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香りが呼び覚ます、知らない街の知らない人のこと

香りによって眠っていた過去の記憶が呼び起されることを「プルースト効果」と呼ぶ。
これは、フランス人の小説家、マルセル・プルーストの著作「失われた時を求めて」の中で、紅茶に浸したマドレーヌの香りによって、ふと忘れかけていた幼少期の記憶が呼び起されたというエピソードに起因している。

今から私が話すのは、そんな「プルースト効果」の例とも言えるものではあるけど、これは決して紅茶やマドレーヌのように美しいわけでもロマンチックでもない記憶の話である。

私は仕事柄、金曜日はほぼ徹夜で仕事をする。
その後で音効さんの事務所に寄り、ホテルで仮眠とるのが毎週のルーティンだ。
その音効さんの事務所は、飲み屋がひしめく路地裏の、少し古めの雑居ビルのようなところに入っている。  

その雑居ビルの古ぼけたエレベーターの中の匂いを嗅いだ時、なんだか切なくて、さみしくて、こころが締め付けられるような気持ちになることに当初は戸惑いを覚えた。ここではないどこかにいるような、遠いどこかにこころが持っていかれるような、そんな不思議な気持ちになっていしまう。
それは今の私が思い出すには都合の悪い記憶だったからだ。

忘れかけていた記憶を辿ると、その匂いは、大学生だった十代後半から二十代前半まで、一人旅ばかりしていた頃に泊まったビジネスホテルを思い出させるからだということに気付く。あの頃、一人旅で立ち寄ったあらゆる街で過ごした夜の記憶が、何の脈絡もなく一瞬で蘇ってくるのだ。

当時の私は、家庭にも学校にも居場所を見いだせなかった。
家庭では分かり合えない家族とぶつかり続け、学校では既に情熱を失った学業と育ちの良すぎる友人たちに退屈しながら過ごしていたけれど、旅先では、それらすべてから自由になることができた。
出会う人、見える景色、乗る電車、何もかもが新鮮だった。

大学に入って、大学デビューにすっかり失敗して以来、私は自分らしく生きることと、人と円滑なコミュニケーションを取ることの両立ができなくなっていた。
それでも、根っからの人間嫌いだと割り切れるほど私は強くもなかった。ただ、本来自分と思いを共にするはずの人が今ここにいない、つながりたいのにつながれないという、行き場のないもどかしさを抱えて毎日を過ごしていた。

そんな日常生活とは対照的に、初めて訪れるような旅先では、そんな暗い毎日を送る自分が嘘のように、自然体のまま社交的に振舞うことが出来た。人によく話しかけられるし、自分もよく話しかけた。
人に出会うことが楽しかった。私は人に会うことが好きだし、そうしている自分のほうが好きなのだと思った。

だから、お金も無くて人恋しい一人旅では、大抵ドミトリーの宿に泊まって、旅人同士で集まって宴会をすることが多い。だけどゲストハウスが無いくらいの小さな地方都市に宿泊する場合は、やむなくビジネスホテルに泊まることがある。
一泊5千円くらいホテルの代金は私にとっては高すぎるし、何よりも知らない街のビジネスホテルで一人で眠るなんて、こんなにさみしいことはない。

そんなときの楽しみは、地方都市の繁華街で知り合った男の子たちと遊ぶことだった。

ホテルにチェックインするとシャワーを浴びて、入念に化粧をし、持っている限りの服でお洒落をして、繁華街へと繰り出した。
地方都市の繁華街で出会う男の子たちは、都内にいたらまず出会わない相手ばかりだった。都内のナンパ師とも違うし、学内で出会うような偏差値が高くて育ちのいい大学生とも違う。

初めて訪れるような地方都市の繁華街で出会う男の子は大抵高卒で、すでに働いていた。生まれた土地を離れずに生きている彼らと、共通点と呼べるようなものはない。
そういう彼らは、声をかけて振り向いた私を口説こうとする。お酒を飲んだり食事をすることが真の目的ではない。だからこそ、真の目的に近づくために繰り広げられる、絶妙なバランスのもとで進む艶っぽい会話のやり取りは、職場や学校といった公的な場所では決して得られないものだった。
私にとって、こうした行きずりの関係を楽しむことは、退屈すぎる日常から自分を開放してくれる唯一の手段だった。

あの日あの時あの場所でなければ一生出会わなかったであろう人と、そして今後も二度と会わないかもしれない人と、この瞬間だけ、知人の誰よりも近い関係になる。夜が深くなれば、お互いに、気心知れた友人にすらに言わないようなことを話すこともある。

そうやって、私は知らない街で知らない人と過ごす刹那的な夜にカタルシスを感じていたんだと思う。

そういうことをしなくなってからもう、数年が経つ。今冷静に振り返れば痛々しい体験のあれこれも、あの時は純粋な気持ちで、混じりけのない切実さで、不純な関係を求めていたのだ。
今ではあの時と同じ気持ちで知らない男に抱かれるなんてことはできないだろう。
そう思うようになったのは、こんな私にも大切な人ができたからだろうか。

それでも、香りはいやおうなく、私の気持ちをあの頃に戻す。
あの頃は若かったし、無知ゆえに怖いものなどなにもなかった。新しい土地を踏めば新しい世界に出会えるように、新しい男の人に出会えば、昨日まで知らなかった人のことを知ることができて、まるでその人すべてを知ることができたかのような征服感があった。

ビジネスホテルという一見味気ない施設に対して、そんな刹那的で美しかった夜の記憶しか持ち合わせていない私は、こうして金曜の夜の二時間しか眠れないような、仕事のために泊まる都内のホテルでも、どうしてもそんなことを考えてしまう。

私のホテルの記憶の濃度は、ここ数か月というもの毎週金曜日にホテルに泊まっている生活のせいで、薄まりつつある。
こうして記憶は上書きされていって、いつかビジネスホテルでそんな感情が想起されることなんてなくなるのだろう。

それをなんだか悲しいもののように思い、「そんなこともあったね」なんて過去として笑い飛ばせないのは、あの頃の気持ちの弾片のようなものが今でも私の中にも残っていて、こうして私の体内をめぐっているからなんだと思う。
それらの断片は、時々思い出したように私のこころをキリキリと刺す。それらは、大人になれば私の中から自然になくなっていてくれるものなのか、一生付き合っていかなければならないものなのか、そんなことは今の私にもわからないままだ。

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