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やっとたどり着いた私の心の痛み

この二年いろいろな学びをしている中で「心の学び」があります


その講座では古神道、脳科学、カウンセリングなど様々な角度から、心のキズについて学び自分と他者理解を深めつつ、自分のキズを癒しながら、自分から愛を差し出して生きるようになるための実践をしていきます

先日講座生同士でカウンセリング体験をする機会があったのですが、なんとその手前のやりとりで、私は相手の方をモヤモヤさせてしまったということがありました

自分の心待ちとしては「言いにくいかもしれないけれど言っても大丈夫だよ」と助けになると思い届けた一言があったのですが

その方には上から目線の余分な一言に感じられたようです

どう受け取るかはかなり相手の心境によりますよね

その方はそうならそうと言える方だったようなのですが

私には、その方は「言えないかも」という決めつけに近い思い込みと、その思い込みによる押し付けの言葉があったのですよね

だから結果その一言は余分な一言になってしまった

そしてその気持ちになった上でのセッションは心を開いて話ができるものにはなりませんでした


講座で洞察という言葉がでてきます

 洞察とは、物事を観察して、その本質や、奥底にあるものを見抜くこと。見通すこと。

コトバンクHPより

私は観察でその方を判断して言葉を出してしまっていたことに気がつきました

その「浅い判断」こそが私がされたくない、したくないと思っていること

誰もされたくないですよね


判断されたくない
決めつけられたくもない

自分を(人の)思考で縛らないでほしい
自由にいさせてほしい
自分を信じてほしい
自分を丁寧に尊重してほしい


考えてみれば
悲しいですが子どもにもやってしまっている自覚もあります

ここにたどり着けたことは
かなり痛い想いですが、、、
でも気がつけてよかった

それは心の奥底では
相手のことを深く理解して
心地よいところ心の交流したい想いがあるから


自分の思い込みや先入観をできるだけ「ゼロ」にして
自分と目の前の人と
差し出す言葉と
丁寧に洞察しながら向き合っていきたいと思います

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