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因縁/伊勢|町田康

【第46話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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 福太郎によく似た八尾ヶ嶽に三十両を恵んでやった次郞長、博奕場をふらりと出て、暫く歩いて、ふと背後に人の気配を感じて立ち止まった。
 次郞長は背後を振り返って見たが誰もおらない。
「うん。誰もいないね」
 次郞長はそう呟いてまた歩き始めた。
「もしかしたら八尾ヶ嶽が追って出てきて、『三十両もの大金を恵んで貰ったのは本当にありがたい。お礼といってなにができるわけではないが、もしなんだったら今晩一晩、お付き合いして、お礼の真似事がしたいでごんす。』かなんか言うと思ったんだけど、そんなことはなかったな。はは。あはは。宿へ帰ろう。帰って寝よう」
 そう言って次郞長は再び歩き始め、宿へ戻って部屋に入った。そうしたところほどなくして、表の方から、
「長兄哥」
 と声を掛ける者がある。
「誰だか知らねぇが、俺を気安く長兄哥と呼んだな。ま、いいや。入んねぇ」
「へっへっへっ。邪魔するぜ。こんばんは」
 と言って入ってきたのは、次郞長も見知った地元のやくざ、小川の勝五郎の身内、秀五郎、竹五郎、相場の佐源次の乾分、松次郎、由太郎の四人《よったり》であった。
「なんでぇ、てめぇたちか」
「なんでぇ、は御挨拶じゃねぇか。時に長兄哥、今日は随分と儲けたようじゃねぇか」
「ああ、お蔭さんで儲けさせて貰ったが、それがどうかしたかい」
「いや、別にどうもしやしねぇがね、こっちはどうもうまくねぇ。その儲けをそっくりこっちに回してくれねぇものかと、こう思ってね、それでやって来たのよ」
「よくわからないだが、なに、つまり金を貸せ、とこう言うのかい」
「早く言やあ、そういうこった」
「すまねぇ、兄弟、金はねぇ。八尾ヶ嶽にみんなやっちまった」
 へらへらして言う次郞長に向かって、それまで下手に出ていた秀五郎は初めて声を荒らげて、
「ねぇ、てぇんなら仕方ねぇ。インチキをしやがったおめぇの、その腕を貰っていくまでだ。覚悟しやがれ」
 と言って次郞長を脅した。つまり四人は次郞長のイカサマをしたと因縁を付けてきたという訳であった。さあ、それに対して、確かに身に覚えのある次郞長は言った。
「はははは。おもしれぇことを言いやがる。いいか、手や足なんてもなァ、外して持ってけるもんじゃねぇんだよ。それを持ってくてんだからおもしれえ。どうやって持ってくんだか、俺も見てみてぇ、さ、持ってけるもんだったら持ってけ。さあ。早くしろよ。どうやって持ってくんだい」
 と次郞長、最後、強い口調でいうのに四人は一瞬、怯んだが、さっ、と目配せを交わすと、出し抜けに長脇差の鞘を払って、いきなり次郞長に斬ってかかった。
 もちろん次郞長に油断はない。
 いきなり斬ってくるのをヒラリと躱すと、後ろにあった窓戸を外し、これを左手に持って楯となし、右手にいつ抜いたか、匕首を持って、近づくと突くぞ、という構えを見せる。
 そしてその構えに隙がなく、四人は長脇差を振りかざしたまま、
「この野郎」
「覚悟しやがれ」
 と悪態を吐くのと裏腹に、じりっじりっ、と後ろへ下がっていく。
 あべこべに次郞長は、
「どうすんだよ、腕、持ってくんじゃねぇのかよ」
 と言いながら、じりじりっ、と前へ出ていく。
 唐紙のところまで追い詰められ四人はもうそれ以上、後ろに下がることができず、
「それ以上、前へ出ると本当にやるぞ」
「来るな、下がりやがれ。下がらないと斬るぞ」
 など言って虚勢を張るも、刀を持つ手がブルブル震えている。これを見て取った次郞長、匕首を握った手をダラリと下げ、笑いながら近づいていって、
「あ、そうかい。じゃ、やりな。早く、やりな。なんだ、やらねぇのか。やらねぇんなら、こっちから行くぞ」
 と初めて大声を出し、匕首を構えた。その途端、四人は、
「こわいー」
「いやよー」
 と悲鳴をあげ、先を争って遁走した。そのあまりの弱さに次郞長が呆れていると、階段の下からこわごわ様子を窺っていた宿の者の中から番頭が上がってきて、
「お怪我はございませんでしたか」
 と問うので次郞長、
「あ、こら番頭さん、迷惑掛けてすみません。見ての通りなんでもござんせん。これは僅かですが迷惑料、どうか受け取っておくんなさい」
 と言って懐から二分金を二枚取り出して番頭に渡した。それを聞いて番頭、
「これはたくさんにありがとう存じます。とにかくご無事でなによりですが、それにつけても先程の連中、あれはなんですか。手前、階下《した》から見ておりましたが、剣呑じゃありませんか。いきなり物騒な物を振り回して、ありゃあ、一体、どこのどなたで、いったいなにがあったのでございましょう」
「なーに、どってことねぇんですよ。強請集りのようなもんで」
「どこのどいつです」
「小川の勝五郎の身内と相場の佐源次の乾分ですよ」
「あー、どおりで見たような顔だと思った。けど、それにしても弱いですね」
「ははは」
「せいぜい言い触らしてやりましょう」
「なんて言い触らすんでしょう」
「相場の佐源次の乾分たち四人が、一人で居た、うちのお客さんを脅しに来たが、弱すぎて、あーた一人に脅されて、怖くなって四人とも泣いて逃げた、と」
「これ、番頭さん。相手は男を売るやくざ稼業、そんな事を言い触らされたらきまりが悪くって此の土地にいられねぇ。そういうことを言い触らすのは……」
「やめておいた方がいいですか」
「どんどんやりましょう」
「ええんかいっ」
 と言う訳で、四対一なのに、喧嘩をする前から怖くなって逃げたということを宿中に言い触らされ、これを耳にした相場の佐源次はそういう乾分を持っている事によって自分の評判が落ちる事を恐れ、松次郎、由太郎に親子の盃を返させて、破門にした。小川の勝五郎がどうしたかはわからないが、同じく付き合いを断ったと思われる。

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