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24歳のバブー


先日、夫と一緒に新宿のビルの谷間に行ってきた。ひさびさの新宿、あまり行ったことのない新宿。

ビルを見上げて目眩を感じながら「こーれがしんじゅくかぁ〜」と写真を撮った。

ここに来たのは、私の叔父と従妹、そして娘との食事会のためでして。

夫は、叔父と従妹とは前に一度会って話したりしていましたが、娘とは初対面。私はハラハラしてそりゃあ眠れず、軽躁にもなります。

娘はなにせ、一人っ子の強気な気分屋自分大好きワガママ娘。

てなことで、娘、あ、ら、わ、れ、た。

チアリーダー。

ひょー。今どき流行ってるのかな、ごーごーチアリーダーファッション。社会人なんですが、高校生かと思いました。

私を真ん中に右に娘、左に夫。

テーブル

向かい側に叔父と従妹と座りました。

3ヶ月ぶりかなぁ、娘と会ったのは。じっくり話をするのは2、3年ぶり。話をしていると、私がまだ子育て気分が抜けきれてないなぁーっと実感するし、だんだん、娘が何歳だか分からなくなってくるんです。

そう、この日は娘の24歳の誕生日前日。

しかし、どうやら私のなかでは娘はまだバブー。よちよち、よちよち、したくなる。

だいじょうぶでちゅかー。
ちゃんとねんねちてまちゅかー。
おともだちとなかよくちてまちゅかー。
と。

20歳の時に産んだ娘。子どもが子どもを産んだようなものだと言われたもの。でもよかった、産むのを諦めなくて。

19歳、妊娠検査薬は陽性。10階の窓から粉雪が舞い散る地面を見下ろして、飛び降りようかと思った日を今でも思い出す。

手術を受けるつもりで産婦人科で問診票を書いた後、チャリで逃走した。

誰とはいわないけれど、中絶手術に10万円渡されて、あのお金は何だったのか。

って、怒ってません。

あれもこれも、ほんとみんな運が良かった。
娘が健康で生まれてきたからで。

シングルマザーの上に障害者となったものの、私の家族が健康で事業をやってこれたから、娘は習い事もできて私立の中高一貫にも私立大学にも行けた。

24のバブーは、ある意味、幸運といえば幸運なんです。もちろん本人は、母子家庭であること、私が障害者であることでしてきた苦労もあると思います。

だから、今、しあわせであってほしい。

そのしあわせのひとつぶでも隣の人に分けられる人になってもらえたら、私の産んだ役目は終わりかな。

ってもう終えるのか。

あ、また子育ての贅沢を言い過ぎた。
生きてるだけで十分です。
そう、命だけで。
それ以上の贅沢を言うなかれ。

かつて私は…
娘が生まれる前、

もしこの子がこの世の役に立つ子に育つならば、産む甲斐もあるだろう、産んでも構わないだろう、つまり、産ませてくれ!堕ろしたくない!

と発狂していた。

すなわち、私は、産んだからには娘をこの世の役に立つ子に育て上げなければならない、と考えていたのだ。

私は娘にユニセフやWFPなどで働いてくれたならなんて夢を見ていたが、コンサルになった娘をみて現実的だなぁと目が覚めた。今、24のバブーは、地元の活性化に貢献したいと考えているようだ。

それでいい。ありがとう。じゅうぶん。
私が贅沢を言い過ぎていたんだ。

でも、人の役に立たなくても、生きているだけで十分です。なんなら、私が言うのもなんですが、人に迷惑をかけるかもしれないけれど、それでも生きていていい。

ということで、そうそう、「ママって良い反面教師だね」って言ったら、24のバブーが「うん」と言ってペロッと舌を出したのが私に似てると夫が言ってた。

私たち三人って、家族なのかな、家族か、不思議だね。

24のバブー、よき一年を!おめでとう!

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