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満足度の風呂敷を広げすぎない

先日読んだ一田憲子さんの『大人になってやめたこと』(扶桑社)の中に「満足度の風呂敷を広げすぎない」というフレーズが出てきて、心のジグソーパズルのピースがパチッとはまった感覚をおぼえました。

一田さんが神戸市の六甲にあるギャラリー「モリス」を手伝っておいでの森脇ひろみさんという方のお話をお伺いした時に、そう思われたというエピソードを読みながら、深く頷きました。

森脇さんの言葉もとても素敵なので、引用させていただきますね。

「我が家はとっても狭いんです。でもね、居心地がいいんですよ。それは、嫌いなものが1つもないから。私は、どんな小さな場所でも、そこに自分の好きなものを集めさえすれば、幸せに暮らしていけると思うんです」(一田憲子著『大人になってやめたこと』(扶桑社)より)

なるほどなあ、いまの私が求めているのはこういうことなんだよなあ…としみじみ思いました。同時に、自分の人生で風呂敷を広げる時期はもう過ぎたと感じていることも理解しました。

なにかを大きくしていくよりも、これからはたたんでいくことを大事にしたい。無意識のうちにそう思っていたことの積み重ねを、スルッと言語化していただけたようです。ありがとうございます。

自分がいちばんそう感じているのは、キャリアについてかもしれません。これまでは大きな劇場や大きなプロダクションで歌っていくことをよしとして、その機会を少しでも得ようとしがみついてきましたが、最近はそれに違和感を感じるようになっていたんですね。

それよりも、暮らしの中でできること、暮らしに穏やかな彩りを添えることの方が自分はとても大好きで、とても大切に思っているのだと理解を深めている最中です。

本当は欲があまりない人間なのに、これまで無理して欲を駆り立ててきたのかもしれません。けれど周囲から求められてきたものが、本来の自分とは違う在り方だったので、欲が少ない自分はだめな人間だとずっと断罪を続けていたように思います。

心も体も悲鳴を上げていた期間が長かったのは、本来の自分とは違う方向に向かっていたからだったのかもしれません。おそるおそる欲を手放し始めたら、これまで身にまとっていた鎧がぽろぽろとはずれていくようでとても心地よく、心が穏やかです。

ただ、これまでの人生「もっともっと」と駆り立ててきた分だけ、手持ちの素材は増えました。だからこれからは自分の手持ちの素材を組み合わせて、なにが出来るか、なにを生み出していけるかということを大事に生きていきたいと願います。

その延長線上にあると自分では感じていますが、秋以降から無伴奏朗読モノオペラの宮沢賢治シリーズを始めていけそうでウキウキしています。カフェ、公民館、サロンなど暮らしの場所にどこでも身ひとつで、日本の風土に根差した「オペラ」を上演していきたいという思いが、現実に向かいつつあって嬉しいです。

そういえば、ごはんも最近は無欲になりつつあります。基本的に玄米、味噌汁、梅干し、香の物で満足しています。おやつは煮干しや昆布。夫はそれだけでは物足らず、お肉も付けていますが。

今日は雪の一日。くれぐれも温かく、お気をつけてお過ごしください。

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