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教室をやめてもらった話

まずはじめに、以前何かの記事に書いたことを、引用しておきます。

ピアノ教室=営利目的
一般的にはそうなのだろうが、うちの教室は少し違う。

私は児童発達支援士だ。
発達がゆっくりだったり、個性が強かったりで、他の教室では習えない子どもを優先的に受け入れている。ホームページのいっちゃん最初にそのように書いている。
重度自閉症の生徒もおり、一般的には想像のつかないような内容のレッスンだってしている。
ワーカホリックの夫がかなり稼ぐので、ぶっちゃけお金にも困っていない。
他の教室で問題なく習える子どもは、むしろそちらに行ってもらいたいのだ。

「初っ端の違和感」より

二年ほど前だろうか、中程度自閉症の男の子が、母親に連れられてやってきた。年少から年中に上がるタイミングだった。
聞けば、「今はヤ◯ハでレッスンを受けているんだけれども、家に近いこちらにお世話になりたい。特性もあるからピッタリだと思って。」ということだった。

この話を聞く限り、うちの教室のレッスンが合うようなら、ヤ◯ハはやめて切り替える…と、誰しも思うはずだ。私もそうだった。

生徒本人は私のレッスンを気に入ってくれたのか、毎週金曜日に笑顔で通ってくれるようになった。
クレーン現象、ミスしたら初めから弾かないと気が済まない、時計がそばにないと落ち着かない、書き損じは消しゴムで跡形もなく消さないと先へ進めない、ハンドソープの色が変わることの予告が必要…等々、発達障がい児特有の行動やこだわりは強いほうだった。

ところが、ある日。
バーナムというテクニック教本に、私以外の書き込みが見られた。日付は二日前の水曜日だ。
「これ誰が書いた?」と本人に聞くと「ヤ◯ハの先生だよ」と。え?やめたんじゃなかったの?
母親はレッスンの30分の間だけでも、本人と離れたい願望があるそうで(発達障がい児の親あるある)、毎回玄関までの送迎。そして外国人のため、日本語が少々不自由だ。
迎えに来た母親に「ヤ◯ハさんやめないんですか?」と聞くも「やめてないです。やめるかちょっとわからないです。」と。
次のレッスン枠の生徒も待っていたため、その日はそこで話を終えた。

おそらく、ピアノ教室の掛け持ちについて、何ら罪悪感も感じていないし、子供にかかる負担についても、考えが及んでいないのだろうと思った。

生徒本人は、いわゆるギフテッドなのか、楽譜をスキャナーのように読み取る力があり、初見である程度弾けてしまうタイプだった。
音楽表現を伝える際に「◯◯のように」「ここは歌って」という比喩は全く通じない。音の強弱を0〜6で数値化して、4.25・0.80・1.60 のように細かく楽譜に書き込み、それを私が忠実に演奏してみせる。指の運び、肘や手首の使い方、全てを視覚で覚えさせる作業が必要だった。

これほど手のかかる子だし、何よりも本人がピアノを好きでやっているのだから、ヤ◯ハさんのサポート的な役割でも良いか…と、しばらく現状維持で様子を見ることにした。

約二年が経ち、相変わらず教室の掛け持ちは続いていた。二年ともなると、曲の難易度も上がる。初見で弾くことが難しくなるにつれ、ミスすることが苦手な彼は家で練習しなくなってしまった。練習して弾けるようになる喜びというものは、彼の中では育たなかったようだ。
その状態でありながら、二つの教室の課題をこなすのは無理がある。合格に至らず進度が停滞するようになった。

「練習しない子は、やめてください。」
私は彼に言った。

発達障がい児は、何かを「やめる」ことが苦手だ。いつも「ある」ことが「ない」に変わってしまうことに、とてつもない不安感を抱く。
始めたはよいが、やめられずに惰性で全て通ってしまい、習い事が週6日もあるお子さんを知っている。本来なら親御さんが注意してコントロールしなければならない部分だ。

彼もやはり「やめないよ?」と笑顔で言った。
うちだけではない、彼はヤ◯ハをやめることもできないのだ。

こうなると、理由を説明して納得してもらう、なんていうことはできない。
「小学生になると、二つのお教室は習えません。ヤ◯ハやめたらまた来てね。」と、一方的に引導を渡すより他ない。「やめさせてあげる」ことが最後の支援となる。

外国人とその子供が、障がいを抱え、特性を理解し、咀嚼して、日本という国で生きていく。とても難しいことだと実感した。

今回の件を踏まえ、「教室の掛け持ちお断り」の文言を、教室規約に盛り込んだ。苦い思いと共に。