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天国という場所への既視感から、心身の快適さを考えた

「もしかしてここが天国なのではないか」

そう、強く感じるような”天国”の既視感。
こんな感覚が、今までに3回ほどあった。

そして、自分が感じる”天国らしさ”を探ってみたら「心身の快適さとは何か」に辿り着いたので、せっかくなので記しておこうと思う。
そんなお話。

”天国”の既視感を感じた3つの場所

一度目は、3年前に旅行で訪れた行った奄美大島にある「あやまる岬」。

あやまる岬は奄美大島空港から車で5分ほど北に行ったところにあり、高台から遠浅な海と開けた空を一面に見渡すことができる場所だ。

ここに来たときに、"天国"か"天国に一番近い場所なのでは"と感じた

二度目は、1年前に再度旅行で訪れた奄美大島にある「宮古崎」。

近くの駐車場に車を停め、時には草木をかき分けながらハイキングコースを20分ほど進むと、琉球竹が生い茂り、視界が開けた岬に到着する。

端まで歩みを進めると、形容しがたい色んな青が目に飛び込んでくる場所だ。

そして三度目は、先週に引き続き2週連続で訪れている入間川沿いの公園にて。

この公園には疑うほどに青々とした芝生と、のびのびと生えた木々がただそこにある。

土手の上には遊歩道があり、人々は思うままに犬と散歩したり、サイクリングしたり、誰かと喋ったり。
遊歩道の隣には座れるスペースもあり、木陰で一息ついたり、寝転んだり、ご飯を食べたりしている。

このベンチに座って本を読むのは格別だ。

芝生の方にあるベンチに座り、トランペットの手入れをしているおじさまもいる。

各々が好きなように居る。

ここにいる人は、とても穏やかな顔をしているように見えて。

「もしかしてここが天国なのではないか」
また、そう強く思った。

3つの場所に共通する天国らしさの正体

この3つの場所に共通する”天国らしさ”とは、
自分が思う【体と心の快適さを叶えられる】点にあるのだと思う。

「雄大な自然が感じられる」「敷地に対して人がとても少ない(あまりいない)」「晴れている」など、3つの場所の共通点たちをまとめると、

・体への刺激が適度であること
・感じられる空間が広く、故にのびのびとできること
の2つにまとめられる。

体に対する刺激が適度であること

3つの場所とも自然を存分に感じられる場所なのだが、この自然が主に「体感覚」「聴覚」「視覚」「嗅覚」に適度な刺激をかけてくれていると思うのだ。

💥 体の感覚にかかる刺激
・体感覚の快適さ
→気候によるもの
(暑くも寒くもない、湿気がなくカラッとしている、蚊やハエなど気になる程度よりいない など)
・聴覚の快適さ
→音によるもの
(適度に草木が風にそよぐ音が聞こえる、人や人工物の音でうるさくない)
・視覚の快適さ
→視覚情報によるもの
(目に優しい木々・空の青さ、目が疲れない)
・嗅覚の快適さ
→匂いによるもの
(程よい緑/土の香りがある、刺激的な香りがない)

感じられる空間が広いこと

上記と合わせて、3つの場所とも写真上からも感じられるようにこれでもかというほどの雄大な自然が広がっていて、ほとんど人がいない。
つまり「感じられる空間がとてつもなく広い」

この状態だと、人目を気にせずに好きな時間いることができるし、木陰で本を読んだりストレッチをしたり昼寝をしたりぼーっとしたり、のびのびと好きなこともできる。

つまり、自分が感じられる空間が広いと、人目を気にせずにのびのびと心を解放できるという心が快適な状態を作れるのだと思うのだ。

以前このnoteに書いたように、

心と体は繋がっているし、感覚と感情は繋がっているから、体と心が快適な状態を作ることができるとそれが持続的な心地よさに繋がるのだと感じる。

一方で、冬と夏の寒暖差があり高温多湿で、日本の人口の10分の1がいて、日々刺激が多い東京を始めとする都市圏では、この3つの場所のような状態を作るのは難しかったりする。

だから今後も、このnoteのように自ら心身が快適だと感じる状態を模索していきたい。

そして、死後の世界があるかはわからないので、果たして天国があるのかはわからないけれども、現世で快適な状態を作り続けることが難しい分、

“天国”とは自分が求める絶妙なバランスが取れた、永続的に心身の快適さを感じられる場所なのではないか。
そう思ったりする。


南国感があるこんな木もたまにはいいよね。

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