地獄の年末年始
【第41話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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江尻の和田島太左衛門と津向の文吉つぁんの喧嘩がきっかけで清水を出て旅に出た次郞長、道中えらいめに遭いながら高萩の万次郎親分のところに草鞋を脱いで三月経った頃、三河の小川武一から手紙が来て、「三河へ戻って来い」と誘われた次郞長、矢も楯もたまらなくなって万次郎さんのところを発って三河へ戻ったのが弘化二年の十二月でありました。
「よく、けえってきた」
「おう、また厄介になるぜ」
「おう、そうしねぇ、そうしねぇ」
それだけで通じ合う武一と次郞長、言葉が要らない関係であった。そして武一の次郞長に対する愛は深かった。次郞長が戻って数日が過ぎた頃、武一は次郞長に、
「次郎、おめぇも暮れ方でなにかと物入りなんじゃねぇか」
と言う。図星を指されて苦笑いする次郞長、その次郞長に武一は言った。
「そこでだ、忘年会って訳じゃねぇが御油の末広屋って、おめぇ、知ってるか」
「知ってるもなにも、御油で一番、いい家じゃネーカ」
「そうよ。そこでおまえ、おめぇに賭場を開かせてやろうと、こういう寸法よ。どうだ」
「どうもこうもねぇ、ありがてぇ、ありがてぇ」
と次郞長が大喜びするのも無理はない。宿場の金持の旦那方が集まるに違いない賭場をおまえに任せてうんと儲けさせてやろうというのだから嬉しいに決まっている。
「そいじゃ万事よろしく頼むぜ」
とお願いして、次郞長も武一もその日を楽しみにしていた。ところが。
ここに麩屋の弁五郎という男があって、この男は武一と親しい、胡桃の萬吉という男にぞっこん惚れていた。惚れて惚れて惚れぬいていた。そこでなにくれとなく親切にし、弁当を届けてやったり、寄り添ったりしていた。だが胡桃の萬吉は麩屋の弁五郎の顔つきや体つきが嫌で嫌でたまらず、その都度、それをおぞましいと思い、嘔吐していた。悩んだ萬吉はその事を武一に相談した。相談を受けた武一は、「それは嫌だろう。よしわかった。俺がそれとなく諭してやろう」と言い、麩屋を呼びにやった。呼ばれてやって来た弁五郎に武一は、
「萬吉が嫌がっている。おまえのすべてが気持ち悪いそうだ。つきまとうのをやめてやれ」
と、ド直球で言ってしまった。
好きでたまらない弁五郎が実は自分のことを気持ち悪いと思っているという事実を知らされた弁五郎は衝撃を受け、大量の麩を丸呑みして自殺を図った。しかし死にきれず、嗚咽号泣するうち、いつしか頭の中に、「こんなことになったのもすべて武一のせいだ。なにもかも武一が悪い」という倒錯した論理を組み立て、そんなことをする武一に復讐したい、と思うようになった。だが武一は剣術もできるし乾分も多い。三文奴の弁五郎になにができよう。なにもできるはずがなかった。そんなことで無念の涙をのむ日が続いていたのだが、ある日、博奕仲間から小川武一が御油の末広屋で大きないたずらをするという話を聞いた。それを聞くなり弁五郎は、「しめたっ」と大きな声を出し、それに驚いて、「なにがしめたんだい」と聞く相手を、「そんないい博奕ができるのはありがてぇと思って」と誤魔化し、「バカ野郎、金持の旦那方が集まるんだ。一回に賭ける金だって百両二百両、俺やおめえが勝負できるかよ」と言うのに、「もっともだ。ははははは」と笑って誤魔化し、その足で、「おおそれながら」と上役人に訴えて出た。密告をしたのである。
そんな事とは露知らぬ次郞長、火鉢のうえの鉄瓶がしゅんしゅん湯気を立て、灯りが点る末広屋の二階座敷、帳場に座り込んで、せんぐりせんぐりやってくる客の旦那方に如才なく挨拶していた。
畳の上に白い布を張った盆茣蓙の両側、丁方と半方に分かれてお客が座り、真ン中に中盆と壺振が向かい合って座って、サア、おもしろいことが始まった。旦那方は、このところまともな賭場がなかなか立たなかった、今日は一年の厄落とし、ムチャクチャ遊ぼう、というので、みな景気よく遊んでくださり、儲かってしょうがない次郞長はウハウハであった。一緒にやって来た武一もウハウハであった。中盆を務める者も、壺振りも、お客を案内する若い衆もウハウハであった。心付けをあり得ないくらいに仰山もらった宿屋の女中までもがウハウハであった。
そんな風に全体的にウハウハしている末広屋の前に、まったくウハウハしていない寡黙な集団が立った。そう、次郞長だちを召し捕りに参った、与力、同心、小者あわせて十名ほどの役人どもであった。
与力が同心に目配せして無言で頷くと、同心も頷き、振り返って、背後で早くも気合いを漲らせている小者どもに、「召し捕れ」と小さな声で言った。緊張しきった小者たちは腰を落とし、十手や棒を構えて、ジリッ、ジリッ、と戸口に向かって進んで行く。
「中入る前からジリジリしてどないすんねん。さっさと行かんかあ、ド阿呆っ」
呆れた同心が叫んで腰を蹴ると蹴られた小者はつんのめって中へ這入っていき、それに続いて余の者もゾロゾロ中に入っていった。
「お役人だあっ」
階下に居た三下奴が叫び、それが二階に伝わる。
「ちっ、さしゃあがったなあ。お、灯りを消せ。旦那方、さ、こちらへ」
と次郞長、お客を逃がそうとする間もあらばこそ、役人だち、ドヤドヤと踏み込んできて、さあ、こうなったら手向かいしたところで仕方がない、
「神妙にしやがれ」
と言われ、
「へ、恐れ入りやしてごぜやす」
と両の手を前に差し出して神妙に縛に付いた。
何人が逃げ仰せ、何人が捕まったのか。わからない。わかないが大抵は捕まったようで武一も捕まり、宿屋の主も客の旦那方も捕まったようだった。
次郞長たちは赤坂の獄に下された。
「まったく飛んでもねぇ年越しになりゃあがった」
こぼしながら次郞長は牢へ放り込まれた。
その頃の牢内には法の定め以外に、様々な複雑なしきたりがあり、これに背くと、「名主」と謂う、囚人の長によって制裁され、それにより死ぬこともあった。
牢へ入るときは格子で囲われた牢の正面と後ろを走る土間の通路で、着物を全部、脱がされ、持ち込みを禁止されている物を持っていないか改められる。
その日入牢したのは次郞長たちの他、もう一人若い男がいた。次郞長もその男も素っ裸にされ、髷の中まで調べられた。それが済んだので着物を着ていいか、というとそうでもないようで、脱いだ着物を抱えて立っていると、役人が牢内に向かって、「牢入りだ」と呼んだ。そうしたところ、暗い牢の中から、「おー」という男だちの声がした。正面の格子の右隅に、低く狭い出入り口があり、これを「留口」と謂った。その留口が開かれ、「駿州無宿長五郎、二十五歳」と役人が言うと、「おありがとうございます」という獣が吠えるような声がした。
「入れ」
張り番の小者がいうのに従い、次郞長が腰をこごめて留口から中に入ろうとするところ、後ろから小者が腰をポーンと突いたからたまらない、
「あととととと」
つんのめって転がり込んだところ、待ち構えていたひとりの囚人が頭からスッポリとお仕着せをかぶせた。もう一人の、仁平というらしい男も同じようにされて、それで二人の囚人ができあがった。次郞長は隣で半泣きになっている若い男の姿に自分を見て、
「情けねぇことになちまった」
と嘆きつつも牢内の様子を素早く観察した。
牢は間口四間奥行三間ほどの広さで、板張りの床のあちこちに畳が敷いてあったが、異様なのは一枚の畳の上に座っている人数が異なっている点であった。
一枚の畳の上に七、八人が窮屈に座っているかと思うと、或いは四、五人、或いは三、四人で使う奴らもあった。かと思うと畳一枚の上に二人でゆったり座る奴、さらには畳一枚を独占する奴もあった。
そして更に異様なのは、畳を重ねて座る者があるということで、畳を五枚重ねた上に座る者があるかと思うとそのさらに上、十二枚の畳を重ねてその上に座る者もあった。
次郞長と仁平はその畳を十二枚重ねた上でそっくり返っている男の前に連れて行かれ、板の上に座らされた。年の頃、三十五、六の憎々しげな面つきの男である。
男は二人を上から見下ろし、面倒くさそうに、
「ツル」
と言ったが次郞長は何のことだかわからない。「はて、なんのことだ」と訝っていると、仁平が、「へい」と答え、抱えていた着物を噛み破り、なかから金貨を取り出して男に差し出した。これを受け取った男は、
「けっ、たった二分か」
とつまらなさそうに言い、「まあ、いい負けてやれ」と言うと、数人の男たちが、ソロッ、近づいて来て、腕をねじ上げ、襟首を摑んで床に額を押しつけた。そして背後に居た男がキメ板という板を振りあげたかと思うと、仁平の尻めがけてこれを振り下ろした。
バシッ、という音がして、仁平が、ウッ、と呻く。これが数回繰り返されて仁平は解放された。次は次郞長の番である。
「おい、おまえ」
「あっしですかい」
「おまえ、ツルは」
と問われ、仁平が金を出したのを見たから、次郞長はツルというのが金のことを指しているのはわかったが、だけどそんなものは持ってない。そこで、
「ツルはございません」
と言うと控えていた男たちはザワザワし、畳の上で威張りくさった男は、「なんだとお」と腹立たしげに言い、そして、
「ねぇならしょうがねぇ。十分に可愛がってやれ」
と男たちに命じた。男たちは仁平にしたのと同じように次郞長をねじ伏せた。ねじ伏せられた次郞長はむかついたが、「郷に入りては郷に従え、これが牢内の作法ってえならしょうがねぇ、我慢しよう」と敢えて逆らわず、其の侭、じっとしていた。
そうしたところ後ろに居た男たちは、尻といわず背中といわず、さっきよりもずっと力を込めて打った。打たれる度、次郞長は脳天に電気が走るような痛みを覚えたが、
「俺も清水の次郎長だ。そこいらの騙りやコソ泥じゃねぇ。これしきで音をあげてなるものか」
と、つい悲鳴が洩れそうになるのところ、歯を食いしばってそれに耐えた。続く。
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