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私は私。仕事は仕事。

休園期間があけた。
あけた翌朝は、保育園に行けて仕事ができることに、当たり前だと思ってた状況にむしろ戸惑った。気を抜いたら、また急に「明日から休園です」とか、「熱が出ました」とか連絡があるんじゃないかと思ってしまって。
自分が気を張っていようがいなかろうが、うつるときはうつるし、うつらないときはうつらないものだろうに。

追いつめられた状況で、なぜか子どもを通じて仕事を考えてみようと思った結果、子どもの「おしごと」発言が気になるようになった。

この間は「今おしごとしてるから」と、お風呂だったか、歯磨きだったかへの誘いを断られた。
おやつを食べたり、一人で遊んでいたりする横で、私が仕事のメールをしていて、話しかけられると「今お仕事してるから、ちょっと待って」なんて言ってたからだろうか。
仕事が一種の免罪符としても通用することをこんなに小さい時から体感的に知っているんだなと思う。

なんで、仕事だと邪魔しちゃいけないんだろう?
仕事してると「ちょっと抱っこしてて」「ちょっと歯磨き終わらせといて」と頼みにくいのはなぜなんだろう?
仕事って、そんなに何よりも重要なんだろうか。

「仕事と私とどっちが大事なの?!」とパートナーに迫るタイプでもないし、そのように迫られたこともなかったから、あまり突き詰めて考えたこともなかった。
もう少し大きくなったら、「今、勉強してるから」とシャットアウトされる日がくるんだろうか。

また別の日は、ママのおしごとは「ちっちゃいおしごと」と言われた。
お風呂のなかで、おしゃべりをしている時のことだった。架空の「お姉さん」なるキャラクターが「今お仕事中」だというので、お姉さんはどんな仕事をしてるのかと聞いてみると「おおきいお仕事」だと答える。

妙にハマっていた答えに、一体どんな大規模プロジェクトに関わっているのかと思わず笑ってしまって、「じゃあ、パパのお仕事はどんなお仕事?」と聞くと「中ぐらい」、もしやと思いながら「ママのお仕事は?」と聞くと「ちっちゃい」と言われてしまったのだった。

決して、ママの仕事内容を理解して、私のやっていることが取るに足らないとか、ちっちゃい仕事をしているママは人間として小さいと言われた訳でもないのに、少しだけ傷ついている自分がいた。

むしろ、普段、意味もなく「ママかわいい」「ママかっこいい」と言ってくれているのと比べれば、むしろ子どもには過剰に評価していただいてるのだけれども。

仕事って、何なんだろうなぁ?
結局よくわからなかった。

休園中はあれほど心配だったのに、日常が戻ってきたら、いま何か収入につながることをしなければいけないという強迫観念もなくなった。

答えは出なかったのだけれども、数年前から抱えている課題
「自分と仕事を切り離して考える」
に取り組むタイミングになってきているのかなと思う。

自分がしていることや、やったことのあることによって、この人は使えるとか使えないとか人から評価されるのはしかたがない。でも、そういう評価によって、自分の価値が揺らぐわけではないということを腹に落としていく、というか。

仕事をしていようが、仕事をしていなかろうが、どんな仕事をしていようが、私は安心して思う通りに寝て起きて食べてしゃべっていい。

そうだ、そういう実感を子どもにも伝えられるようにすることは母としてのおおきい仕事のひとつかもしれないな。


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