前より頑張れていない私に。

こんばんは。さゆです。

今までの人生、色々な言葉に傷つけられ、それ以上に色々な言葉に救われてきました。

私は予定では、今年33歳になる現在、ライターとしてもっとバリバリ活躍しているはずで、webだけでなく雑誌でも執筆しているはずで、何なら2児の母親くらいになっているはずで、仕事と家庭の両立に悩んでいるはずでした。(本気)

しかし、現実はどうでしょう。まず、母親にはなっていません。そして、ライター歴5年目ですが、一番仕事が多かったのは、間違いなく1年目です…。当時20代半ば。怖いものなんてあまりなくて、実績もないのに、趣味で書いていたブログのURLを貼り付けて、どんどん「ライター募集」と記載されているwebメディアに応募して、ほぼ全てに採用されて、もはや私の文章の面影がないくらいに原稿を訂正されても、「なにくそ!」と思って頑張る気力がありました。

文章も今よりずっと下手だったのに、仕事依頼は今よりずっと多かった。たぶん「やりたい! 書きたい!」という溢れんばかりのフレッシュな気持ちが、30代になった今よりずっと多かったのだと思います。そのことを、依頼者側も見抜いていたのだと予測します。


そこから、本当に色々なことがあって、嫌というくらい頭を打って落ち込んで、自分に自信がどんどんなくなっていきました。今も何とか途切れずに、ライターと名乗ってよいのかどうか微妙な量の仕事は頂いていますが(しかし、お金を頂いている以上はライターですね)、ため息の量は年々増えていくのです。

しかし、「大人になる」ということは、きっとそういうことなのかなとも最近思います。悪い意味ではなく、ポジティブな意味で。自分の弱さを知り、それでも受け入れてもらっていることに感謝して、他人の弱さも受け入れる。頑張れない時期もあることを理解して、今出来ることにベストを尽くす…。

私は「20代前半に戻りたいか?」と問われれば、1ミリも戻りたくないし、あの頃よりほんの少しだけ人の心の機微が理解できるようになった今の自分の方が、どう考えても好きなのです。

仕事は減ったし、白髪にも悩まされるし、外見は少しずつ、しかし着実に衰えはじめているけれど、正論や倫理観がいつも絶対正しいわけではないことをちょっとだけ理解し始めた自分の方がまだマシかな、と思います。


そうそう。冒頭に戻りますが、私がここ数年、ずっと支えられている言葉は、20歳の時に、難病・潰瘍性大腸炎を発症…13年間にわたる療養生活を送り、現在は文学紹介者として、悩み、苦しんだ時期に、心に沁み入った言葉を「絶望名言」と名付けて紹介している頭木弘樹さんのご著書で紹介されていたカフカのこんな名言です。

将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。(フェリーツェへの手紙)

「倒れたままでもいいよ」。そういって、寄り添ってあげる優しさを持つのが、大人なのかもしれませんね。落ち込んだ時に私はカフカのこちらの名言をいつも思い出して、しばらく床で突っ伏しています(笑)。

…とはいいつつも、仕事が減って、でもまだ「本を出す」という夢をあきらめきれない気持ちも残っていて、どうしようかなあああ!!! とない脳みそで精一杯考えた結果、私はnoteでエッセイを書くことに決めました。

ほぼ毎日書きたいなと思っていますが、飽き症でヘタレな私のこと。いつまで続くかわからないし、noteが私にどんな結果をもたらすのか、まだ全然わかりません。

そして、ブックレビュー以外の文章を書くのは久しぶりです。ヘタレで打たれ弱いくせに、特に反省はしない変にポジティブな私の日常を、これからも正直に書き続けたいと思います。


さゆ

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