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退職交渉で言えなかった「本当の理由」

退職を決めてから、私がこの職場に通うのはあと一か月だと、毎日言い聞かせて働いている。

この職場で感じる違和感、居心地の悪さ、机に座っている何でもない時に感じる虚しさ。
続けるために程よく蓋をしていた感情が、もう蓋をしきれなくなり、吹きこぼれた鍋のように噴出してくる。

テレビ局で働く道を自ら捨てたことに、退職を決心した当初は未練を感じていたが、今では「ここを出ないと始まらない」とさえ思えてきた。
どちらにしろ、これ以上は限界だった。

今日、過去のオンエア素材を探すため社内システムで検索していたところ、番組の制作元会社として、とある制作会社の名前が目に入った。その制作会社Nの名前を見るのは久しぶりだったので、「最近どうしてるかな」と思い、ネットで検索をかけた。

制作会社Nは、私は今のテレビ局に入る前に勤務していた制作会社Jの前身となった会社だ。もともとJのメンバーはNの労働環境に不満を訴えて分離し、Jを作ったのだった。
最近のNの制作番組を見ていると、NHKを中心にドキュメンタリー番組を多く制作しているようだ。Jの前身の会社というだけあって、作品の雰囲気は何となく似ている。
倒産さえしなければ、まだJで楽しく働いていただろうと思ってしまう私は、HPに載っている作品リストにJの名残のようなものを感じていた。

採用情報を見ていると、コロナでずれ込んだと見られる新人採用がちょうど3日前に始まったばかりだった。8月末までの応募期間までまだ時間はある。

私は退職交渉をするとき、「テレビはもう嫌だ、他の業界に行く」と局のプロデューサーにも、派遣元の会社の社長にも啖呵を切ったのだった。
しかし、本音を言えばテレビ業界にまだ未練はあった。何故そう言ったかと言うと、半分はその通りの本音だけど、もう半分は何としてもこの職場をやめたかったからだ。
映像を媒体とした報道で食べていけるのは多分テレビしかない。ドキュメンタリー映画はほとんどお金にならないし、ネットで収益化するのはまだ難しい。

私は映像作家になりたいという夢もあるし、まだ報道の仕事をしたいと思っている。ただそれをできる場がないのであれば、私はもうテレビ業界にはいられない、と思っていた。

私は悩んだ。
まだテレビ業界にしがみつくつもりだろうか?
9か月しかテレビ局で続かなかった人間が、また制作会社でやっていけるのだろうか?
何よりも、採用する側がそれを懸念するはずだ。

なぜ私は今のテレビ局での仕事がこんなに辛かったのか。実はシンプルに今まで誰にも言えなかったことがある。 
それは、私は局での人間関係が上手くいっていなかったということだ。

別にパワハラ・セクハラを受けたわけでもなく、劣悪環境で長時間働かされたわけでもない。給料が安かったわけでもない。
テレビ局で働いて精神を病む人は結構いるけど、それとは違う意味合いで、私は人間関係で上手くいかなかった。

不当な扱いを受けていないのに感じる違和感だからこそ、言いにくかった。言いにくかったし、何よりも人に伝えられるような形で言語化することが今でもうまく出来ない。

「彼らのことが何となく好きじゃない」というただ個人的なだけの感情を表に出すのはあまりに幼稚だし、なによりも退職に納得してもらうための説得力に欠ける。

私は、彼らに変わってほしいとかこうしてほしいとかそういうお願いをしたいわけでもない。彼らが私に注意をしたりことや嫌味みたいなことを言うのは、実際に私が仕事をできていないからだ。

人として問題があるのは彼らよりもむしろ私の側だし、そうわかっていても、事実として私は彼らと一緒に仕事をするのがとても辛かった。

「誰と一緒に働くかが大事」とはよく聞くけど、これほど重要だと実感したことはなかった。本来ならば好んで接点を持つはずのない人間と仕事として関わるとき、これほど自分の精神に負荷を強いるものだとは思わなかった。

同僚のADたちはそもそもバラエティやドラマ志望だから、報道志望の私とテレビの話題が合わない。
そして、彼らはおそらく留年も浪人も留学も就職浪人も院進学もなく、新卒ストレートで大手の番組制作会社に入ってきた人たちだった。

寄り道ばかりしている私は、就職することに何の疑いも感じず、疑うことなくまっすぐにスーツを着て合同説明会などに参加して順調に内定を取る人たちのことを、自分とは遠い存在のように感じていた。

彼らはそういうタイプの人間に見えたし、私の大学の友達の多くもそうだった。敷かれたレールに乗ることを疑わず、しかもそこで上手くやっていける人たちだ。
振り返れば、私は学部4年と大学院で所属した研究室でも同じことを感じていた。
学校だからまだ「なんか変わっている人」で許されていたが、私は次第に研究室に行きたくなくなっていた。

それに対して、新卒で入った会社で出会った同期は、みんな個性的だった。
まず、私含めて4人のうち、ゲイとレズビアンが一人ずつ、そして私以外のもう一人の女の子は敬虔なクリスチャンだった。専攻も関心分野も違う。年齢も、ストレート新卒の22歳から大学院を出た25歳までいた。
「これが当たり前」みたいな共通の常識をほとんど共有していない私たちが、唯一持っていた共通点は「自分なりに精一杯悩み抜いて就活した結果として、この会社に辿り着いた」ということだった。

採用試験には、型どおりのエントリーシートなどの書類の提出は求められなかった。提出書類は、自由に自分をアピールする課題と、特定のトピックに関して論文を書くという2つのテーマのうちどちらかを選ぶものだった。
新卒枠の採用ではあったけど応募要件に学歴の指定すらなかった。

6月を過ぎても内定が無かった私は、「もう自分の想いを貫いて、それで受け入れられなかったら就職は諦めよう」という開き直りがあった。
私は面接の間、ずっと本音で話し、時には面接の場で言うべきではないことまで話した。それでも内定をもらえて、正直自分の方がびっくりしてしまったものだ。

その会社は結局1年でやめてしまったけれど、同期との関係は今でも続いている。

そんなわけで、レールにうまく乗っていけているテレビ局の人たちが構成する世界に、どうしても馴染むことができなかった。
派遣元の社長に何度も悩みを話して、「どうしてみんなと仲良くできないんだ(笑)」と言われた。
だけど、大人になってまで、幼稚園の頃から言われてきたような「みんなと仲良くしなさい」なんて言われるとは思ってもみなかった、というのが本音だ。

だから、局での人間関係なんかでテレビ業界で働くことを諦めたくない、という思いはあった。テレビでまだできることがあるなら、やりたいし、まだ諦めたくない。

もう27歳だし、私の20代はあと二年半しか残されていない。諦めるには早いような気がするけど、これ以上冒険するほどの時間はない。

コロナのせいで先行きが見えない世の中ではあるけど、結局向き合わないといけないのは自分に内在している問題なんだなぁ。
なんて、気が遠くなりそうな気分で将来のことを悩んでいる。

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