見出し画像

”bitch” よろしくない言葉(前篇)/『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』


【試し読み】第9章(1)『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険
4月13日発売の『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』は、アメリカで最も歴史ある辞書出版社メリアム・ウェブスター社の名物編纂者が、辞書編纂の仕事をユーモアたっぷりに紹介つつ、「英語とは何か」にさまざまな角度から光を当てる1冊です。第9章「Bitch よろしくない言葉」前半の試し読みを無料公開しています。第1章はこちらから。

Bitch  よろしくない言葉


 一日中、言葉をつぶさに観察していると、言葉との関係が非常によそよそしく不自然なものになってくる。医者と同じだ。たとえて言うなら、こんな感じ。美人がひとり、オフィスにやってきて、着ているものをすっかり脱ぎ捨てる。それなのに、こちらはその間うっとりと血圧計を見ている、というような。

 いったんこのオフィスに入ってきて、すべてを脱ぎ捨てたが最後、どんな言葉も辞書編纂者にとってはみな同じ。粗野な言葉、低俗な言葉、恥ずかしい言葉、猥褻語、もしくは不愉快な言葉、それらがあたかも学術用語であるかのように、ごく普通の語彙であるかのように、臨床的に扱われるのだ。要は、「慣れ」だ。

 先日のことだ。新人がデスクに静かに座っていると、会話に夢中の先輩たちが通りかかった。「ちんこ(cock)は本当に入れるべきかなあ」デスク脇の通路をさっそうと歩くふたりのうちのひとりがそう聞いた。「だって、くそばか(shithead)も入っているし、糞(turd)だって入っているし……」彼女の耳に飛び込んできたのはそれだけで、ふたりは通り過ぎてつづきの会話は聞こえなくなった。

 どの言葉がどの辞書に入るかを決めているときにはこんな会話は日常茶飯事である。おぞましいと言って手紙を送ってくる人たちに、不謹慎な言葉を載せるなんてとおっしゃいますが、辞書にはその言葉の使い方が書かれているだけなんですと納得してもらおうと、いったいわたしは何年間、奮闘努力を続けていることだろう。だいたい、いたいけな子どもが不謹慎な知識を入手するのに辞書を介するわけがない。英語の辞書は、ごく初期の頃から、あらゆる種類の禁句を掲載してきた。たとえば、1598年のジョン・フローリオーの伊英辞典には動詞“fuck”がある。ジョンソンもウェブスターもそんな低俗な言葉を入れるのを拒否したというのに─ジョンソンは美的、ウェブスターは倫理的観点から好ましくないとして─、そうした言葉が頻繁に多用されていることは否めない。わたしがどんな禁句を見ても動じないのは、不感症なせいでもなければ、ツウぶっているわけでもない。ただ、仕事だから。以上。このわたしが動転するような言葉などほとんどない。と、『カレッジ英語辞典』で“bitch”を引くまでは思っていた。

bitch noun \'bich\
1 : the female of the dog or some other carnivorous mammals〈犬、もしくはほかの肉食性哺乳類の雌〉
2 a : a lewd or immoral woman〈ふしだらな、もしくは不道徳な女〉
b : a malicious, spiteful, or overbearing woman—sometimes used as a generalized term of abuse〈悪い、意地悪な、あるいは高慢な女。時に、一般に侮蔑語として用いられる〉
3 : something that is extremely difficult, objectionable, or unpleasant〈きわめて困難な、気にさわる、不快なもの〉
4 : COMPLAINT〈不平を表わす語〉

 それまで引いたことのない項目だったので、新しい語義を加えることを検討していたため確認する必要があった。もう一度読み、わたしは頭を傾げた。聞こえない音に耳を澄ませているかのように。すると、聞こえてきたではないか。これはうちの辞書では禁句(taboo)とされていない、という声が。

 辞書は禁句にさまざまな形で印をつける。よくあるのがレーベルで、語義の最初に警告を発する。「不快(offensive)」「低俗(vulgar)」「卑猥(obscene)」「侮蔑(disparaging)」などなどだ。残念ながら、こういうレーベルは不明瞭極まりない。たとえば、「低俗」と「卑猥」、「不快」と「侮蔑」、これらのちがいとは? 不快な言葉は侮蔑的じゃない?卑猥なものは低俗でもあるし、もしくはその反対も言えるのでは?

「低俗」か「卑猥」、どちらのレーベルをつけるかをどう決めるかという点において、内部資料は衝撃的なほど少なかった。黒本にもなければ、より近年の文体ガイドにもないし、言葉をひとつ入れてこれをどう呼ぶかを決めるリトマス試験についてもギルやスティーヴからのメールもなし。文体ガイドになにもないのであれば、われわれの前を歩いた巨人たちにとって、この言葉はあまりに常識的で言及するに値しなかったのだろうと推測するしかない。この答えを見つけるには、辞書に戻らねば。言葉を形容する際、「低俗な(vulgar)」とはどういう意味なのだろう? 『完全版』を引いて出てきたその意味は“lewd, obscene, or profane in expression or behavior : INDECENT, INDELICATE”〈ふしだらな、低俗な、冒涜的な表現もしくは行為:不適切・下卑〉とあり、方向性を示す引用としては“names too vulgar to put into print”〈印刷するにはあまりにも低俗すぎる名称〉があった。署名はH. A. チッペンデール。前途多難。結局は「卑猥な(obscene)」がその語釈にしっかり入っているじゃないか。反対に『完全版』で「卑猥な(obscene)」を引いてみると、“marked by violation of accepted language inhibitions and by the use of words regarded as taboo in polite usage.”〈一般的に使用が控えられている言葉の禁を破った、また節度ある場において禁句とされる語を使うことによって特徴づけられた〉とある。あーあ。これ以上「禁句(taboo)」からはなにも引き出せない。“banned on grounds of morality or taste or as constituting a risk : outlawed by common consent : (DISAPPROVED, PROSCRIBED)”〈道徳あるいは分別の点を鑑みて、あるいは危険と見なされて、禁じられた。合意のうえで禁止する:却下・禁止〉。この『完全版』には「合意のうえで禁止」とされる言葉はごくわずかしかない。では、「合意」とはだれの合意だろう? わたしのおばあちゃんが禁句と考える言葉は、わたしが禁句と考える言葉とは違う。だれかにとって不適切なことは、ほかのだれかにとってはなんでもないこともある。さらに面倒なのは、これだ。ある人にとって、ある文脈においては不適切な言葉も、ほかの文脈においてであれば、その同じ人にとっても差し障りないことがある。たとえば、通りで見知らぬ男から“man-hanting bitch”〈男たらし〉と呼ばれたときと、手腕をたたえて友人に“tough old bitch”〈タフな女〉と呼ばれたときとでは、わたしはまったく違う反応を示す。この3つの語釈は主観の曖昧さのウロボロスで、自分の尾を咥えてさるぐつわをしているのだ。

 当然ながら、この「だれかにとっては低俗、ほかのだれかにとっては卑猥、さらにほかのだれかにとってはやはり低俗で、時に不快、多くの場合侮蔑的」というレーベルはつけられない。われわれの文体ルールに反するからだ。無茶苦茶だと却下されるに決まっている。要するに、わたしはレーベルがひとつ欠けていることを不満に思っているのだ。とはいえ、冒涜や中傷の言葉の力が、人によって感じ方、識別法が違うとすれば、辞書編纂者は、ひとつのレーベルでその適用範囲をどう簡潔に伝えればいいのだろう。

***

 “bitch”が言葉として使われたのは第一千年紀に遡る。当時は雌犬を呼んだもので、狩猟や農学の文書で頻繁に見かけられ、そこでは「雌犬」の飼い方、育て方、走らせ方、出産法について論じられている。「犬」という意味であれば、取り立てて言うこともなく、扱いやすい普通の言葉だ。発情期の犬の一心不乱な様子から“bitch”は「ふしだらな女性」という意味も持つようになったと思われ、1400年頃になると、こうした意味として文書にも出てくるようになる。初期に書かれたとある引用を読むと、どこかのヘビメタのCDのライナーノートからそっくりいただいてきたのかと思ってしまう。“þou bycche blak as kole [thou bitch black as coal]”〈この、炭みたいに真っ黒な女め〉。シェイクスピアは『ウィンザーの陽気な女房たち』で犬を指して“bitch”を使ったが、そのころにはすでに「ふしだらな女」という意味が浸透していた。有力な説として、多くの初期史料から、この用法は演劇、風刺詩、大衆劇、要するに初期英語のパルプフィクションから始まったことがわかる。このことから「ふしだらな女」という意味の“bitch”は、1600年には少なくとも話し言葉だったと思われる。

 16世紀の辞書制作者たちは、当然“bitch“がなんたるかを知っていた。彼らは教養人であり、狩猟に関する本を読んでいたはずだからだ。同じく、演劇、風刺詩、道徳的な話についても知識があったり読んでいたりもしていたはずで、“bitch”が別の意味で使われることも知っていただろう。「ふしだらな女」、さらには、頻繁ではないものの「情けない男」を意味して使うということを。それなのに、初期の辞書の“bitch”の項目には犬に関する語義しか入っていないのだ。ささやかながらも文書として残っている記録を見れば「ふしだらな女」という語義で使うほうが、男性諸氏が辞書を執筆していた16世紀半ばには多かったというのに(男性に対する一般的な罵り言葉としてはまったく流行らなかった)。項目に入れることを検討するにはあまりにも低俗すぎる、とこの男たちは考えたのだろう。もうひとつ考慮すべきは、初期の辞書というものは基本的に彼らの履歴書であり、おべっかの集大成だということだ。つまり、辞書編纂者は力のあるパトロンの地位や嗜好を考えなくてはならなかったのだ。俗語を入れることで宮廷での強力なコネを失うのであれば、自分の辞書からは下品な言葉を割愛する、という編纂者の対応は当然のものだったろう。

 ここでサミュエル・ジョンソンが登場して枠を打ち破った。1755年にジョンソンが出した『英語辞典』は、“bitch”の語釈に女性を中心にした語義を入れた最初の辞書である。これが目覚ましい項目になったのにはいくつも理由があるが、特筆すべきは、ジョンソン自身がそれまで、自分の『英語辞典』には、スラングも標準的でない言葉も入れておくつもりはないという意向を明確にしていたことだ。それがこういうことになったのは、尊敬すべきイングランド王政復古時の作家たち(と、ついでに言えば4、5人の貴族)がこの意味での“bitch”をじゅうぶんすぎるほどに詩や風刺詩などに用いていたため、ジョンソンもこれはれっきとした英語であるとみなしたのだ。

 だからといって、この言葉をだれもが好き勝手に使ってよしとジョンソンが考えていたというわけではない。どう見てもいちばん普通に使われていた「ふしだらな女」という女性を表わす用法ではなく、ジョンソンは“bitch”の語義を「女性をあざける名称」とした。“bitch”とはなんたるかをあけすけに言わず、使用上の注意と語釈とをくるりとひとまとめにしたのである。

***

 品行方正な貴族の繊細な感性に忖度した初期の辞書編纂者もいたが、その一方で、別方向にまい進して煽情的な辞書を作った編纂者もいた。彼らは先述の隠語の辞書を作ることに精を出した。「隠語」とは、社会の周縁にたむろするいかがわしい人間、要するに、こそ泥、ロマ、犯罪者、やくざ者、身持ちのよくない女、騒ぎを起こす大酒飲み、などがよく使ったスラングのことを指す。どれだけ卑しかろうと、下品だろうと、危険だろうと、これらの辞書はそれを載せようとした。

 低俗な言葉の本は金目当てのものばかりでもなかった。「下品な」言語に対する学術的な関心があったのである。18世紀に入るころには、真面目な辞書編纂者たちが隠語に興味を持っていた。たとえば、ジョン・アッシュは、1755年の自分の辞書に俗語や隠語をいくつも加えている。彼は英国バプティスト派の牧師であったが、聖職というその職業をもってしても、ジョンソンの辞書にある“bitch”の項目のあらかたをくすねることを思いとどまらせることはなく、“cunt”も“fuck”も一般言語として英英辞書に掲載し、しかも、そうした言葉をベイリーとは違って英語だとした最初の辞書編纂者になることをよしとした。

 1785年、フランシス・グロウズという、話術のセンスがあり教養もあるジェントルマンが『古典俗語辞典(A Classical Dictionary of the Vulgar Tongue)』を出版した。これには隠語も入ったし、「そうした笑劇の言い回し、古風な引喩、人につけたあだ名、物と場所、これらは長年にわたり途絶えることなく使用され、規範となって古典となる」とグロウズが言うものも入った。隠語やスラングのみならず、方言もしっかり入れた初めての一般辞書である。グロウズと、トム・コッキングというなんともうってつけのおかしな名前の助手は、のんきに夕食を楽しみながら語彙をでっちあげていたわけではない。ふたりは真夜中のロンドンをうろついて、波止場、路上、あやしげな居酒屋、貧民街などのスラングをこつこつと集めて回り、それをグロウズの辞書に入れて出版したのだ。それゆえ、俗語が当時の一般の人たちにどのように使われていたのか、グロウズとコッキングはしっかりとつかんでいたはずである。

 グロウズの“bitch”の項目にはこう書いてある。

BITCH、雌の犬、もしくは雌犬。英国女性に対するもっとも侮辱的な名称。娼婦(whore)よりもさらに無礼で、ビリンズゲート魚市場やセント・ジャイルスではこんな受け応えがよくある。「自分は娼婦(whore)かもしれないけれど、bitchではない」

『古典俗語辞典』には多数の無作法かつ粗野な語が入っている。だとすると、注目すべきは彼が“bitch”を、女性が呼ばれる際の「もっとも侮辱的」な名称だとしていることだ。偉大な辞書編纂者たちはジョンソンが作ったあっさりした語義にとらわれてしまっていたのだ。ウェブスターは1828年の『アメリカ英語辞典』でジョンソンの扱い方を拝借し、レーベルをつけることもしていない。要するに、語義そのものでじゅうぶん警告となる、ということだ。もうひとりのアメリカの辞書編纂者、ジョゼフ・ウスターが1828年に作ったジョンソンの『英語辞典』の簡略版にも、同じくジョンソンの語義をもらってこの語を入れてはいるが、1830年に発音詳解等も載せて作った自分の辞書からはこの語は省くという選択をした。その前書きで、自分は「言語の崩壊」をよしとせぬと記述しており、事実、いかなる悪態も俗語も、ウスターの1830年版の辞書にも、その後出版されたものにも、見られない。

 とはいえジョンソンには抗しがたい力があるらしい。1886年には、ウスターは“bitch”に屈し、ジョンソンの2番目の語義を自分の辞書にも入れることにした。これが19世紀末までの定番となる。「女性をあざける名称」という語義は、1755年からゆうに100年以上も変更がないままだったのである。

 だが、現実では、この言葉の使い方はどんどん変化していた。1674年から1913年までのオールド・ベイリー、ロンドンの中央刑事裁判所の記録を通して読めば、豊かに茂る若葉のごとく素敵な意味の “bitch”が見つかるだろう。供述書には、これは警察小説かと思ってしまうくらい“bitch”に溢れていて、それが犬を意味することなどほとんどない。そこに書いてある“bitch”は、女性たちに向かって使われた侮蔑語ではあったが、1726年という初期には同性愛者の男性にも使われていたという証拠が見つかった。

 広間に8人か9人の男がおり、ひとりはフィドルを弾き、ほかの男たちのうちのひとりは猥褻な姿態で踊り、ひとりは淫らな歌を歌って大声で話し、非常に多くの下品な行為をはたらいていた。…しかし彼らはマーク・パートリッジを横目で見て、彼を裏切り者と呼び、男色家(Mollying Bitch)とそしり、裏切るものはだれでも虐殺してやると脅した。

 男性に対する侮蔑用語として“bitch”を使用したという記録は、中央刑事裁判所よりも前からある。1475年まで遡れば、「神よ、彼は酔っ払いのbycheだ(Be God, he ys a schrewd byche.)」がある。これは明らかに女性に対する“bitch”とは違う使い方なのだが、特に18世紀から19世紀にかけてそれなりの頻度で出てくる。ヘンリー・フィールディングは『トム・ジョーンズ』で使っているし、ロバート・バーンズも18世紀末にスコットランド方言で書いた詩で使っている。この侮蔑語は19世紀初頭の大学で使われたスラングにも浸透していた。ケンブリッジ大学では、いつもお茶を入れる係の学生(つまり、メイドや母親の役割を担ったと言える)は“bitch”と呼ばれていた。こうした使い方を見れば、その標的は一目瞭然だ。“bitch”と呼ばれた男たちは女性化されたり、男以下だとされたりしたということだ。

 そして、18世紀における“bitch”の使い方は大きく二手に枝分かれしているのがわかる。片方はあらゆる女性、雌、もしくは女性的なことを言い、そして新たな枝は、盛りのついた雌犬は制御するのが大変だという意味からきた使い方である。ここから、“bitch”は難しかったり、いかんともしがたかったりするものを指して言うようになる。たとえば、18世紀半ばごろ以降、“bitch”は運命、貧困、宿命、何度修繕しても頑固にまた壊れる小舟、バイロン卿の愛のゆくえを左右する星、などなどのことを言ったりもしたのだ。

 名詞“bitch”のこうした用法は、多種多様な出典で見られるというのに、そのうちのどれひとつとして100年以上も辞書に載ることはなかったのだ。

***

「レーベルがないって?」エミリーは眉をしかめた。「ほんとに? ひとつも?」

(後半へ続く)

画像1

詳細はこちら↓

『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』
著:コーリー・スタンパー
訳:鴻巣友季子、竹内要江、木下眞穂、ラッシャー貴子、手嶋由美子、井口富美子
装丁:松田行正+杉本聖士
定価:本体2700円+税
46判上製/360ページ
2020年4月13日発売予定
978-4-86528-256-6 C0080


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?