#13 【コラム6】ハチミツ−巣も、みつも、子も頂戴します
ホンモノとニセモノ
2004年3月、というちょっと昔の話だが、ギアロの市場に隣接した路地をとおりかかると、一軒の乾物屋に女主人の姿が見えた。お団子のように結った髷を頭のてっぺんにのせているところから黒タイだとわかったので、彼女にハチミツはないか、黒タイ語で尋ねてみた。
黒タイ語で、というのがミソで、それが当時の西北部における生活の知恵だった。キン族の商人相手にベトナム語で話しかけ、だまされることを警戒してのことだ。
彼女は「ない」と、即答した。
立ち去りかけたとき、彼女が黒タイ語でつけ足す声を背後にきいた。
「この辺の店で売っているのは、砂糖水で割ったニセモノばかりだろうから、ホンモノが欲しけりゃあ、よく知っている人に頼むしかないね」
その親切な忠告を聞いて、わたしは他の店をあたるのもやめた。
古来からの特産品
ハチミツは何百年も前から西北部の特産品だ。
紀元前から水田開発が進んだ紅河デルタには、人が多すぎて遊んでいる土地などない。それに対して山がちな西北部は、20世紀まで人口が少なく動植物相もゆたかで、もちろんハチもたくさんいた。量産された砂糖が出回るまでハチミツは数少ない甘味料だったし、それよりも、口内炎の治療や疲労回復、滋養強壮の万能薬として地域の人々のあいだでも重宝された。
だから今でも、黒タイの村では、巣箱を家の周りに置いて養蜂している。20世紀までだと、石灰岩の山の洞窟の天井にオオミツバチの巣など見つけようものなら、断崖から自家製空中ブランコを吊るなどしてほぼ命がけで採取しに行った。あるいは、焼畑休閑地の木の枝やヨシなどにコミツバチの巣がくっついていようものなら素手でもぎ取って、巣もハチの子ももろともに顔や手をベトベトにしながら家族でむさぼったものだ。
2000年以降、西北部では国道沿いのちょっとした空き地に巣箱を何十も並べてセイヨウミツバチを養蜂しているのを見かけることが増えた。モンやザオなど高地民の村周辺でよくみかける。だが、それをしているのは地元住民ではない。町のキン族が村に土地を借りて養蜂しているのだ。会社組織のこともある。
通りすがりに養蜂場で作業している人の姿を見かけると、ときにわたしは声をかけてハチミツを売ってもらった。目の前で巣箱を引き上げて、缶に注いでくれるのだから、まぎれもなくホンモノだ。缶の底で、あわれ(!)働き蜂が溺れている。巣のかたまりも分けてもらう。巣ごとかぶりつくのだ。
かつて村人には巣も貴重だった。まずミツロウの原料になる。電気はおろか灯油さえ不足していた二十世紀半ばまではそれでろうそくをつくった。また染織をする女性たちには、木綿の糸や布をコーティングするのに不可欠だった。
以前、石川県の山村で養蜂を営む男性から「ハチの社会はホントに過酷だよ。ハチにだけは生まれたくない」と聞いたが、働きづめで死んでいくハチたちが、人間の衣食住全般にいったいどれほど尽くしてきてくれたことか。まったく途方もない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?