記憶の博物館2

ずいぶん以前、ラジオ番組での朗読コーナー用に書いた、エッセイと詩をミックスしたような原稿。コーナーの通奏低音はノスタルジー。そこから、何本かずつまとめてUPしています。
当然、世代によって感じ方は違うでしょう。
今回は「焚き火」「秘密基地」「コーヒーカップ」「暗がり」

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焚き火

焚き火にあたりながら、焼きイモ……なんて、マンガやドラマではよく見たし、なんだか自分でも経験したような気がしていたけれど、よくよく考えると、やったことがない。
      
絵に描いたような焚き火の経験は、あまりないけれど、似たようなことならば、きっとあなたも経験がある。
それは、たとえばゴミを燃やしているついでに、少しばかり枯れ葉や枯れ木の枝を一緒に燃やしたりといった、およそ情緒のないものだったけれど、それでも、焚き火は、焚き火。
 
木が、パチパチとはぜる。
枯れた枝と葉っぱは、炎に舐められるように包まれ、まだ水気の残る木は、断面から白いあぶくのようなものをにじませ、なかなか燃えず抵抗の白い煙を出す。
それは、風向きの加減で急にふわっと顔に向かってきて、あなたは咳き込み、涙ぐんだりする。
煙は焦げ臭く、少し野山の匂いを含んでいる。
それは、冬の匂い。
 
じっと炎を見ているあなたの頬は赤く火照る。
体の前半分は、上着を通しても熱いくらいなのだが、背中の方は寒い。
それじゃあと後ろを向くと、背中は温まるけれど、今度は前が寒くなってくる。
まったく、焚き火というのは、冬の日の温まり方としては、あまり効率的とはいえない。
 
大きな焚き火は、その周りに多くの人々が自然に集まり、なんだか気分が高揚してくる。
小さな焚き火は、その傍に二人かせいぜい数人が寄り添い、気分が落ち着き、静かに語り合ったりする。
不思議なことに焚き火は、その大きさで効果が違ってくる。
 
むかし、パチパチとはぜる火を囲んだ経験がある人も、
残念ながらそんなことはできなかった人も、
いまキャンプで焚火をしている人も、
おなじように焚き火を懐かしく思うのは、なぜだろうか?
 
あなたが生まれる、はるか以前。遠い遠い昔の、人類が火を囲んでいた時からの何万年に及ぶ記憶は、
親から子へ、兄妹姉妹たちへ、そのまた子どもたちへ……と無数に枝分かれしていく。
はるか遠くのどこかで枝分かれしたその流れの端っこが、
あなたであり、隣にいる人であり、そのまた隣にいる人でもあり……。
焚き火を囲むと、みんなの中で眠っていたかすかな記憶が呼び覚まされ、同時に甦ってくるのかもしれない。

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