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他人事だった介護が身近になった話(前編)

はじめに…

介護なんてまだ先の話…要支援とか要介護とか小耳に挟むけど、よく分からないなぁと思っていた。

ところが、もうすぐ80になる母が1年前に転んだのをきっかけに、持病の足だけでなく、手も不自由になり、食事や着替え、移動や排泄に多くの時間を費やすようになってしまった。

そんなこともあり、よく分からなかった介護保険について調べ、認定がおりるまでの事を、忘備録として書いておくことにした。



母は、60代の頃から膝が悪く(変形性膝関節症)70代前半までは杖をついて、電車に乗ったり、ショッピングに出かけたり、ということも出来ていた。

膝が曲がらないので、長く歩く事や座ってからの立ち上がりに段々と困難を生じるようになって、歩いて通っていたプールの送迎は3年位前から80代の父がやっていた。
父は毎日、健康のために歩いているのでできることだ。
老老介護は身近な事なんだなぁと思った。

その日は小雨がちらついていた。
昨年の4月、プールまで送ってもらうため、少し離れた駐車場に向かっていた時、緩い坂で杖が滑って転倒し、顔面を打ってしまった。


すぐに病院に行けばよいものを、立ち上がれたので大丈夫と判断して、毎日通っているプールにそのまま行ったのだ。

いつものようにプールに入ると、プール仲間から青あざが出来ていると心配され、当然押すと打ったところの痛みもあったので、翌日脳神経外科へ行った。


レントゲンを撮ったが異常はなく、その日は安心したようなのだが、数日後には首の痛みと手の痺れも出た。再度行くと、詳しく調べるのにMRIを撮った方がいいということで、大きな総合病院を紹介してもらったのだが、何故かMRIの予約が1ヶ月先しか取れないという不可思議な現象で、予約だけして帰ったようだった。


それでも、手の痺れと首の痛みは何とかしたいので、整形外科で首のレントゲンを撮ってもらうと、白く映っている部分があり、筋を痛めているとのことだった。


時間が経てば痺れも治るでしょうと言われ、様子をみていたが、相変わらず痺れは治らず首の痛みも取れなかった。

その間は、整骨院に通う日々が続いた。

1ヶ月後のMRIの検査も異常なし…



転んでから3ヶ月後、様子を見に実家へ帰ることにした。母の様子は同じ市内に住む妹が教えてくれていた。

ほぼ毎日通っていたプールの施設内にお風呂があり、プール仲間が沢山いるので、妹が付き添わない時はプール仲間が洗髪を手伝ってくれる事。

それほど掃除に力を入れていなかったのに、父が掃除をするようになると、あそこにゴミがある、ここにもある、と口は達者なので、椅子に座ってうるさく指示を出すこと。

病院や整骨院は痛くなって行くところと思っているらしく、少し調子がいい時でも、家で膝を動かしてみたり、姿勢に気をつけたりといったトレーニングをやろうとしない事など…




せめて転ぶ前の状態まで回復してくれればと、妹が整骨院にも連れて行ってくれていたようだ。治療時間も含め往復3時間を週2日、3ヶ月ほど続けたが、ほとんど効果を感じず半年が経った。

整骨院で少し調子が良くなっても、再び転んでまた元通りと言うことを繰り返し、3ヶ月の間に3度程転んだらしく、怖いと下を向いて歩き、歩幅も狭くなってしまった。

そんな経緯もあって、このままでは、悪くなる一方だと、初めに転んでから半年経った頃、やっと父がケアマネさんに会ってみる気持ちになったのだ。


以前と比べて難しくなったことをまとめると

①力が入らないので、箸が持てなくなり父が用意して、細かく切った食べものを、1時間かけて自分でスプーンを使って食べる

③洗濯をして洗濯物を干すこと

④トイレでズボンの上げ下ろしに時間がかかるので、時には間に合わないこともある

⑤お風呂で髪を洗うこと

⑥買い物


その間、病院に勤める妹が、同じ職場で働いているケアマネジャーに母の事、介護保険の事を色々尋ねていた。

妹は、こうなる数年前から母に介護保険を使って、何らかの支援をしてもらう事を父に提案していたようだが、この程度では使えるはずかないと拒む父。
2階に寝室がある母も、何度も1階に寝室を移すことを提案しても、リハビリになるから大丈夫、上り方にコツがあると絶対に譲らなかった。

私たち姉妹は、介護保険母が使わなくて一体誰が使うのだろうとよく話していた。
でも全くよくなる兆しのない母を身近で見ていた父は、流石にこのままではまずいのではないかと思ったようだ。


   後編へ続く

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