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【その1】最初の挫折、そしてループのはじまり

それは高校3年生、進路を決めた時が始まりだったように思う。

わたしは小さい頃から勉強も嫌いではなく、成績もそれなりに良くて、身体を動かすことも得意な「運動神経がいい」部類にいたし、いくら食べても太らなくて、それなりにモテて、挫折らしい挫折という体験をしたことがなかった気がする。

高校時代は中学時代からの憧れだった高校でソフトボールに没頭、文字通り朝から晩まで明け暮れていた。父がその高校の教師でしかもソフトボール部の監督だったのもあって、成績も落とせない。勉強も嫌いではなかった。目の前のことに没頭してる毎日はとにかく楽しかった。好きな先輩がいたり、告白されたり、付き合ったり、よちよちした恋も今思えばほろ苦さなんてほとんどない楽しさだった。THE 青春。

そして通っていた高校は県内でも有数の進学校であったが、ソフトボール強豪校でもあったので、推薦入学で体育大学に進学したり、実業団に進む先輩も割と多かった。けれど、私は体育大学に行くのはどうしても嫌で、浪人してででも、なぜか早稲田大学に行きたかった。あの時代のわたしの環境では、謎に早稲田大学がわたしが考える「いい大学」の代表格だった。

けれど、わたしは大学には行かなかった。
その時の1番楽で安易な選択である実業団に進んだ。

父に「浪人してでも4大に行きたい」と伝え、
たった一度「女は4大なんて行かなくていい」と言われただけで、諦めた。 いま思うと高校教師である父に本当にそう言われたのかさえ、怪しい。わたしの記憶の捏造が入っているかもしれない。

モヤモヤしながらも、考えることをやめて、実業団に進むことにした私は、どんなに食べても太らなかった体重があれよあれよと10キロ増えた。何かがおかしい。何かが狂い始めてる。そう思いながら親元を離れ、寮に入り、化粧品工場の原材料管理の仕事をしながら、就業後にソフトボールの練習をした。

俊足がウリだった私は、体重が10キロ増えたおかげで動きにキレがなくなり、実業団で大活躍する予定が大きく予想と外れた。
大学に行くはずだったのに、私はなぜこんなところで、大学に行けなかったレベルの低い人(ほんとにひどいやつだけど当時は本気でそう思っていたのでごめんなさい)たちと一緒にこんなことをしているんだろう。

そんな悶々とした鬱々とした内側は隠したままに、少し不貞腐れながら、同僚や狭い世界の中で今でいうマウント論を心の中で繰り返しながら日常を送っていた。
そして、その時は痩せるしかもう道はないと思っていたから、一日りんごだけで過ごしたり、酵素ジュースを一週間飲み続けたり、ヨーグルトを1パック凍らせて一日かけて食べたりしていた。お風呂は絶対1時間以上入って、粗塩に安い蜂蜜を混ぜて全身をマッサージするのが習慣だったし、どんなに暑くても汗をかくサウナスーツみたいなものを着てソフトボールの練習をしていた。
かと思えば、工場の中にある売店で大量のお菓子を購入して1人工場の屋上に上がり、一気に食べては吐いたり、あらゆる液体を凍らせて食べるという意味不明のことをしていた。

そして、彼女がいる職場の先輩に分かりやすく恋をして、ちょっかい出されて喜んでは傷つき、でもどこかで先輩を鼻で馬鹿にしてもいたから現実は全くうまくいかず、「ここを出たら私はうまくいくはず」という強気な気持ちと、
どこに行っても通用しないんじゃないかという誰にも言えない劣等感マックスのこじらせた時間を過ごしていた。

あぁぁぁぁ・・・・。
今思うと本当にさゆりさんがかわいそうで、愛おしくて涙が出てくるよぅぅぅ。

ここでの約4年間は私にとってずっと「暗黒時代」ホルダー内のもので、誰かに話したり、何かに書き記すようなものではなく、そっと閉まって無かったことにしていた。特別そこに意味を見出したり、「この時の劣等感をバネに」とか「この時がきっかけで」みたいな動機になるようなこともなかった。

ただただ、いつも思い出すたびに黒く靄がかかった感覚を呼び起こされていた。

次へ続く。

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