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わたしのおとうさんのりゅう 〔第3回〕

詩人の伊藤比呂美さんの連載。幼い頃に、誰もが一度は目にしたことのある名作『エルマーのぼうけん』(ルース・スタイルス・ガネット作・わたなべしげお訳・ルース・クリスマン・ガネット絵、福音館書店)。そこから始まる、児童文学、ことば、そして「私」の記憶をたどる道行き。

原作と日本語訳を読み進めるうちにますます深まる違和感。それは「she」と呼ばれるものたちの少なさと、さるたちの名前にあった意外な、そして驚くべき共通点だった。そこから浮かび上がる、著者ルース・スタイルス・ガネットの知られざる人物像。女性であること、娘であること、父、そして、母たち。当時の「わたし」の記憶とからまりあいながら、まったく新しい物語として『エルマーのぼうけん』が見出されていく。お楽しみください。

エルマーのぼうけん3

   
 確認しておきますね。
 著者はルース・スタイルス・ガネット(1923-まだ生きている)。さしえ画家はルース・クリスマン・ガネット(1896-1979)。
 ルース・スタイルスが5歳のときに、その父のガネットさんが妻と離婚して家を出て行きました。数年後、彼はルース・クリスマンという女性と出会います。彼女はすでに名のあるさしえ画家で、絵本を何冊も描いていました。
「きみの名は」とガネット父はその女性に言いました。「ぼくの娘の名と同じだね」
 それがきっかけで2人の間に親密さが生まれ、やがて恋になり(ここまで妄想)、父は再婚し、娘ルースは、継母ルースのいる父の家と母の家を行き来するようになったわけです。
「私は運のいい子どもだった。父が再婚したおかげで、私を愛してくれるおとながまた一人ふえたのだから」
 87歳のとき、そうインタビューに答えた著者ルースが、22歳で、スキー場のロッジでアルバイト中に「One cold rainy day when my father was a little boy」と書き始めたとき、そして父と継母ルースの住む家で書き終えたとき、著者ルースは、このお話を「わたしのおとうさん」に向けて語っていたのではないかという気がしてならないのです。
 それではなぜ2冊目からMy father じゃなくてElmarにしたのか。著者本人もインタビューでその疑問に答えていません。
「気がつかなかった、人に指摘されるまでは」と著者のルース・スタイルス・ガネットは言いました。

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