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誰しもが通る「見た目がすべての世界」

今日お友達に「ひさびさに文章書いてみたら?」とおすすめされて、マンネリした日々に新鮮な風が吹くことを期待して、スマホに向かってます。

先日、ふとYouTubeで浜崎あゆみ(あゆ)の曲がオススメで出てきて、私が生まれて初めて人のことを熱狂的に“かわいい!“と思ったのはあゆだったな〜と思い出したました。

小学生の頃の狭い世界しか知らない自分にとって、初めて“カリスマ“をテレビで見た時の衝撃はすごかった。
見ているだけでこんなにも幸せな気持ちになる…その時とき“かわいいは正義だ!“と本気で思いました。

しかし実際、あゆは可愛いだけではなく、才能を持ち努力を重ねてきた人で、見た目以外の魅力もたくさん兼ね備えている。

だけど情報量や経験値の少ない幼い頃は、勿論そこまで分からないよね。

容姿のインパクトってとても強いし、一目見たら誰でも相手に対するジャッジが出来る分かりやすい判断材料。
実際そのように私たちの遺伝期的にも刻み込まれているわけだしね。

でもあゆを例に考えてみても、皆んなをを魅了し“続ける“には「可愛い」や「美しい」だけではなく、いろんな努力や才能が必要なんだと思う。

それが分かるようになるのは、学校やバイトや恋愛で様々な人間関係の経験値が増えてから。つまり、大人に近づいてからだよね。

もちろん経験値の低い子どもに「人を外見ではなく内面で判断せよ」と言っても無理なのは当然。経験値が少ない中で何かを判断するにはやはり”見た目”は重要だもの。

違う方向から言うとすると、「様々な経験が増えた大人が、人を見た目だけで判断するのは少しナンセンス」となるのかもしれない。
その人を構成する様々な要素の中のたった1つしか見ていないとも言える。

私はメイクアップの仕事をしていて、人の容姿やお顔をより素敵に見せるお手伝いをしているわけですが、”あなたを構成する1要素を素敵にするお手伝いをしているけれど、そこだけで判断する人は好きではない”という結論になる。

皆さんはどう思いますか?

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