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介護の知識がないまま〜ケアマネとの出会い〜

母の1周忌を終えて

今月の6日に母の1周忌と
納骨を済ませました。

この1年、介護がなくなって、時間ができたのに
気が抜けたというか、
やる気が起きないというか‥‥
 
母の介護を振り返って、
noteに書きたいと思います。


パーキンソン症候群の進行、、、

10年前の2014年、6月。76歳。
脳梗塞になり入院。 
症状はそんなに重くなかったのですが、
パーキンソン症候群が進行していきました。
思えば、脳梗塞になる前から、
パーキンソン症候群の症状が出ていました。

“最初の1歩が出ない“
でも、母は、膝が悪いと思い、 
接骨院や整形外科で膝の治療ばかり
していました。
その時、気づいていればと悔やまれます…

車の運転もままならなくなりました。
医者で便秘の薬(便秘にも苦しんでいました)をもらった帰り道、
道沿いにある用水路におち、
車の片側を脱輪させたのです。
運転は、もう無理だということで、
免許返納。
以前から購入していたシニアカーで、
よく近所のパチンコ屋に行っていました。
帰ってこなくて、よく探しに行ったのを
思い出します(かなりの行動派!)。

病状は徐々に進行していきました。
左足ばかり前に出て、右足が出ず、 
歩幅が開いていくのです。
「右足出して」と声がけすると、
「うん」と言って出すのですが、
また、右足が遅れてしまう。
何かを掴まらないとなかなか、
立ち上がれなくなりました。


感染性腸炎で長期入院、、、
 

2015.3月、77歳。
感染性腸炎になり(古い卵を食べたらしく)、
3ヶ月入院。 
ほぼ点滴で、何も食べることができず、
どんどん痩せていきました。
骨と皮になって、もう、
長くないと誰もが思うほどに。
しかし、母は強かった! 
少しずつ食べれるようになり、
メキメキと元気になっていったのです。
しかし、長い入院生活で、
体力や筋力がなくなっていました。


突然のケアマネジャー登場!

退院間近になり、病室に、
初めて見かける女性の先生が来られました。
ケアマネジャーの話でした。
有り難いことに、その先生が、
母のケアマネの担当をしていただけることに
なりました。

介護認定も、入院中に手続きを
していただきました。要介護3。
短期でリハビリができる施設の紹介や
施設にも足を運んでくれました。 
入所待ちもほとんどなく、
スムーズに入所することができました。 
ケアマネさんがいなかったら、
何をどうしたらいいか
八方塞がりだったと思います。

そこでも、3ヶ月入所をしました。
美味しい食事に、若いお兄さんのリハビリが
功を奏し、とても元気になって、
次第にわがままにもなっていきました(笑)。

退所とともに、自宅での生活は、、、

退所する時は、担当者会議が開かれました。
私、母、ケアマネ、施設の職員さん、福祉用具レンタルの業者さん、お世話になるデイサービスの介護士さん。在宅ヘルパーさん。訪問介護のリハビリスタッフさん。
家まで来ていただき、全員で話し合いをして、
どのように生活していくか、決めていく。
 
月水金曜はヘルパーさん、木曜はリハビリスタッフさん。火曜、土曜はデイサービス。
朝、会社に行く前に実家に寄り、
会社帰りに朝用のサンドイッチと牛乳を 
買って寄る。
夜は、宅配のお弁当を取っていました。 
帰ってから、うちの家事をする。
日曜日は毎週行っていました。
かなり、ハードな生活でした。
   

別居、母との同居開始は、、、

2016.6月、78歳。
母の介護の同居生活は、
別居と共に始まりました。
 
病気になる前から、私と暮らしたがっていて
一緒に住みことが母の願いでもあったのですが。

住み始めると、人が変わってしまったように‥‥
軽い認知症が出ててしまい。
 
ここから、仕事をしながらの
たいへんな介護が始まりました。


※上の写真は、夕日ではなく
朝5時の朝焼けです。


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