チョピンの岩さん(上)

かつて『週刊小説』という雑誌に、ちょっとヘンテコな相撲小説を連作で載せていました。編集部が【相撲おもしろ物語】という連作タイトルをつけてくれました。
何作かありますが、これは単行本には収録されていません。ここにUPしてみます。毎回原稿用紙20枚程度の短編でした。しかしWebで一回で読むには長い。なので上・中・下の三回に分けてみます。

「チョピンの岩さん」(上)【週刊小説 1996年9月13日号】

   1

ことのおこりは、赤間岩(あかまいわ)がピアノコンサートに行ったことにあるんだ。

あんたも知ってるように、赤間岩といやムラっ気の多い相撲で有名だ。だいだいは前頭の真ん中あたりを上下してるんだがね、その地位のわりにゃ平気で横綱に勝ったりする。楽々と八連勝してみせたかと思うと、そのあと七連敗する。あるいはその逆ってのもある。

どうにも実力を計りにくい相撲取りだが、世間じゃ「地力は三役クラス」と言われてるみたいだ。
「そうだろうか?」
とおれは思うね。わるいが、おれたち相撲記者の見る目は世間とは違うよ。これまでに見てきた相撲の数が違うからね。本当の実力ってものがわかる。だから、記者仲間ではこう言われてる。やつの場合「地力は横綱・大関クラス」だと。

土俵だけじゃない。赤間岩のふだんの生活の方もそうでね。横綱に勝って手にした懸賞金を、全部パチンコにつぎ込んであっけなく負けてみたり。新弟子の頃ならいざ知らず、いまだに酔払って大ゲンカをしてみたり。仮病を使って巡業をサボったのがバレて、親方に叱られたり……。

力士ってのは「心・技・体」が揃わなきゃいけない、とよく言われるけどね。まぁ、特にその「心」に限っていや、赤間岩の場合「地力は序二段クラス」なのかもしれない。

やつのそんな所を心配してかね、部屋のタニマチになっている社長が、
「なぁ、岩さんよ。これから上を狙っていくには、力士も色々と教養を高めなければいかんぞ」
とピアノコンサートに誘ったんだ。
嬉しいじゃないか。本来タニマチってのはこうでなきゃ、と思うだろ?
まぁ、本当のところは、その社長の娘が音楽学校でピアノを習っててね、今度発表会ってのに参加する。そこへ天下の関取を連れて行きゃハクがつくし、他の演奏者に対して見栄も張れる、というただそれだけの理由なんだけどね。

部屋の梅ケ戸(うめがと)親方は赤間岩に諭して言う。
「岩、お前に芸術を理解しろとは言わん。しかし、タニマチの顔を立ててやってくれ」
「心配はいらないっスよ。俺だってそれぐらいはわきまえてますから。その娘とやらが出てきたら大拍手をして、客席から『待ってました!』と声をかけてやりましょうか」
「い、いや。それはやらん方がいいと思う」
「そうスか」
「おとなしく聞いていればいい。ただ一つな、眠らないように気を付けてくれ」
たしかに、相撲取りが眠ってしまえば凄いいびきをかくからね。これは心配だ。

そこで赤間岩は念のため、前の日にはたっぷり十二時間は寝たという。まぁ、いつもより一時間ほど多いだけだけどね。その上、当日は眠気覚ましのためのガムやキャンディーをたっぷり頬張った。ほら、メントールとかハッカとかペパーミントとか……えぇと、あとフラボノイドとか……最後のは違ってるかもしれないが、とにかくそういうのが入ったやつだよ。
一緒に付いて行った取的によると、鬢付け油とメントールが混ざって、赤間岩の全身からはなんとも妙な匂いが立ちのぼっていたと言うよ。

で、それほどまでに準備して行った努力は買うが、結局無駄だったんだ。と言ってもやつが高いびきで眠っちまったというわけじゃない。その逆だ。

その日のステージには色んなピアニストがとっかえひっかえ出てくるんだけどね。赤間岩の目は何番目かに出てきた一人のピアニストに釘付けになっちまったんだ。一目惚れさ。おかげで目はギラギラ。居眠りの心配は無用だったってわけだ。

もっとも、それから赤間岩はぼーっとして、あとで登場してきた当のタニマチの娘のことなど、まるっきり見ちゃいなかったらしいけどね。

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