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うまくやることが仕事ではない

今日こそはお嬢を仕事場に連れていってみようと声をかけた。午前中、外に出かけられると、その後の流れもいい。買い物でも何でもいいから連れ出したかったのだけど、昨日届いた幼児用教材に夢中でなかなか腰が上がらなかった。

そこで「パソコン」を持って一緒にお仕事へ行こうと誘うと、ノッてくれた。
持っていくのはいつもパソコンと呼んで愛用している電子辞書ではなく、さっきまで遊んでいたパソコン風の知育おもちゃ。まだまだ遊びたかったようで、利害が一致した。

やる気になると出発は早い。
専用バッグにおもちゃを入れ、自分から靴下をはき始める。ちょうど靴も最近おろしたばかり。「カッコいいね」とパパとママが揃って褒めるとノリノリで、「早く行こう!」とドアを開ける。
私は形から入ることに抵抗がある方なのだけれど、それでやる気が高まるならアリだなとと思った。

ところが、外に出てみたら、お仕事まねっこ熱は急に冷めて、行き先は図書館へ変更になってしまった。
ママがパソコンを持っていった先で何をしているのか、彼女は見たことがないからだと思う。見聞きしていないことには興味の持ちようがないし、真似のしようもない。見えないものを想像する、認識するというのは難しいということなのだろう。
しまじろうのパパも、ピングーのパパもなぜか職業が郵便屋さんなのは、子どもたちが仕事シーンをよく見かける仕事だからなのかなと思ったりもする。

お外で一緒におしごとというママの希望は叶わなかったので、おうちでお仕事を発注してみた。
依頼内容はかっこいいお写真を撮ってほしいというもの。
マガジンのバナーに、子どもの目から見ておしごとっぽい写真、あるいはカッコいい写真が使いたかったからだ。

子どもという立場上、撮られるのは慣れているけれど、撮るのは慣れていない。最初は「お願いがあるんだけど、、、」という私の依頼を、撮られてほしいという意味だと思ったのか、カッコいいポーズをしてくれた。
頼み方を変えて、シャッターの切り方を伝え、写真を撮ってみてほしいことを伝える。

「できない〜」というので、撮ってみたい場所や物を聞くと、適当な場所をさし始めた。撮りたい絵、なんてものはないんだなと感じながら、彼女が指す場所を適当に撮る。撮った写真を見せて、こんなのが撮れたよと伝えるが、青写真を描いてそれに向かうというのはやはり大人しかしないことのようだった。

それよりもママが色んなところについてきて、一緒にボタンを押してくれるのが面白かったらしい。段々とエンジンがかかってきて、あちこち場所や姿勢を変えてボタンを押すのが楽しくなり、最後にはスマホを取り上げてもまだ積み木をカメラに見立ててシャッターを切っていた。

案外、仕事なんて、そんなものなのかもしれない。きっかけが外発的で何だかよく分からないままにやっていたとしても、やっているうちに面白くなってくる。
こうなりたい、こうしたい、なんてことがなくても仕事はできる。

自分が何をしているのかよく分かっていない彼女は結構いい仕事をした。
使い方を分かっていなくて、カメラを指で塞いだまま撮った写真や思いっきりブレて光の線ができた写真は大胆で、依頼主の求めるカッコいいものだったし、散らかった部屋の床や洗濯されたパジャマの足元にフォーカスした写真も見ようによっては面白い。

休園やら何やらで仕事をできる時間が急になくなることが続くと、どう仕事をしたらいいのか分からなくなる。一度落ち込むと、心配は際限なく広がり、こんな状態でこの先、一家路頭に迷わないかと心配になる。
もともとグラグラだった仕事への自信は揺さぶられまくりだ。 

だけど、手さえ止めなければ、何かは生まれる。とりあえずシャッターを切ってれば写真は撮れる。下手な青写真を描くのはやめようと思った。
今はそんな時じゃない。
とにかく心配や恐怖で手をとめないこと。仕事をしていれば、きっといつか何かにつながる。今は実績や評価や収入につながらなかったとしても。
きっと。


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