4.【さや書店の由来とは?】
【さや】は、3人の少女の名前から取った。
1人はアクションホラーアニメ
「BLOOD THE LAST BAMPIRE」の主人公、小夜(さや)だ。
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1966年ヴェトナム戦争のさなか、日本の横田米軍基地内のアメリカン・スクールに、ひとりの日本人少女・小夜が転校してきた。彼女の正体は、闇に生き暗躍するヴァンパイア・キラーであった。
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という、ストーリーだ。
初めて観たのは、10代の後半から20代の前半の間だったと記憶している。48分と短い物語だが、鮮烈な印象を残した。なぜか。人間よりも圧倒的に強く孤高の存在である彼女に、強い憧れと共感を抱いたからだ。
彼女は知略に長け、戦闘力も高いが、人間に苛立ち、組織のあり方に激昂し、心を許せる者も周囲にはいない。一番彼女に接する機会の多い世話役のデイビット(人間)も、「彼女は【オリジナル】だから、あまり怒らせたくない」という関係性だった。
ストーリーの序盤、彼女はクラスメイトに向かって「ほっといてくれ」と言い放つ。
私はこの台詞が一番好きだった。
小夜はたった1人で考え抜き、戦いに明け暮れていれば良いのだ。それしか、彼女に許された生き方はないのだから。同族の者もいなければ、心の内を理解してくれる者もいない。下手な希望は持たない方がマシ。だから、ほっといてくれ。ーーーそんな風に彼女と自分を重ねていた。
今回改めて観たところ、以前と違う印象を抱き、とても驚いた。ーーー彼女は、全く強くなかったのだ。むしろ、とても弱く見えた。ギリギリの状況で、なんとか凌いでいるだけだった。多少身体能力が優れているとはいえ、あとは普通の(但し永遠の)、15才の少女。それが小夜だった。
そして、世話役のデイビットの在り方もまた、違って見えた。彼は彼なりに、精一杯の助言と協力を小夜に惜しまない。ただ、組織の中でできる権限も、手に入る情報も、限られているのだ。それは、私が一つの組織(会社)の中で10年程働き、感じるものと似ていた。ーーーデイビットに共感する日が来るとは思わなかった。
また、何度観ても今まで気にならなかった結末も、今回はハッとさせられた。小夜は組織の人間から「あれ」と言われているのだ。人間を脅かす災害の様な鬼から人間を守っているのに、共闘する組織の人間から、「感謝」も「敬意」も持たれておらず、小夜は「モノ」扱いされていた。なんだか、「人間よりも圧倒的に強く孤高の存在」というより、「ただただ弱く、悲しく、寂しい生き物」の様に感じた。
小夜は何を思い、何を糧に生きているのだろうか。共感できていたはずの彼女を、年齢を重ねてから遠くに感じるとは、思ってもみなかった。
私はきっとまた、この物語を観たくなる日が来るだろう。その時も、これまでと違う風景が見えるのだろうか。
予告ーーーーー
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