パッサカリアが弾けない

あまりにも下手クソな自分に癇癪を起こして、電子ピアノの鍵盤に何度も掌を叩きつけ、ついにF#を破壊した私。
あれから一月近くたった。
その間、楽器店に問い合わせて、メーカーに修理ができるかどうかを訊いてもらったが、生憎もう十年以上前の機種でサポートが終了しており、部品のストックもないため、修理はできませんとのことだったらしい。
覚悟はしていたものの、落胆した。

こうなれば、このF#を自分への戒めとして、ずっと弾き続けていこうと決めた。沈んだまま戻らないのに、触れればかすかに音を出してくれるこの黒鍵が哀しくて、愛しくて、申し訳なくて、とても買い替える気になどならない。

とは言いながら、ずっとF#と書いているけどG♭でもあるこの音、ものすごく使用頻度の高いキーであったことを今更ながら痛感している。
この黒鍵を破壊するきっかけになった『愉快な鍛冶屋』もそうだし、同じくヘンデルの『パッサカリア』もそうだ(私の持っている楽譜では)。『パッサカリア』は、いつの日か『愉快な鍛冶屋』に〇がもらえたら、次に練習したいと思っていた曲である。
ショパンの『ノクターン20番 嬰ハ短調』もそうだし、『ワルツ10番 ロ短調』に至っては、いの一番に響くこの音からあの美しい旋律が始まるのである。
ちょっと思いついただけでこうだ。私が弾きたい曲は軒並みこの音を必要とする。寧ろ、F#を一度も使わなくていい曲を探す方が難しいのではないか。
全く、返す返すもバカなことをしたものだ。

自業自得の不自由を感じつつ練習を続けていたら、つい二日前、新たな悲劇が起こった。
私が破壊したF♯のちょうど一オクターブ下のF#が、何の前触れもなく突然同じような状態になったのである。キーが沈み、戻らない。触れればかすかに音が鳴る。全く同じである。
これはいったいどうしたことだろう。オクターブごとに同じ回線(何の)でも使われているのか。内部のことは全くわからないから、同じ音に故障が起こったのが偶然なのか必然なのかも想像がつかない。
確かなことは、より弾きにくくなったこと。そして、またそのうちどこかの鍵盤に故障が起きるのではないかという不安が生まれたことだ。

家電製品はひとつ壊れると次々に壊れるという。洗濯機を買い替えたと思ったら冷蔵庫が動かなくなり、次は電子レンジが故障する、といった具合だ。まあこれは都市伝説?にすぎないのだろうが、私の電子ピアノに関して言えば、全体的に経年劣化が少しずつ進んできていたところに強い衝撃が与えられたことでまず一つのキーが破壊され、保ってきた均衡が崩れて連鎖的に故障が起こっていくという道を辿りはじめたのかもしれない。
何にせよ、私が乱暴に扱いさえしなければ、これから先もしばらくは変わらず全ての音を奏でてくれていたに違いないのだから、もう壊れる時期だったんだよなどという弁明は口が裂けてもできない。

調べてみると、一般的に電子ピアノが迎える寿命というのがだいたい10年とか15年、長く見積もったもので20年、などと書いてあった。
このピアノがうちに来てくれてから20年というと、あと3年か4年後だ。
それまでにまたどこか壊れるだろうか。今のままであれば、やはり買い替えずに置こう。電子ピアノの寿命と言われる年数を超えなければ申し訳が立たない。

そのときまで「私が弾きたかったパッサカリア」が弾けないこと、これが愚行を犯した私に課せられた罰である。





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