見出し画像

日本人観ではなく地球人観を持つ

わたしには火星を目指すイーロン・マスク氏のような力も才能もないけれど、宇宙人と出会ったときには「地球人です」と胸を張って言えるような人生を送りたい。

***

「国への帰属意識」を調査した2013年の研究によると、日本に住む人々は「他の国の国民であるより、この国の国民でいたい」「他の国々より日本は良い国だ」と考える人が9割近くに上るなど、国への愛着が強い人が多いという結果が出たそうだ。

あれから7年、人々の意識に変化はあるのだろうか。

先日Twitterで「日本人観」という言葉が話題になった。発端はモデルの水原希子さんのTwitterがきっかけである。アメリカ人の父と韓国系日本人の母を持つ水原さんは、オードリー・キコ・ダニエルという本名ではなく「水原希子」という芸名で仕事をしてきた。どちらも素敵な名前だと思うのだが、一部の人はそう思わなかったらしい。彼女に対して「これ以上何かするなら日本人観を出さないで」と呟いたのだ。

「何か」という言葉は「社会問題へ声をあげること」を指している。人種問題やLGBT、性差別などに声をあげてきた彼女は、しばしアンチの攻撃対象になってきた。知名度の高い20代の女性が社会問題に対して積極的に発信する。それは民衆が主権を持ち社会を動かす民主主義のあるべき姿だと思うのだが、一部の人には受け入れがたいらしい。彼女への批判ツイートの多くには「水原希子」という日本人の名前を使って欲しくない・アメリカ国籍のくせにという意見も見られた。 

わたしはこのツイートを見て、いい意味でも悪い意味でも日本人らしいなと思った。普段から「ウチ」と「ソト」を無意識で区別し、ウチの中にいる人は「身内」として守り、どんなこともできるが、ソトに帰属する人は「赤の他人」としてなるべく関わらず、迷惑もかけないようにする。肌の色や容姿、国籍の違いで「ガイジン」と呼ぶことは「世間」の外に排除することを意味するので、日本人にとっての「日本人」は「世間」の「ウチ」に帰属する人のことを指す。そのため、もし水原さんがアメリカ国籍から日本国籍へ帰化したとしても、彼らのいうところの「日本人」にはなれないのだ。

多様性が叫ばれている時代を逆行するような一連のツイートに、わたしは悲しみを覚えると同時に、彼らの精神状態が心配になった。災害、疫病、経済の低迷。メディアで連日取り上げられる話題は、日本の衰退や国力の低下を揶揄しているようなものが多い。生まれたときから景気の悪い社会を見てきた28歳のわたしとは違い、高度経済成長を目の当たりにし、日本はすごいと他国からの羨望を知る人たちにとって、今の日本は「こんなはずじゃなかった」姿になっているのかもしれない。

わたしも然り、人は見たいものだけを見て、信じたいことだけを信じて生きようとするものだ。日本はすごいと信じてやまない人たちにとって、多くのメディアは悪であり「日本サゲ」をしている人たちはもれなく全員敵なのだ。加えて、国への帰属意識が高い人たちが、海外に身寄りもなく、外国語も話せなかったら?彼らの行動はただひとつ。日本を愛し、日本を信じ、日本を馬鹿にするもの徹底的に排除するほかにない。「文句があるならでていけよ」と。すなわち、アメリカ国籍で日本名を持ち日本語で「社会問題」を発信する水原さんは、彼らにとって目障りでしかないのかもしれない。(というのがわたしの妄想だ。まったく違うのなら理由を聞いてみたい)

以前、母校で開催された国際シンポジウム「ナショナリズムと和解」に参加した際、登壇したオックスフォード大学の教授がこんなことを言っていた。

自分が繁栄することを可能にしてくれたコミュニティに対して愛着をもち、忠誠心を感じ、感謝の念を示すのは個人にとって正しい。でもなぜそれが国家的共同体、または国家的制度にまで拡張されなければならない?
なぜ家族や共同体への忠誠心では不十分なのか?
国家は偶発的で変化しやすく、一時的な現象である。つまり、国家は人工的・神聖なものでない。

1945年以降世界中から移民を受け入れてきたイギリスは、今や国民の50%が英国生まれではない。その歴史を知る教授が言った「国家は変化しやすい一時的な現象」という言葉は重みのあるものだった。

***

「日本人観」という概念を訴え、国籍や帰属意識にこだわる人もいれば、地球を飛び出し火星移住計画に向けて着々と準備を重ねるイーロン・マスク氏のような人もいる。

どちらのような人生を送りたいか。何者でもないわたしでさえ、断然後者でありたい。愛国心を持つことは自由だが、今の社会は「国家」という基盤に囚われすぎなのかもしれない。そのせいで国同士の争いが起きることもたくさんある。

ここ数年、組織を抜けて個人で働く人も増えてきた。アフターコロナ後の世界はますます個の力が試されていくだろう。今後は会社も社会も国も「属する」ことがもう少しゆる〜く選べるようになるのではないだろうか。

だからこそ「◯◯人」というアイデンティティに囚われすぎることなく、ひとまず地球人であることに胸を張って生きていこう。

水原希子さんへのツイートから、そんなことを決意した週末だった。

いただいたサポートはフリーランス として働く上で足しにします。本当にありがとうございます。