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観察力は表現力

伝わる文章を書くコツのひとつに、「形容詞に頼らない」というのがあります。
何でも美しい、おいしい、楽しい、良い
と表現してしまうと、そのものの美しさやおいしさ、楽しさや良さが伝わりません。
めっちゃ良い、スーパー良い、死ぬほど良いなどと程度を強調しても今ひとつです。
具体的にどうなの?というのが分からないからです。

たとえば、今日の飲み会はスゴい美人が来るよと言われたら、どんな人を想像するでしょうか。 
長身でショートパンツがよく似合うモデル風金髪美人、切れ長の目が印象的な色白和風美人、パッチリした目のアイドル的ルックスの女の子、、、
どれもスゴい美人にあてはまります。
誰と比較して何がスゴいかが分からなければ、クラスに一人いるレベルでも、一般人では見かけないレベルでも、スゴい美人です。

どれだけ美しいかを表現しようと思ったら、見ていない人にも鮮明な画像を思い描けるくらい、細かく描写することが必要です。

細かく描写するためには観察力が求められます。じーっと見つめることは誰にでもできますが、その時のフォーカスのあて方や気付きを表現する時の言葉のチョイスは誰も他人の真似をできません。

たとえば、同じおいしいでも、味や舌触り、香りや彩り、素材や盛り付け、メニュー選びなど、注目するところは色々あります。そのなかのどこが気になるか、何と照らし合わせて表現するかで、伝わってくるおいしさが違います。
だから、観察力は表現力だ、と思うのです。

そんなことを考えるきっかけになったのは、入院中ベッドの上で読んでいたベビーシッターさんからのレポートでした。

足の手術で入院したので、元気はありますが動けません。暇になって気になるのは、置いてきた子どもの様子でした。1日以上ママと離れて過ごすのは生まれて初めて。泣いていないかな、ご飯は食べられているかなと心配ごとが次々浮かんできます。
そこへ届いたシッティングのレポートです。食い入るように読みました。

私がお願いした二人のベビーシッターさんはどちらも子どもが好きでシッターの仕事をしている方。子どもに対する眼差しは常にあたたかく、気配りも行き届いています。まだ言葉の話せない赤ちゃんの意思や変化を読み取ろうとする観察力は母を凌駕するほどです。

だから、レポートもものすごく細かく書いてくださっていました。
ただ、公園にいきました、ご飯を食べさせましたではありません。
ベビーカーに乗る時にはぐずったけれど、
外に出たら機嫌もよく、手をひらひらさせたり、工事のおじさんをふりかえって見つめていた、
ブランコはあまり好きではなさそうだったのですべり台に移動したら、気持ち良さそうだった、、、
子どもがどう反応したか、シッターさんはどう感じたのかが、コマ割りアニメのように丁寧に書かれてあるのです。
子どもの様子が目に浮かび、安心したのはもちろん、ほっこりした気持ちになりました。

離乳食の報告も、メニューと好き嫌いを書いてくれた日もあれば、食べた量と満足度を書いてくれた日もあります。
一挙手一投足を見つめる親のような観察力で書かれたレポートは、このまま並べたら何かの表現作品になるのではないかと思ったほどでした。子どものかわいらしさや無邪気さ、シッターさんの優しさがにじみでていて。

対象に関心をもってじっくり見つめるということ、そこから何かを感じ、考えることは表現の始まりなんですね。

どう伝わるかを考え始めると迷いが生じることもあるけれど、感じたことには間違いはないはず。いつか迷うことがあったら、ママのためにシッターさんが書いてくれたベビーシッターのレポートを思い出してみようと思います。

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