「ミソジニーは、特権的立場にいる側が抑圧される側からさらに利益を得るために使われます」。ミソジニーとは反対にミサンドリーは、ミソジニストや抑圧的な男性から自身を守るための防御策なのだと彼女は考える。
 ポーリーヌは、男性たちがひけらかす強固な男子クラブフラタニティに対抗すべく、女性たちももっと強力な女性クラブソロリティをつくるよう訴える。「我が道をゆく男たち」(MGTOW)の女性版があってもいいではないか。「自分たちが読む本や観る映画、それから日常の関係でも、女性を優先的に扱うよう自分たちが主になって決められるのですから」。とはいえポーリーヌも認めるフェミニズムの問題のひとつは、それがひどく排他的になる傾向があることだ。フェミニストのサークルは、すでにフェミニストであり知的エリート層に属する女性しか受け入れないことも多い。「保守派はこの隙を突いて反フェミニズムを宣伝するんです」
 また社会が女性に押しつける期待も、男性抜きの人生を送りづらくしているとポーリーヌは考える。異性愛の大半の女性が思い浮かべる成功した人生とは、男性と結婚し、彼の子どもを産むことだ。「男性が支配する規範をもとにして、すでに社会化がなされているからこそ、なおさら女性解放運動を急進的なものにし、古いパターンを打ち破ることが必要です」と彼女は断言する。それは決して楽なことではない。
 反フェミニストは、現代のフェミニズムは「生物学や人間の心理を真っ向から否定すること」で成り立っていると考える。そして男女間の生物的な違いとされるものを強調すべく、男性は女性よりも真面目で誠実なことを示す調査を引き合いに出す。ゆえに男性のほうが高い地位に就き、収入も多いのだという。ところが多くの学術研究からは、むしろ女性のほうが真面目さや誠実さにおいて点数が高いことがわかっている。
 男女間の心理学的な違いは複雑で議論を呼ぶものだ。研究者らは、ジェンダー・パーソナリティ間の差は金星と火星の違いというよりノースダコタ州とサウスダコタ州の違いに近いと主張する。それに、たとえ男女間の社会的ヒエラルキーが進化論にもとづくものだとしても、だからといって、それがフェアなことでも望ましいことでもないだろう。
 生物学的な決定論に反フェミニストが執着するせいで、ジェンダー化された行動が形成されるうえで社会がどのような役割を果たすかが見過ごされている。ポーリーヌは、自分に割り当てられた役割から逸脱する人間は罰せられるのだと指摘する。女らしいとされる感情や性質を見せる男性をわたしたちは軽んじたりするではないか。ポーリーヌは続ける。「現代のジェンダー規範のせいで、ちょっとした毒を持たずには男らしいとまず認めてもらえないんです」
 思えばたしかに、インセルは攻撃的な大黒柱の「アルファ」という偏狭なイメージを抱き、女性の価値を性的魅力や生殖能力で決めることに執着する。この社会は家父長制の理屈で動いているのだ、というジョーダン・ピーターソンの声が聞こえてくるようだ。ジェンダーロールについての考えがもっと柔軟なものにならないかぎり、男性の権利を擁護するイデオロギーの魅力は増すばかりだろう。

* * *

 なぜフェミサイドの発生率が上昇し、女性の生殖に関する権利が脅かされるのか? なぜレイプや殺人の脅迫を受けることが、人前に出る女性の日常になってしまったのか? 急進的なサブカルチャーは、広がる不満を利用する一方で連帯感や主体感を授け、政治に不相応な影響を与えるようソーシャルメディアをてこ入れし、社会を左右する力を獲得した。そして、それはまさしく反フェミニズムのしてきたことだ。
 ミソジニーは最古の偏見や憎悪かもしれない。19世紀に女性の権利擁護運動が台頭し、20世紀にフェミニスト運動が起きても、それはいつまでたっても真に消えることはなかった。むしろミソジニーは、ここ10年のうちに目覚めたサブカルチャーのなかに潜伏していたにすぎない。
 2014年のゲーマーゲート騒動、2016年のトランプの大統領選勝利、そして2022年のロー対ウェイド判決の破棄は、すべて西側の女性の尊厳を後退させる道に歩を進めるものだ。それは男性至上主義を復活させるために活動してきた過激主義者にとっての勝利だった。
 マノスフィアは女性を「性的市場価値」や「繁殖機能」というものに着々と貶めている。今日、公的な政策や主流の言説は、その遅れたジェンダー意識をオウム返しに繰り返すだけだ。アメリカで中絶の権利が憲法で認められて50年後、女性たちは再び自分の体に関することを自分で決める自由を失った。ナンシー・アスターが英国議会で最初の女性下院議員に選ばれて100年後、女性候補はミソジニストによる虐待の新たな波に見舞われ、選挙の前に身を退いている。女性の権利を求める歴史上最も画期的な出来事が逆転されるのを、どうして誰も防げなかったのか。
 答えはいわゆるブライトバートの方針にある。「政治とは文化の下流だ」著名な保守ジャーナリストでブライトバート・ニュースの創設者、アンドリュー・ブライトバートがそう言ったのは有名だ。マノスフィアのムーヴメントはメンバーたちに政治思想だけでなく、彼らが没入できる文化をも提供する。その内輪の言葉やミームや引用は、ゲームやアニメ、ポルノのコミュニティといった他のオンラインのサブカルチャーと受粉し合っている。
 周縁のミソジニストの触手は、セックスを奪われた孤独な男性たちのはるか先へと伸びている。その世界的な影響は、サブカルチャーが社会的に受容され、政治的地位をいよいよ獲得しかねないことを教えている。だがそれだけではない。一旦急進化された人びとは、ひとつのイデオロギーだけにとどまることはない。多くの人間にとってミソジニーは、極右過激主義の坂を降りていく始まりにすぎないのだ。

訳註
*1=インセルのコミュニティ内で「不本意な禁欲」状態にあることをさす言葉。
*2=ユーザーやデータの量。ウェブサイトへのアクセス数やセッション数なども含まれる。
*3=警察や男性社会にとくに見られる保守的・差別的態度。
*4=女性に半ば強制的に課せられた家事労働は生活に有用であるが真の意味はなく(=非本質的)、個性を欠いたもの(=一般性)であるとボーヴォワールは指摘している。


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