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#おかえりモネ最終回1周年 のメモ

早いもので連続テレビ小説「おかえりモネ」は放送終了1周年です。
#おかえりモネ最終回1周年Twitter盛り上がってましたねぇ〜。素晴らしい!

左が安達奈緒子先生!右は私サユミです。

そんで〜!私は先日脚本家の安達奈緒子先生と!お会いすることができました! 先生に素晴らしいドラマをこの世に産み出して下さった感謝をお伝えでき、ファンのみなさんの熱い思いを代弁することができまして(みんな、伝えたぞー!)ファン冥利に尽きました。ありがとうございました…。

ちなみに私は放送時、平日毎日その感想をイラストと文章で書くという「おかえりモネが楽しみすぎる日記(以下モネ日記)」というものを書いていました。最近では、おかえりモネ聖地巡礼となるバスツアーのオプショナルツアーとして、気仙沼での一部ロケスポットを回るガイドをやっていまして、その際に「読んでました〜」と言っていただくこともあり、これが非常にうれしく、1年を過ぎてこのようにモネ熱の高いみなさんとファン同士お会いできるのは幸せなことだなと思っていたのです。

いまなお、こうしてドラマを通じて人と出会うことができる、全く関わりのなかった方々とドラマの話をすることができるというのは、やっぱり特別なことだと。作品についての感想は、モネ日記に全て書いたので、もう書くことがないような気がしてたのですが、最近改めて思ったことがあったのでまとめてみました。ちょっとお付き合いいただけたら嬉しいです。

※今更ですが本作のネタバレを含みますので、まだ全部見てない方はここでリターン推奨しておきます。一応。

はっきりと描かれない「終わり」

あらためて「おかえりモネ」に関して、私が1番強く感じていること。それは「わかろうとすること」の尊さです。

いわゆる女の一代記を描くような朝ドラの場合、主人公は結婚して子育てを、というのが描かれることが多いですが(近年のものはその限りではありません)、主人公のモネと、モネと想いが通じ合っている菅波先生は結婚するかどうかもはっきりと描かれませんでした。
まして、2人は遠距離恋愛継続なんですね。まあ、菅波先生とモネちゃんのハッピーエンディングを見たくないと言ったら嘘になるかもしれません……。でも大事なことはそれだけじゃないんです。
この2人はどうなるんだろう、も含めて「ストーリーの終わりを委ねられている」部分があえてたくさんあるような気がしませんか?

中でもそれを強く感じたのは、最終回の2つ前の118話で「みーちゃん(主人公の妹)がおばあちゃん置いて逃げてしまった自責の念」が初めて語られたことです。

基本的に「おかえりモネ」は本筋と関係のないところで、人が亡くなることはありません。実際は、モネとみーちゃんの祖母は震災時に近所の人たちに助けられたわけですが、このみーちゃんの苦しみは「自分がおばあちゃんを死なせてしまった」という苦しみに近いものだと思います。
そんな苦しみが残り2話で解決するのか……?と思った人も少なくなかったでしょう。

ご覧になっていたみなさまならわかると思うんですけれども、放送終了直前で印籠が出てきて一件落着したり、最終回に数年後の姿が映し出されて大団円! なんてことはあるわけないんだな! このドラマ。一体どうなる……と思っていたら119話。「みーちゃんの苦しみは完全には解決しない」んです……。まさかの解決しないという選択!

119話のモネ日記。サヤカさんがいてくれてよかった。

で、そこにあるのは、何回もモネが「みーちゃんは悪くない」って言う約束だけ。いや、当然これだって思いやりと信頼関係がなかったらできないことなんですけど、あえていうなら、できることは「せいぜい、それだけ」ってことなんです。
あまりにも大きな喪失に対して、人間ができることなんかありません。マジで。そんなことないって思います? 奇跡は起きると思う? でも、私たちは人を生き返らせたり時間を戻したりはできないじゃないですか。現実には錬金術だってないし、タイムマシンもない、神龍だっていないから。

できることは少ない。だからできることをする。

人が誰かと関わり合って生きる以上、1番辛いことは大切な人を失うことだと私は思います。形のあるものは元通りになっても、人は戻ってこない。
今もなお、震災で心に傷を負った人が、完全に癒えているわけはないのだと思います。

モネは何があっても、みーちゃんに「悪くないよ」と言い続ける。それしかできないけどそれをする。けど、一生そう言いつづける。あなたの味方でいるよ、と。
これ、主題歌にも出てくるんですが

忘れない事しか出来ない

BUMP OF CHICKEN 「なないろ」より


という歌詞があって、私たちはつくづくそれくらい、思ったり思いやったり想像したりする「しか」できないんだと思うわけです。

ちょっと話がそれますけど、ドラマ内で「みーちゃんがモネにあたりすぎ」とか「酔って迷惑かける新次さん(幼なじみ、漁師のりょーちんの父)がひどい」とか、そういうこともありました。でも、それでわかるわけないじゃないですか……。登場人物の背景全部理解できるわけがないんです。
全ての創作物において当たり前のことではあるんですけど、描かれていること以外は想像するしかない。実際に、自分以外の人間のことって、本当のところはわかりません。そばにいようが一緒に暮らしてようがいくら愛していようがわかんないんです。冷たく聞こえるかもしれませんが、よーく考えてみてください。逆にあなたのことは全部わかっている、といわれたら、どんなに愛している人でもそれは少し傲慢ではないか?と思いませんかね。

それを踏まえて考えると、みーちゃんは悪くないって言い続けることが、どれだけ誠実な約束なのか、身に染みてわかります。モネはみーちゃんのことを考え続けて、きっとみーちゃんの罪悪感を自分が取り除くことは不可能だって思ったんではないでしょうか。だから一緒に、ずっとずっとそれに対して自分ができることをするよ。って約束したんです。

そしてこの考え方は、菅波先生がかつてモネに言った
「あなたの痛みは僕には分かりません。でも、分かりたいと思っています」
の言葉に集約されます。

80話のモネ日記。ずんだ餅?饅頭?を握りしめるシーン。

これもまた、誠実な約束で、相手を思い続けた過程が見える言葉なんです。それはきっと、脚本の安達先生がたどり着いた、当事者と部外者を繋ぐ言葉なのではないでしょうか?(私の想像ですが)

大切な人を失う悲しみは他人には共有できないものです。「愛しているあなたのことは全てわかっている」という気持ちに愛がないとは思わないけれど、それって「たとえ世界を敵に回しても君を守る」のような比喩に近い気がします。
聞こえのいい約束を、りょーちんが「綺麗事」と言って嫌がっていたシーンもありました。それを受けて、モネは諦めずしぶとく、自分にできることを着実に続けて信頼を得ました。
まず自分が相手のことをわかり得ない存在なんだと認識し、それでも、わかろうと歩み寄ること。「自分にできること」の約束を続けることって、具体的で誠実なものなんですよ。

その願いは誰のものなのか。

それともうひとつ、これも新次さんについて。新次さんは、結局りょーちんと一緒に船には乗らないんですよね。これはモネ日記にも書いたんですが「新次さんが漁師に戻ってほしい」という願いは新次さんのものではなく、りょーちんのものであり、周りの人間のものです。遠方の家族の土地で地震があると電話をかけたりすることがあると思うんですけど、あれも相手のためというより自分が安心したいためってことはありませんか。

113話のモネ日記。この回は思い出しながら泣く。

新次さんのことを尊重して、あなたのことをわかりたい、と思って考えた時……新次にとって漁師の自分は、行方不明になった奥さんの美波さんとの思い出の中に置いてきたんだと思うわけです。すると、新次さんは違う道を生きたいんだというのがわかってくる。美波さんの死亡届は出すけれど、一生立ち直りなんかはしない。悲しみと一緒に生きていくんだ。だって、その悲しみの中にこそ美波さんがいると、新次さんは思っているんじゃないでしょうか。
もし最後に、新次さんとりょーちんが同じ船に乗って、めでたしめでたし、だったら、ドラマ表現としてはすっきりしたオチになると思います。でも、安達先生はそうしません! それが、傷ついた人を想っての結末なのか?と視聴者に問いかけてくるわけですよ! 見ている側の望むような大団円とはいかないけれど、りょーちんは海に、新次さんは陸にとそれぞれの道を歩む希望が見えるラストシーンに、どれだけの被災者の気持ちがくみとられているか……?! ウッ……安達せんせ〜!!!

誰だって好きなことをしていい。

一旦落ち着きまして……。

ドラマ全体に「自分の生きたいように生きていいんだよ」っていうメッセージがあるように私は感じています。

誰かのために、地元のために、あるいは自分のために。
その選択に優劣はない。だからどれかを否定したりはしないし、どれを選んでもいいんだと。

みつおみたいに寺を継いでもいいし、すーちゃんみたいに地元に帰らなくてもいい、地元に帰ることが偉いなんて思わなくていい、一人暮らしで好きなことをがんばったり、好きな人と暮らすことを優先する人生だっていい、それは「生まれ育った地元のために生きること」と優劣のない、尊重されるべきあなたの人生なんだと。

りょーちんは、そういう意味では「家族」を取り戻すために、本心ではなく漁師という道をはじめは選んだのかもしれないけど、結果としてりょーちんは自分のために海と生きる道を選んだ気がします。そういうふうに思わせられるような「俺の船だ!」のシーンだったので、よかったなぁって思いました。本当にね。

最終話。みんな、それぞれの道に。

そもそも、モネの家は姉妹ですが、いわゆる婿取りをするような「家を継ぐ」伝統的価値観は最初から存在しません。おばあちゃんだって、嫁である亜哉子さんに「好きなことをしなさいね」と言い続けています。
私はね、下の世代に「好きなことをして」と言える人でありたいです。
令和の時代じゃ当たり前かな? でも私は、そうでもないって思う時もありますよ。女性が家庭を守ったり、男性が家業を継いだり、結婚して家庭を持ったりすることを「しなければならない」という価値観は、決して上の世代だけのものではない気がします。
そこまで強いるものではないとしても「それは偉いね」と言ってしまうことないですか? これは正直自分でもあります……。無意識でもそういった価値観が誰かを追い詰めることはあると思うんですよ。
それが本人の望むことならいいのだけど、本当にそれは当事者をわかりたいと思って発言しているか? と、必ず私はこれから自分に問うことでしょう。

96話。このシーン、サラッと描かれてるけど重要なとこだと私は思います!

気仙沼に帰るモネに対し、すーちゃんが「私は帰らない」と言う96話では、ちゃんとモネがその生き方を肯定しています。絶対に誰の人生も否定しない!

同じ空の下で。

で、ですね。最初の頃思ったんです。
「気仙沼が舞台のドラマ、主人公は気象予報士を目指す」
というのが……正直「???」というクエスチョンマークだったのです。
でも、物語が続くにつれて、気づきました。ああ、そうか気象も自然の一つで、自然災害ということを考えたら何かの役に立ちたいという気持ちとリンクしていくんだ。ああ、そうか、森は海の恋人っていうし、モネがいろんなところに行くこともまた一つの循環で、何の役にも立ってないように見えることが何かの役に立っていることもある。ってことか。そうかそうか……なんて思っていました。

確かにそれはそうなんだけど、最近また思うことがあります。

モネガイドツアーとか、気仙沼の聖地巡礼とかに、全国各地から人が来てくれるじゃないですか?
それで……ああ、みんな、どこにいたってさ、空って繋がってるわけだ……と。

「空は繋がっている」

……なんだこの普遍的で安っぽいどこかで聞いたことのあるような言葉のまとめは! と思ったけれど、それだって、いいんです!全てを肯定していくモネマインド、あるいはぺこぱの松陰寺太勇マインドで生きていきたいから!

同じ空を見上げて。
きっと震災の時だって同じ空を見ていたんです。
違う場所にいたって、同じ空の下にいた。

他人のことはわからない、と断言したけれど、私たちは離れていても、時が経とうと「あなたをわかりたい」という想いさえあれば、大丈夫なんだ……そう想う人たちと、一緒なんだと。私は実感したんです!

遠く離れた誰かに対して「あなたをわかりたい」と思うとき、どこかの誰かがそれに救われているかもしれない。

未知の感染症が猛威をふるい、戦争が起き、ニュースで不安が蔓延する今だって、私たちは同じ空の下にいるから。

終わりに。

きっと、このドラマが作られた目的の一つには「震災から10年の被災地を描く」ことがあげられると思います。
時の流れは傷ついた人の心を一番癒すものですが、10年経ったからといって、そこで震災からの時が「終わる」ものではないでしょう。

「おかえりモネが楽しみすぎる日記」最終回のまとめより


本編の最終回の時に、私はこんな振り返りをしました。
年月が流れても、おかえりモネのストーリーの続きは、今私たちが生きている、震災から地続きの世界の中にあると思ったから。

このドラマを愛してやまないみなさんはきっと、誰かのことを「わかろう」としてくれた人たちなんだと思うんです。

今週は気仙沼にて、おかえりモネガイドツアーと、ドラマの演出を務めた梶原ディレクターのトークイベントと、2つもファンの方が集まる機会があります。今まで出会えてなかった「あなた」に会えること、私は嬉しいです!

ガイド直前の俺!モネシャツは登米の仲間にもらった!

時間も空間も超えて出会える世界線。超ハッピーじゃないですか!

おーし、みんなで歌ジオあみい(※気仙沼の自由気ままなマルチスペース、カラオケです)に行って「なないろ」歌おうぜ!……うん知ってる。みなさんの旅程にそんな時間的余裕がないことは。でも、気持ちの上では肩組んじゃってますから!

ここまで読んでくれたみなさまには、そうだなぁ、アレも出ちゃうかな〜「心の牡蠣」を贈ります!
(※以前ラジオ風のおたよりコーナーをやってた時に、お礼のステッカーも何も送れないので「心の〇〇を送る」と言っていた浅知恵でございます。なんのことやらと思われるでしょうが)

なーんて、そんだけビッグラブ。ですよ。

おっと、明日も朝にモネガイドツアーがあるんでした。みなさんよろしくお願いします。
では、そろそろ失礼いたします。
それではおかえりモネファンの同志のみなさま、またいつの日か!

サユミ

※日記はこちらから全部読めます〜
おかえりモネが楽しみすぎる日記

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