見出し画像

夜の自転車とオレンジサワー

昨夜、仕事を終えて帰ってくると、先に帰宅していた彼が突然「自転車乗ろうよ」と言い出した。

「え、この時間から?」と、私は一瞬戸惑った。なんだかよく分からないけど、そういう気分なのだ、と彼は言った。

もう夜の11時という時刻も気になるけど、明日は午後出勤だし、どうせ酒飲んで寝るだけだし、ということでロードバイクに乗って荒川の河川敷まで行くことになった。

自家製のスポーツドリンクと汗ふきタオルをリュックサックに入れて、玄関からロードバイクを出す。
こうして二人でロードバイクに乗るタイミングは休日の昼間が多かったから、平日夜にこうして出かけるのは新鮮だ。

夜だし外は少しは涼しいだろうと期待していたけど、湿度が高くもわっとした空気に包まれて蒸し暑い。
うちから荒川の河川敷まで、自転車で5分程度だ。橋の下からくねくね曲がると長い自転車道を上って、そこから河川敷まで降りる。
時刻は11時を回っていたけど、暗闇に浮かぶ自転車のライトがいくつか見えることから、意外と人通りはあるようだ。
私の自転車のライトはあまり明るくないので、私よりもずっと明るいライトをつけている彼の隣を並走して、ゆっくり走る。

いつも、日曜日に荒川沿いを走っているときは、色とりどりのロードバイクに乗った人たちがいっぱいいる。こだわりの見える車体や個性的なカスタムを見るのも楽しいし、おしゃれなサイクルウエアを着ている人もたくさんいるので、休憩中も目を楽しませてくれる。

昼間には色彩のあふれる荒川河川敷にも、夜になると色も光もない。
想像以上に暗い河川敷ではいつものようなスピードを出すのが怖いので、注意深く走っていく。

川向こうに広がる街の灯が、荒川の水面に反射してキラキラ輝いている。コンクリート工場が夜も休まずに稼働している。

開けた場所ではそんな都会の夜景色が見られるけど、荒川サイクリングロードのほとんどは、両側が背の高い草木で覆われた道だ。
優しい音色で響く虫の声、ときどき聞こえるカエルの鳴き声ぐらいしか聞こえない。

川に面しているからか、河川敷は家の周りよりもずっと涼しかった。
暗くて何も見えない、虫の声とカエルの鳴き声だけの世界を、流すようなゆったりしたスピードでロードバイクを走らせる。

この荒川河川敷にはいろんな時期のいろんな思い出がある。
初めて荒川に来たのは、確か荒川沿いを二人でランニングした時のことだ。確か二年前、この近くに二人で住み始めたばかりの頃のことだったと思う。その日は東大島で開催したドラゴンボートの大会があり、夜の焼肉パーティ目当てで参加したニワカの私たちは完敗してしまった。
「このまま焼肉とビールなんて、全然美味しくないよな?」
その日はレースする気満々で来たのに、初戦で敗退してしまって消化不良だった私たちは、南砂町まで荒川沿いをランニングすることにしたのだった。
持て余していたエネルギーを出し切り、もやもやした悔しさを汗として流し切った私たちは、荒川ロックゲートという水門の下で休んだ。日陰でよく冷えたコンクリートの上に寝転がって、息が上がったまま、熱くなった身体を休めた。
レースでは負けてしまったけど、私たちは私たちで勝手に達成感を感じていた、二年前の日曜日の昼下り。
あの時の、マンガみたいな爽やかなひとコマが、私たちと荒川ロックゲートの出会いだったのだ。
あれから半年経ってロードバイクに乗るようになってから、荒川ロックゲートにはたびたび来るようになった。

緊急事態宣言の発令に伴い自粛ムードが続いていた今年の4月、5月は毎日のように荒川沿いをロードバイクで走っていた。イベント会社で働いていた彼は仕事がなくなり、私も交代でリモートワークをするようになったので、昼間に一緒に過ごす時間が増えたからだ。
自粛に疲れたみんなが考えることは同じらしく、荒川の河川敷には、多くの人が太陽の下で穏やかな時間を過ごしていた。

河川敷でキャッチボールをする中学生の男子たち、ペットの散歩やランニングをする人、自転車に乗っている人、それぞれが何となく距離を取りながら荒川ロックゲートで休んでいた。あの季節、総武線の下にあるお花畑には一面に赤い花が咲いていて、今よりも緑の匂いが濃かった。むせるような草木の匂いが充満したサイクリングロードを、飽きずに毎日のように走っていた。

6月に入ってからは、彼が新しい仕事を始めたり私のリモートワークが解除になったりして、二人で過ごす時間も少なくなった。その後は今年の長い梅雨のせいでロードバイクに乗る機会は少なくてなってしまったから、こうして二人で荒川沿いを走るのはなんだか久しぶりな気がした。

夜12時を過ぎて荒川から帰ってくるときに、駅の北口側を通った。南口側に住んでいる私たちは普段北口側に行くことは少ないのだが、うわさに聞いていた「北口再開発事業」の様子を確認してみたくなったのだ。

あの辺には、行きたかった居酒屋や、おしゃれなパン屋さん、昔ながらのファミコン屋さんもあったはずだった。しかしそれらの一切合財が、北口から見えるの街並みのほとんど半分が、ごっそりとそのまま失われてしまっていた。
いくつものビルが取り壊された跡地一帯が、無残にも白いパネルで覆われていた。
この跡地は、いったいなるのだろう。

この街で過ごしてきた二年という時間の間で、私自身の生活も随分変わった。ずっと変わらないだろうと思っていたこの下町の風景も、やはり時の流れには抗えないのだ。

感傷に浸りながら家に戻ってきた後に、ふとオレンジサワーが飲みたくなり、オレンジジュースを買いに一緒にコンビニに行った。
家の向かいにあるこのコンビニが8月末で閉店してしまうと知ったのも、数日前のことだ。
深夜にいつもいる店員のSさんと、初めてまともに会話をした。
「ここ、8月末で閉店しちゃうんですか」
「そうなんですよ」
この時間にいつもいるSさんという店員さんは、その独特のしゃべり方と深夜でも安定感のある丁寧な接客をしてくれる、なじみの店員さんだ。深夜にコンビニに行くと必ずSさんがいて、心が荒んだ夜でもほっと落ち着く気持ちにさせてくれた。
アクリルパネルとマスク越しのSさんの声は聞き取りにくかったが、初めて話した彼は思っていたよりもよく話す人だった。
そんなSさんが今の生活からいなくなると思うと、些細なことだけど、なんだかさみしい。

家に戻ってシャワーを浴びたあとに、彼がオレンジサワーを作ってくれた。甘いお酒なんて普段飲まない私たちだけど、汗を流したあとには、ちょっと甘いものが飲みたくなる。
爽やかな甘みが、疲れた体によく染み渡った。
「おいしい!これアルコール入ってるの?」
「半分くらい酒だから結構強いはずだよ」
彼がそういうように、グラス2杯も飲むと、結構酔っ払ってきた。
時刻はもう午前3時を回っていた。
眠気なのか酩酊なのか分からないまま、意識が心地よくぼんやりとし始めた。アルコールは鎮痛剤だ。また目覚めればまた次の日がやって来てしまうという現実的な痛みを、今だけ忘れさせてくれる。

今の仕事をやめるまで、あと1ヶ月。
この二年で、街も変わるし人も変わるし、この世界だって、新型コロナウイルスによって大きく変わってしまった。
だけど、世界が変わることは止められないし、そんなに悪いことばかりじゃないのかもしれない。何はどうあれ、私たちはこの世界で生きていかなくてはいけない。

ずっとやめたかった仕事をやめることになったのになぜか感じていた不安が、おぼろげな意識の中でゆっくりと溶けていくのを感じながら、眠りに落ちた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?