「ちびっ子」次女の育児振り返り日記#10 決意
1,650gで産まれた「ちびっ子」次女の育児を振り返っての記録です。
現在二歳半、まだまだ成長曲線には入らない「ちびっ子」さんです。
長女4歳、私が36歳の時に妊活をスタートしました。近所のレディースクリニックで半年程妊活後、より専門的な二つ目のクリニックに転院しました。
検査で分かった卵管の詰まりを解消するために受けた手術ですが、1か月でまた詰まってしました。残る選択肢として体外受精を勧められ、その説明会を受けることにしました。
その説明会は予約制で、かつ夫婦同席でないと受けられないのもでした。
お互いの仕事を調整して説明会に行くことにしました。
トンネルの中
これまでの治療では、もう難しいだろうと感じていました。36歳からスタートした妊活は不妊治療と呼ぶべきものに変わりました。年齢も一つ年を重ねました。
排卵日から生理が来る前はいつも「妊娠超初期症状」とか「妊娠初期症状」をネットで検索し、少しでも当てはまることがあれば想像妊娠状態になっていました。
基礎体温に一喜一憂する日々。基礎体温が下がると、すぐにまたリセットすると分かっていても、もしかしたら、という希望は捨てる事ができませんでした。それでも生理は来てしまいます。
その証拠を見てもなお、妊娠初期に出血することがあるというネットを見て現実逃避したり。着床はしたけど流産してしまったのだと妄想したり。精神的にも追い詰められてきていたのです。
不妊治療しているなんて知られたくない。自分のうまくいっていない姿を見せるのが嫌でした。この苦しみを誰かに分かって欲しいという気持ちと、私の気持ちなんか誰にも分からないという気持ちがありました。
ママ友とは距離ができていました。
説明会
説明会が始まりました。夫婦揃って説明を聞きます。お薬やスケジュール、費用について説明がありました。
決意
薬の体への負担もあるだろうし、連日注射のための通院もある。
採卵日は当然急に決まるから、その時は会社を休まざるをえないだろう。
金銭的負担もこれまでの比較にならない。
体外受精してまで子どもが欲しいのか?葛藤はあったものの、その答えは「Yes」なのだということはもう分かっていました。
やっぱり欲しい。自分が納得するまで頑張りたいのだ。
それが私の本心でした。あれだけ執着していた仕事も、
数か月後に区切りをつけて辞めようと思うようになりました。
夫は私の望むようにしたいとのことでした。
そして二人で結論を出し、次のクールからお願いすることに決めました。
次回はまたその後の治療について書きたいと思います。
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