出産からアメリカ転勤
“ママになれたんだもん、あの頃にくらべたら私は幸せだ”
#出産
2011.3.12
#あれから10年
お気づきの方もいるかもしれません。
私の息子は3月11日の夜22:00すぎに破水し #東日本大震災、
翌12日の02:48分に横浜の病院で生まれました。
誰にとっても出産は一大事、忘れられない事だと思うのですが、私たち家族にとりこの日は本当になぜ、こんな日に・・!と一生忘れられないこととなりました。
Instagramにも以前詳しくその日のことを
記載しましたが・・
沢山の失われた命と生まれてきた1つの命。
命の重さや違いなんて何にもないので
嫌というほどに、命の奇跡や尊さを感じずにはいらない年月が
私には流れています。
育児スタートは同時に原発問題、放射線量、関東からの移住が盛んになるなど、様々な出来事が起きていきました。
周りのママ達もみんな不安な中で、何を離乳食に、どんな買い物をして安全性を高めるか、とても敏感になっていました。
私ももちろん不安でしたが、これまで書いてきたように、私にとっては自分の我が子を育児ができる。
「子供がいることが奇跡でしかない」と思っているため不安よりも
「どうにかなる、しなきゃ。」と思うことが多かった時期でした・・。
始まった新生児育児は本当にお休みなし。
辛いのが寝不足、ほとんど自分時間がないこと。笑
それで本当に疲れ果ててしまって、夜中の授乳で寝不足でひどい胃腸炎を患って
身体を壊した事がありました。
10ヶ月で断乳しようとして、失敗もしました。笑(勝手・・)
夜中に泣いてる我が子に、うんざりして自分が泣いたりしました。
でも結局はどこかで自分は
『でも私が欲しかった赤ちゃんがいるんだから、幸せだ』って
感じていました。
赤ちゃんが居なくても、後々にはちゃんと自己肯定をしたと
思いたいのですが、あの時の私には
「あの時期より辛いことはないから、育児を楽しむ」と新生児に育児にも
余裕が気持ちの部分ではあったほうだと思います。(物理的にはきつかったです)
そして息子が1歳8ヶ月のときにアメリカ🇺🇸
シカゴに転勤しました。
幼少期と学生時代の経験から、生活自体はわりとスムーズに適応していけたと思います。
アメリカとはいえ、異国ですからもちろんさまざまな出来事はありました。
物心ついた時にはシカゴにいた息子、
現地スクール、日本語スクールを使い分けながら
生活していました。
母としての海外生活は、自分だけの生活をすれば良いときとは全く違うこと。
その不安や知らなかった事も色々起きました。
たとえば、、一軒家で、息子がお昼寝してる間に軽く雪かきしようとしたら、ガレージがオートロックドアだと忘れてしまい、携帯すら持たずにロックアウト、締め出しになったこと(涙)
結局、お隣のおじいちゃんにドア壊してもらいました💦
危機一髪で、息子は昼寝から目覚めたときにママは部屋に戻っていました。
すぐに食洗機壊れて水漏れしたり、屋根から水漏れしたり、ストームがきて、自宅前で立派な木が折れたり。
寒さで冬に体感マイナス25度。
外出禁止アラートで休校になったり、、笑。
旦那さんがほとんど仕事でいないなか、
子供の体調不良で現地の救急病院へ🏥行ったこと。
お腹痛くて駆け込んだのに、診断待っていたら、子供にどうぞとブルーの真っ青なアイスが貰えてびっくりしたこと。笑
私が指をフルーツナイフで切ってしまい、慌てて救急病院に友達に頼んで連れて行ってもらったこと。
旦那さんがサッカーで腕を骨折して手術になり、その対応、その後の看病などは、なかなかでした💦
↑病院ネタばかり出てきたけど、、笑
書いていけば沢山でますが、またシカゴでの日常話などは、別の機会に書いていけたらと思います。
シカゴ郊外暮らしで、日本人コミュニティがありがたく、子供も親も親戚以上に仲良くなれた仲間たちに出会えたのはシカゴでのご縁からです。
さて、次回はいよいよインストラクターのお話へ。
息子が5歳になる頃から、少しずつ自分のこの先を考えるようになっていくのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?