下書きをしないと決めた時

私が作家になった時は手書きだった。パソコンはおろか、ワープロ専用機もまだない。文章を書くのは誰でも手書きだった時代だ。
当然、原稿を書く時は下書きをする。その上で清書をする。字が汚いというのもあるが、なによりも下書き→清書という過程を経ないとまともな文章にならないのだ。

が、ある時、
「よし、これからは下書きをしない!」
と決めた。
ベテランになって自信がついてからではない。まだ駆け出しで、自分でも文章が下手だと自覚している時に、そう決めたのだ。
もちろん、理由がある。

私は23歳の時、星新一ショートショートコンテストに入選した。それまでは文学青年でもなんでもない。同人誌活動なんかやったこともないから、書き溜めた習作なんてものもない。
本は好きでよく読んでいたが、ただ漠然と「なにか書くことで生きていけたらいいなあ」とのん気に思っていただけ。入選は超ラッキーなことだった。

星さんの紹介もあったし、出版界も珍しがって、いくつかの雑誌からポツリポツリとショートショートの注文が来た。毎回、下書きをしてから清書をした。手間がかかるが、そうしなければ書けないのだからしかたがない。文章を書く経験値が圧倒的に少ないのだ。

一方で、ラジオドラマの脚本を書くことにもなった。『夜のドラマハウス』という10分番組。レギュラー制ではなく毎週のオーディション方式だった。出来がよければ毎週採用される。ならば、毎週書くしかない。もちろんこれも、最初は下書き→清書という書き方だった。

たまに来る依頼にこたえてショートショートを発表しても、それで暮らしてはいけない。だいいち、将来本が出せるかどうかすらわからないのだ。
しかし放送の方は、レギュラーになれば基本的に週に一本というサイクルだ。脚本以外の構成仕事もある。こっちの方向なら、ひょっとして暮らしていけるかもしれない。
当時私はとある団体の新人サラリーマンだったが、辞めてフリーランスになることを決めた。

作家・脚本家・放送作家でやっていくにあたって、考えた。
「自分の実力はたいしたことない。薄利多売。日々大量の原稿を書かなければ暮らしていけないだろう。いちいち下書きをしていたらそんなこと無理だ。よし、これからは下書きをしない!」
そう、この時決めたのだ。
無謀な考えであることはわかっていた。が、当時放送局である発見をしたから「いけるんじゃないか?」と思ったのだ。

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