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食べること vol.3

食べることは、生きること。

では、正しく食べれば正しく長く生きられるのだろうか?添加物や人工的に作られた物ばかり食べていたら間違って短い生き方になってしまうのだろうか?重い病気になってしまうのだろうか?人より早死にする確率が上がるのだろうか?
って、そもそも、長生きするって何だろう...。
そもそも、長生きするってことが幸せなのか。
そもそも、長生きしてどうすんのよ、我。

私は医療関係者ではないし、そういった類の世に出ているエビデンス的情報もほとんど知らない。(ある特定された角度からのエビデンスだとされている情報含む)
ただ、●●を食べたら健康になる!●●を食べたら病気になる!●●を食べたら宿便ごっそり!●●で若返り!...とかの情報は、一ミリも信用していない。

一人ひとり体も心も体質も遺伝子も細胞も違うのに、同じ結果になることの方が信用ならない。で、基本まるで信用していないのに、ごくたまに心身疲労状態にある時、これまでの後悔を全てを帳消しにしてくれそうな、飛びきり甘いマスクのお面を被った詐欺師のような情報ちゃんたちに、インスタの広告に、チラッと惹かれてしまう時もあるということをここに告白します。あぁ、人間って...。

本題に戻ると(やっと)
Ayurvedaの古典書には以下のような記述がある。

「長寿とは、生命を生き切ることである。」

ウォーーーーー!
なんてかっこいいの!!!!!!
あまりのかっこよさに痺れませんか?私はもう痺れまくって鳥肌が立ちました。
なんて潔くて、なんてロックなんだ!!!!!

私は人が何と言おうとこの生命を生き切りたい。
それが今であっても、10年後であっても、40年後であっても生き切ってこの世を去りたい。生き切るってことは、魂の表現の場として与えられたこのオリジナルの身体と心を最高最善な環境で、そして自分史上最大級のパフォーマンスをすることを更新し続けるってことだと思うんです。

健康って、体の状態だけではないともAyurvedaはいいます。
身体と心が心地よく今を味わい、そして喜びと共にある仕事をし、適切な報酬(お金だけじゃないよ)を得て、自分自身の様々な欲求を適切な方法で適切に満たしている状態。健やかさってゴールとして設定することじゃなくて、その心地よい感覚の中に自分を置いてあげること。そしてそれを土台とした時に自分のやるべきこと、やりたいことが分かって更に健やかさが更新されていくんではないかと。

身体そのものは神殿ですからね。神さま(自分)の住う家。これ、ホントっすよ。

そして、その健やかさ、神聖さの土台を作るMAX強力な行為が「食べること」だと私は思っています。

私の大好きなティクナットハン師が著書「私と世界を幸福で満たす食べ方・生き方」の冒頭文でこう記しています。

われわれは常に「時間がない」と言いながら、一日中焦った生活をしています。「どんなことでも速ければ速いほうがいい」という考え方は、ストレス(苦しみ)の原因になります。英語では、”Time is money”という言葉がありますが、より正しい言葉は”Time is Life”だと思います。そんなに焦ってどこへいくのでしょう。どんなに急いでも、最後は誰でもお墓に入るのです。
私は、毎晩毎晩、禅堂へ向かう時、ゆっくり歩きながら、新鮮な空気と一歩一歩の歩みを味わっています。静かに歩き、呼吸を大切に、歩行と呼吸に気持ちを集中することは、日常生活の中で誰もができることです。
例えば、仕事場から駐車場まで、もしくは家の玄関から駅までを自分の歩行瞑想の場所と決め、その間を歩いている時は、悩み事や心配事などすべてを忘れて、歩くことだけを楽しむようにします。これが日課として身につけば、心は安らぎに満ち、ストレスが減っていきます。このような歩く瞑想は、誰もがいつでもどこでも実践できます。
(中略)
そしてそのような歩みによる生活で心が満たされれば、食生活も自然と変わってくるでしょう。

心が満たされれば(満ちているのが本来の自分だということを知れば)食生活は変わる。歩く瞑想だけが心を満たす手段なのではなくて、自分自身のセンターに、土台に戻ることを習慣にできると、「心が満ちている」ことを認識できていることに心底安心感が湧いてくるです。そして、センターに戻ることを習慣にできた自分自身に、何だか小さな自信と揺らぎない信頼感、そして「幸せだなぁ、愛だなぁ」と「え、なに何?愛っとかマジキモいんですけど」と万一、今リアクション反応が出たそこのあなたにも、確かな感覚としてマジで湧いてくるんですyo!!(当社比)

だけど、習慣にするってもうほんと訓練しかないんですよ、これが。
私のメンターである本郷綜海さんが言ってる通り、地味で地味で地味過ぎて萎えそうになるけど、そんな時もとにかくやり続けて行った先にものすごく強力に心が満ちてることに気づくんです。私もそうでした。  

そうしてセンターに戻る感覚を自分自身のものにできたとき、またはその訓練と並行して「食べること」に目を向けて一緒にいるとシンプルな公式が見つかります。

食べたいものを食べたい時に食べたいだけ、食べる

じゃー、今わたしが本当に食べたいものって何だろう?
今わたしは本当に食べたいのかな?
今わたしが食べたい量ってどれくらいなんだろう?

また長くなったやん、あたし。
次回に続きます。(終わるのかな...)

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