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わたしのおとうさんのりゅう 〔第7回〕

詩人の伊藤比呂美さんの連載。幼い頃に、誰もが一度は目にしたことのある名作『エルマーのぼうけん』(ルース・スタイルス・ガネット作・わたなべしげお訳・ルース・クリスマン・ガネット絵、福音館書店)。そこから始まる、児童文学、ことば、そして「私」の記憶をたどる道行き。 

父は「博奕打ち」だった。父の名前を見つけた『サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(鈴木智彦著、小学館)、そして『ドリトル先生物語』(ヒュー・ロフティング作、岩波書店)とが交差しつつ、「私」の記憶と父の過去をたどる旅はさらに深まっていく。お楽しみください。

人を小ばかにしたように

『ドリトル先生のキャラバン』はこんなふうに始まります。
『ドリトル先生のサーカス』で、サーカスという興行に、言い替えれば「遊行の芸能」に身を投じたドリトル先生ですが、その後、町の動物屋で一羽のカナリアをみつけました。雌鳥は歌わないと先生は考えていましたから、安値で、期待せずに買ってきたわけですが、このカナリア、実は歌も作曲も天才的でした。
 その場面を引用しますが、英語原文もつけておきます。井伏鱒二のすごいわざを見てください。原文で、カナリアはかなりぶっきらぼうな受け答えをしていますが、日本語訳では、一文を長くし、敬語を使うことで、自分を引き下げています(ダブダブほどじゃありません)。井伏鱒二によって、彼女の自我の強さと先生に対する敬意とが、翻訳され、強調されて、あらわされているのがよくわかるかと思います。

「わしは、おまえが、雌鳥かと思っておった。」と、先生はいいました。
"I thought you were a hen," said the Doctor.
「そうなんですよ。」と、カナリアがいいました。
"So I am," said the bird.
「それにしては、歌をうたうじゃないか!」
"But you sing!"
「でも、歌をうたっていけないわけは、ありませんでしょう。」
"Well, why not?"
「しかし、雌のカナリアはうたわぬものだ。」
"But hen canaries don't sing."
緑色の小鳥は、人を小ばかにしたように、声をふるわせて、長いこと笑いました。

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