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【五刷記念公開】だれにでも礼儀正しい錦鯉さんと飲み屋に行かなかった日/枡野浩一

2022年9月23日、歌人・枡野浩一のデビュー25周年の日に刊行された『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』。発売三カ月弱にして五刷決定の大ヒットとなりました。重版を記念して、一部書店様で配布中の特別冊子「枡野浩一と私」より、枡野浩一さんのエッセイを転載いたします。(2022/12/17)
※本文中の年齢などは執筆当時(2022年9月)のものです

 芸人さんが短歌に挑戦するケースは目立つようになってきたが、歌人が芸人活動に挑戦するケースは目立つようになってきていない。
「短歌をひろめたい」という不純な動機で、短歌の出てくるコントや漫才に挑戦していた。
 私が錦鯉さんの後輩だったのは、四十四歳からの、わずか二年間ほどだった。今現在の錦鯉渡辺さんが四十四歳だから、そのくらい「おじさん」の年齢になっていた私を、新人芸人として受け入れてくれた事務所SMAの懐の広さには感動する。芸人をめざそうと本気で思っていた自分にもあきれつつ感嘆する。
 SMA芸人の拠点は、東京都豊島区千川にある「びーちぶ」という小さな小屋だ。わけあって風呂なし生活をしていた私は、千川の銭湯もよく利用していたのだけれど、芸人の先輩方と裸で対面したことが一度もなかった。貧乏芸人を自称しながら、あんがい風呂なしの先輩が少なかったのかもしれないし、隣町の別の銭湯に人気があったせいかもしれない。 
 先日、錦鯉さんがテレビで「行きつけ」として紹介していた銭湯を私は知らなかった。そうか、私は皆の「行きつけ」を知らないほど事務所で浮いていたのだ、と改めて思った。
 私一人が通っていた千川の銭湯は、壁の一面が大きな水槽になっており、巨大な錦鯉たちが浮いたり沈んだりしていた。泳ぐほどのスペースがなく、もう浮き沈みしかできないくらい超満員なのだ。錦鯉さんの芸名はそこから付けたのかと、眺めるたびに思っていた。
 その様子はまるで「びーちぶ」の中で、浮いたり沈んだりしている地下芸人のようです、と「おしゃべりライブ」で私が話したら、あとで錦鯉渡辺さんが近づいてきて、言葉すくなに私の着眼点をほめてくださった。それだけでなく、私たち「詩人歌人」を飲みにまで誘ってくれたのだった。くりかえすが私は事務所で浮いていたため、コンビ揃って飲みに誘っていただいたのは初めてだったのです。
 ところがその日、大切な先約があった。相方の「詩人」こと本田くんが、長年の仕事仲間であるイラストレーター目黒雅也さんと私を引き合わせるために準備していた日だった。忘れもしない七月六日、サラダ記念日である。
 あのとき先約をことわって、錦鯉さんの飲みの席に混ぜていただいていたら、どんな未来があったんだろうと、テレビで錦鯉さんをみるたびに思う。色々あって私は結局、SMAの先輩とサシで飲むことは一度もなかった。
 芸人事務所をやめて、最初につくった本は、目黒雅也さんの絵と組んだ絵本だった。もう出版界を捨てようと誓った時期もあるのに、絵本や童話をきっかけに今も本を書いている。
 あの八年前のサラダ記念日、私は自分の進む道を、やっぱり自分で選んだんだ、と思う。

  だれにでも礼儀正しい錦鯉さんと飲み屋に行かなかった日

(短歌と文=枡野浩一)

(『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』刊行記念特別冊子「枡野浩一と私」より転載)


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