「どうでもいい」の裏を返すと‥
「どうでもいい」の裏返しは「どうでもよくない」ですね
この数年、解けなくて解けなくて苦しかったあることが謎解きされました
ハラハラとほどけたような、まるで氷が溶けるような‥
それは、あるモノをブランディングするプロジェクトの合宿でのこと
ご縁あって集まったメンバーとこれから創造していける夢への想いを話す機会があったのですが、
モノを扱うことについて私の口から出た言葉が
「モノはどうでもいい」でした
今これを読んでくださっている中にも私からこの言葉を聞いた方もいるはず😅
インテリアを仕事にしてきた私は長年モノを扱ってきたのですが
何年か前からモノと向き合うことにうんざりしていたのです
小学生の頃から自分の部屋のインテリアをお小遣いで何かしたり、壁紙やカーテン生地をおねだりしたり、それが業界30年のインテリアの仕事にもつながっています
モノ無しでは生活できないし、今の世界はモノだらけ
でも私はモノとの付き合い方が半端ない(笑)
何か一つ買うにもすごく時間がかかる、材料、デザイン、触った感触、もちろん値段、パッケージ、作り手の想い(いいモノは高いことが多いですが高いモノがいいとは限らないですネ)
気に入ったモノに出会うまで買わない(買えないという方が感覚には近い)
気に入ったモノは直したり部品を取り替えて、もしくはそのまま不自由でも使い続ける
一番のポイントは
自分がそれを迷いなく好きかどうか
ちゃんと自分の気持ちとつながっているかどうか
でも40過ぎて、子どもが小学生の頃から仕事と育児、学校や学童、ひいては地域のこと、170%くらいのエネルギーで動く中では、選んでいる時間とエネルギーが足らないから
適当に、安易に、雑に、自分の気持ちとつながらないモノを買うようになりました
ネットショッピングも今はラクラク、田舎に住んでいても翌日届いたりするからびっくりします
インテリアコーディネーターという仕事柄、インテリアは頭で考えられるので見た目整えるためのモノが増え、服もネットで良さそうなのを買う
でも、結局そんなモノたちはどれも愛着がないから
結果、雑に扱う
そうすると生活自体が雑になるんですね
そのうちモノと向き合うのにうんざりするようになりました
モノに拘りすぎる自分への嫌悪感、モノより大切なことがあるのにモノにこだわる自分、もともと地球や自然への想いも強いから無駄な消費をした自分への怒りと地球への申し訳なさ、悲しみ‥
この数年、自分の中のいろんな想いを確かめていく中でも、この想いだけは残っていて、機会あるごとに口からついて出ていました
「もううんざり、モノはどうでもいい」
でもそれを口にした後の味気悪さ
言う度に心の奥深いところで感じる空哀しさ
でもどうしても‥この2年どうしてもよくわからなかった
それがこの合宿で、またその言葉を口にして‥
翌日、自分が持っていったあるモノが割れたのです
モノだから割れるのは仕方ない
でも粉々になった姿が見れない
仕方ないのだけれど何かざわざわとした想いが残る
そして帰りに運転しながら自分の心と会話する中でわかったことが
(運転って自分にとって最高の瞑想時間です✨)
「いやいや、あれは大事なモノだった」
「全然どうでもよくなかった」
そう、「どうでもいい」は実は「とてもどうでもよくないこと」の裏返し、という落ちでした😱
そして、それが心でわかった瞬間に
それを割ってくれた人に感謝の気持ちが生まれました😌
どうでもいいと言っていた自分のことがとても苦しかった、でもその謎がやっと解けて苦しい想いを手放せた
気づかせてくれて本当にありがとう🌈✨
そこから、その奥にあった自分が大切にしているモトが見えました、長くなるので続きは次頁に書きたいと思います
頑張って要約したけれど‥ここまでも十分長い💦😅
読んでくださりありがとうございました🌈
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?