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【書評】吉本ばなな「このように見えている」|坂口恭平『Pastel』書評

たとえばなしから書き始めるのもちょっとずれているかもしれないけれど、これがいちばんわかりやすいと思い、書きます。

私は13歳のとき、ダリオ・アルジェントという監督の映画を観て、「なんでこの映像は私の目に見える景色がわかるの?なんで私の世界をきちんと再現してくれているのだろう?」と思った。
私がその監督を好きだと言うと、人はみな「スリルがあるから?」「怖いから?」「女優さんがきれいだから?」などといろいろ推測してくれた。彼の撮るものはいわゆるホラー映画だったからだ。
でも、そういうことではなかった。私の目には世界はああいう色彩に見えていたし、人の心の動きと視線の動きはいつも彼の撮った映像のまま。そして他の映像は私の世界を再現していないから、面白いけれど全く憩えない、と思っていた。
歳を重ね、自分のエネルギーが落ち、世界がだんだんシャープさを失ってきて、私は他の映像にものんびりといいところを見つけられるようになった。それはいいことだ。
でも、ふるさとのような感覚は彼の撮る世界にしかない。私には、ほんとうに世界が彼の撮るような極端なものに見えていたのだ。

坂口恭平さんのパステル画は、まずサイズを小さくしたところが天才だと思う。だれもがなんとなく「小さいと評価されないのでは」「小さいと勝負していないように思われるのでは」というわけのわからない制限を自分にかけてしまうものだが、彼はそれをしなかった。写真を撮って、その写真の中から抽出した「彼に見える世界」を完璧に再現できるのはあのサイズだった。それを直感的に選び取ったスピード感にまず感動する。
初期の絵からこれらのパステル風景画に至った経緯を見ていると、まるで二次元が三次元になったような進化を感じる。ある日急にビックバンが起きたというか、ひらめきが走ったというか、そういうイメージだ。
私もどちらかというと脳の使い方や分泌される物質がいつも平均的じゃないからよくわかるし、感受性の豊かな人はみんなこう思うはずだ。
「私にも世界はこういうふうに見えているんです!」
ちょうど私がアルジェントの映像に出会ったときのように、坂口恭平さんにとって、世界はこんなふうに光や水や雲や風や木や草を中心に見えているんだと思う。
彼が描いているのは、いつもなんということのない風景だ。都市にあるいは地方に住む人たちが、毎日通勤の車の中から眺めているような。わざわざ見にいく景色ではない。
でもそこにこそ「人生の真実」が潜んでいる。私たちはそのことをふだんすっかり忘れている。「忘れさせられて」いる。
だから彼の絵を見ると思い出すのだ。小4のとき、確かに光は、雲は、風は、水辺はこんなふうに見えていた。写真に似ている、でも写真とは違う。心の目で見た風景は光と命が中心なのだ。もしかしたら生まれてすぐに、あるいは生まれる前にみんなが見た景色なのかもしれない。それはいつだって奇跡のように鮮やかなのだ。


吉本ばなな
小説家。1987年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で第39回芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で第2回山本周五郎賞、95年『アムリタ』で第5回紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』で第10回ドゥマゴ文学賞を受賞。
近著に『吹上奇譚 第三話 ざしきわらし』(幻冬舎)がある。

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