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ボクがいた街

saytou
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※試聴版。オリジナル版(07:56)は購入後に視聴可能。

ボクがいた街

新潟県生まれだが、父の仕事の関係で、北海道が、ボクの育った街である。

カーリング、そだねで有名になった北見市。

北見市には、小学生1年の頃に引っ越し、約5年間くらい住んでいた。
当時は、コンビニなどなく、最寄りのスーパーまでも徒歩で行くこともできなかった。
そのため、母親は、家族の生活を考えて車の免許を取ったんだ。

学校に行くにも、子どもの足では、かなり、遠かった。
父親が、初日の登校前に、一緒に登校の道を、前日と、当日の朝に一緒に歩いてくれ、登校できるようになった。

盆地で、冬は寒くて、夏は、当時でも、それなりに暑かった
いろいろあったけど、大好きな街だった。

11歳で、札幌に引っ越した。
札幌に引っ越した後は、親戚もいない北見市に行くことはなかった。

札幌の小学校には馴染めなかった。
ボクは北見市の小学校に戻りたいと、仲の良かった友達に逢いたいと、泣いて、両親にも言った記憶もある。

そもそも、大人になった今でも、人とコミニュケーションを取るのが、ヘタクソすぎる人間。
子供の頃は、さらにヘタクソで、友達を作ることは、簡単にできなかった。

北見市でも、当初は、小学校に馴染めず、長い時間がかかり、仲のいい友達ができて、勉強も、運動もダメで、長所がなくとも、友達と遊んでいる時間を思うと救われて、頑張れた記憶がある。

大人になった、今みたいに、強くはなかったんだよね。

2012年だった
北見市の街を見たくなり、ボクは東京から、飛行機に乗って向かった。24年の時間が経過していた。

そして、記憶の中で、ボクの住んでいた北見市の街を歩いた。

驚いたことに、ボクら家族の住んでいた家が、まだあった。
誰も住んでいない空き家のようであったが。

遊んでいた近所の公園、通っていた小学校、仲の良かった友達の家を探した。
街は、かなり変わっていて、ボクの記憶とは違った。
友達の家は、なくなったりもしていた。

ボクら家族の住んでいた家は、空き家のようだが存在していたことに、なんか、言葉にならない、いろんな感情に襲われて、ボクは、この曲を、約1年くらいかけて作曲したんだ。

それが、ボクがいた街、なのです。

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