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私の発達障害ってこんなだった!目からウロコ の話

私の発達障害の話をします。ここ一年ほどの間に、自分の特性をより理解したように思うので。

去年の11月から今年3月まで、ペット同居可の障がい者グループホームに、猫を連れて入居しておりました。
入居して、私はグループホームから外に出られなくなりました。今までと全く違う環境、場所、対人関係に、いっぱいいっぱいでした。
今になりはっきりとわかったことですが、私は「いつもと同じ」ことに安心感を覚え、少しでもいつもと違うことにはパニックを起こすようです。
通り慣れた道、見慣れた景色、それらの中にあっても、いきなり大きな音や馴染みのない音がしたり、見慣れないものが目に飛び込んできたり、不測の事態が起きるとそれだけで寝込むようなストレスを抱えていました。道を歩くだけで疲れる過敏性。
グループホームの中の自室にいても、それだけでストレスなのに、どうして外出など出来ましょうか。
目に入る全てが想定外。刺激、刺激、刺激のオンパレード。
最初は、スタッフさんたちからの理解も得られず、買わなければならないものがあるけれど買い物に行けない、と言っても「頑張りましょう!」と言われるだけで、密かに泣いた夜もありました。
病院へ通院しなければならないので、そのためのルートなどもきちんと調べた上で入居したのにも関わらず、自力で病院には一度も行けませんでした。
そのうち、食欲はずっと無かったものの、一生懸命食べていたのに体重がどんどん減少していき、入居した頃42kgあった体重は、退居した時35kgにまで落ちてしまい、体調不良を起こすようになっていきました。
スタッフさんたちは段々と私の状態を理解してくれ、対策を講じようとしてくれたり、一生懸命寄り添って頂きました。本当に、大変感謝しています。
結局、精神疾患にあまり理解のない、入居者の現状も一番把握していないグループホームの社長との折り合いが悪くなり(その状態なのに早く就労を出来るように、と言われたり等など)、なんとか頑張ろうとしましたが最終的にストレスによる一時的な解離性障害になり、過呼吸から体が硬直して少しも動けなくなる状態に陥りました。病院の先生になんとか連絡をしたら、先生がグループホームへ単身飛んできて下さり、先生の判断で猫ちゃん共々(猫を置いて行けないと私が言ったため)先生の車にそのまま乗せられグループホームを大混乱させ、病院へと連れられました(猫ちゃんを病院に連れて行ってしまった先生は看護師さんに怒られていました、申し訳ない&先生ありがとう)。その後は実家にてしばらく療養しました。
あまりその頃の記憶はないのですが、その時はまだ、退居するかは決めておらず、まだどうにかなるんじゃないかと思っていましたが、病院の先生から「グループホームの方(社長)と電話でお話したが、あなたのことを理解している様子はない、もう続けるのはやめたほうがいい」と言われ、退居となりました。

私は、言われたことをそのまま受け取るというか、「こう言われたということは、こういうことだ」と先回りし、思い込むような節があって、それと印象の異なることを他の人、或いは同じ人が後に言うと、自分の中で統合性が取れなくなり大混乱を来し、今回もその積み重ねでこういう結果となったように感じています。
最近になるまで、そういう自分の特性、認知の歪みのようなものに気づかず、この度「あっ、ヤバい、思った以上に発達障害だったな!?」と痛感しました。

問題にぶち当たった時、私は考えることはやめてはいけないと常々思っていて、どうしてそうなってしまったか、どうすればいいかをずっとフル回転で考え続けて生きてきました。今までの経験を元に。ただ、その考え方が最悪の方向へとまた私を導いていた、と気付きました。
「私がこう言ったから、こんな悪い結果になったのではないか」「もしこう思われているとしたら」「これはこう動けば悪い方へ転がるはず」等、沢山想定し続け、またその想定は全てマイナスの思考であり、頭の中は色々な最悪の事態で埋め尽くされます。それでも想定できていなかったことが起きると、「想定していなかったらこんな悪いことが起きたんだ」と感じて、不安で不安でまた想定して想定して、の繰り返しでした。経験によって沢山の失敗や、間違いを記憶していて、それに基づいて沢山想定していました。それにより、「こうしたら詰む」発想しか浮かばなくなり、自分をどんどん追い詰めていっていたことにも気が付かず。…想定したところで、結局はそこまで悪いように周りは私のことを思っていなかったり、寧ろ「そんなこと思ってたの!?」と驚愕され、こちらも「そんなつもりじゃなかったの!?」と驚愕します。想定通りのことなど、ほんの僅かであり、経験を元に想定していても、経験したことと全て同じ状況のことだって殆どありません。
その人のその時の気分や、こちらの受け取り方次第で、何事も変わっていきます。
…私は、それを最近になるまで理解できていませんでした。
良かれと思って考え先回りして想定していたことが、一番最悪だったと知りました。考えるだけ無駄だった、と。深読みして、勝手に思い込んで、自分の首を締めていたと。
まるで雷に打たれたかのような衝撃を味わい、そこから、パッタリと、想定して動く、ということを辞めることが出来るようになりました。
すると、毎日頭の中でワーワーと、ああでもないこうでもないと巡っていた考えが消え去り、それらによる躁状態も無くなり、なにも想定していないので、何か不測の事態が起きても「まあそうなるよな」くらいのテンション、パニックを起こさなくなりました。特に何も考えず動くことで、頭の中のキャパシティに余裕が出来たのか、前よりスムーズに的確に冷静に物事を行えるようになりました。
「ボーッとできない、できたことがない」というのが悩みだったのですが、ボーッとする、ということが出来るようになりました。
誰かに何かを言われても、そこを深堀りせずフラットでいられるので、心穏やかです。

病院の先生からは、「徐々に改善していかれる患者さんは見てきましたが、こんなに急に変化される方は始めて見ました」と言われます。

グループホームでの経験は大変でしんどいことが多かったですが、そのおかげで得られたものも沢山ありました。

お薬も、今までに無いほど減り、調子良く過ごしています。

発達障害による「認知の歪み」、受け入れるまで、本当に時間がかかって、もうこんな年齢にもなってしまいましたが、これからもっと楽に生きられるようになれるといいなと思います。

それから、発達障害って、こんなところがあったりするんだよ、って言うことも、この文章で少しでも誰かに伝わるといいなと思います。

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