こだわらないことにこだわっている

放送作家と構成作家

「放送作家」という肩書に思うところがある。似たような言葉の「構成作家」という肩書と比較して、だ。
理由は二つある。

が、その前に…。
そもそも私は「肩書」を細分化することにあまり意味を感じていない。結論を先に書いてしまうと、なんらかの創作文章を書く仕事の人は、全員「作家」でいいと思っているのだ。

そういうお前の肩書の多さは何だ?…とおっしゃる方もいるだろう。
私はふつう「作家・脚本家・放送作家」というのを使っている。場合によっては「作詞家」がつく場合もある。紹介されるケースによって「落語作家」がつく場合もあるし、「一般財団法人・日本パイ文化財団理事」がつく場合もある。たぶんこれはオモシロで加えられているのだろうが。

ちなみに、このnoteでもX(Twitter)でもthreadsでも、プロフィール欄には、
【作家です。放送作家、脚本家、作詞家とも呼ばれますが、自分では全部同じことだと思ってます】
と書いている。

肩書が多い人

一般に、肩書を多く並べる人は二種類いる。
1)勲章みたいにたくさん並べるのが好き。多いほど価値があるという考え。
2)数が多いと個々の価値が低下する。なので、わざといっぱい並べて全体を無意味化するという考え。
…もちろん、私は2)だ。
私が一度でもやったことがある仕事をずらずら並べてみると…
小説家・エッセイスト・コラムニスト・評論家・放送作家・脚本家・作詞家・漫画原作者・落語作家・腹話術作家・演出家・プロデューサー・パーソナリティー・日本パイ文化財団理事…だろうか? 
さらに細分化すればショートショート作家だとか、ラノベ作家だとか、ラジオドラマ作家だとか…もっと増やすこともできる。まさに『一芸を究めない』だ。そして、こんなに並べると、みごとに全体が無意味化する。

もう一度結論を書くと、全部まとめて「作家」でいいと思っている。「物書き」「文士」は時代ががって青くさく恥ずかしい。「文筆業」「著述業」は堅苦しく役所への届け出みたいで嫌だ。そこで、
【作家です。放送作家、脚本家、作詞家とも呼ばれますが、自分では全部同じことだと思ってます】
になる。この時、私はいつも「放送作家」という言葉を使い、「構成作家」は使わない。理由は二つある。
ふう…。ここでようやく冒頭に戻ってきた。

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